10月6~10日(教養講座:日中関係史)

~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年10月6日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(3~5日)
◎高市早苗氏が自民党新総裁に 総裁選 女性就任は初 小泉氏抑え選出 | NHKニュース →高市早苗氏が自民党総裁に当選した。タカ派で知られるが、女性総裁は初、日本初の女性首相も確実だ。タカ派でも総裁は務まるが、すべての国民相手にタカ派首相では苦しい。高市色を強く出すか、現実路線に徹するか。当面は党人事、野党との連立協議がリトマス試験紙だ。公明党が連立に厳しい姿勢を示している。
◎自民 高市総裁 幹事長に麻生派 鈴木俊一総務会長の起用で調整 | NHKニュース →焦点の党人事で、「党員票の多い候補に投票する」として高市当選の流れをつくった麻生氏の影響力が強まっている。幹事長には財務相も務めた麻生派の鈴木俊一総務会長、麻生氏は副総裁への就任が固まった模様。朝日新聞は茂木外相、木原稔官房長官、小泉氏と小林鷹氏は重要閣僚、「裏金議員」の萩生田氏は党の要職と報じている。
◎ハマス声明発表 “人質全員の解放に同意” トランプ大統領 ガザへの攻撃停止求める | NHKニュース →トランプ大統領の和平計画が前進した。ハマスが人質の全員解放に同意し、イスラエルも攻撃停止の意向を示している。しかし、解放の手順など細かい点の合意が必要なようだ。きょうエジプトで、イスラエルとハマスが協議する。長い不信感があるので簡単ではないようだが、ガザの現状を考えれば、即時停戦が不可欠だ。
◎6日からノーベル賞 各受賞者発表 去年は日本被団協が平和賞 | NHKニュース →きょう6日からは恒例のノーベル賞ウィーク。日本人が受賞すれば、お祭り騒ぎとなり、幼少期からの人柄が紹介される。去年は被団協が平和賞を受賞した。候補者は毎年いるが、英国の学術情報会社は、食欲調節ホルモンの「グレリン」を発見した国立循環器病研究センター元研究所長の寒川賢治さんと久留米大学名誉教授の児島将康さんが生理学医学賞で有力としている。村上春樹の文学賞期待は、もはや可能性を超えたハルキストの年中行事。大リーグ・ポストシーズンとともに楽しみだ。
◎日産、「マリノス」の筆頭株主継続 一部売却は示唆も、地元へ配慮:時事ドットコム →一時はマリノスを手放す情報も流れた日産自動車。地元の反対もあって、筆頭株主は継続する。一部売却は示唆しており、再建次第のようだ。
*** 「今日の名言」
◎服部幸應(料理評論家、教育者。2024年10月4日死去、78歳)
「人は食べ物で作られます。ここ30年間で日本人の食文化はがらりと変わりました。祖先が食べてきたものによっていまの自分の身体ができあがっています。伝統的な食文化を疎かにすべきではないのです」 「長生きには粗食が一番良い。粗食とは、腹七分目ぐらいが良いようです。次に正直であること。率直であれば、ストレスもたまりません」 「のんびりとして身体の緊張を解きほぐすことは非常に重要なこと。朝や昼から風呂に入ると、緊張を解くので、身体に非常に良い」 「お腹にガスをためるのは身体に悪い。毒素と同じですので、長い時間ためていてはいけないのです」 「食育に対する考え方はアメリカなどでも進んできていますが、いち早く法律化したのは日本でした。実現したいのがこの世界無形文化遺産への登録です」 「楽しく食事をすると、脳の快楽物質がたくさん出て、脳は活性化します。食べ物を作って楽しく食べることは、心にも身体にも大切なことです」
*** 今週の教養講座(日中関係史①)
高市首相が誕生する見通しとなりました。そこで注目されるのが日中関係です。タカ派とみられる首相の登場で、関係悪化を心配する声もありますが、隣国同士はどこも難しい問題を抱えています。日中関係も複雑で、感情もからみます。しかし、国同士の関係は「好き・嫌い」「仲がよい・悪い」という単純な次元では語れません。両国の歴史的関係を冷静にわかりやすく振り返ってみましょう。
第1回 古代~中世:交流のはじまりと「中国文明」の影響
◎朝貢と遣隋使・遣唐使 日本列島の人びとは、早くから大陸文化に憧れを抱きました。3世紀、中国の『魏志倭人伝』には倭国(日本の古代国家の一つ)が朝貢(みつぎ物を献上し、冊封=中国王朝の承認を受ける制度)していたと記されています。飛鳥時代になると、推古天皇の時代に遣隋使(607年)が派遣されました。小野妹子が有名です。続く遣唐使(7世紀~9世紀)は、政治制度・仏教・律令法制・建築や衣装など、中国文化を大規模に導入する役割を果たしました。
◎中国文明の受容と日本化 唐の都・長安は、当時世界最大の国際都市で、日本の留学生や留学僧は最新の知識を持ち帰りました。仏教はもちろん、儒教や律令制度、漢字文化も大陸経由です。日本はそのまま模倣するのではなく、自国の風土や社会に合わせて「日本化」しました。奈良の平城京は長安を模して造られましたが、規模は小さく、天皇中心の統治が強調されました。
◎鎖国ではなく「調整」 平安時代になると、遣唐使は廃止(894年)されます。これは「国風文化」の芽生えであり、中国依存からの自立傾向が強まりました。しかし、完全に交流を絶ったわけではなく、宋との交易は民間を通じて続きました。宋銭は日本の経済を活性化させ、禅宗や宋の文化は鎌倉武士の精神世界に大きな影響を与えました。
◎元寇と対立の記憶 13世紀、モンゴル帝国が中国を支配し、日本にも服属を要求しました。これが「元寇」(1274年・1281年)です。日本は拒否し、2度の大規模な侵攻を受けます。結果的に暴風雨(いわゆる「神風」)により撃退しましたが、日本にとって「外敵から国を守った」という強い歴史記憶が残りました。一方、中国側では元が支配していたため、これは「中国」との戦争というより「モンゴル主体」の戦争でした。ここに、日中関係史の複雑さがあります。
◎まとめ 古代から中世にかけて、日本は中国文明を積極的に学びながらも、自らの文化を築き上げました。そして、交易・交流の時期と、元寇のように対立する時期とが交互に訪れました。この「学び」と「距離感」が、日本と中国の関係の原型になったのです。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年10月7日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(6日)
◎ノーベル賞 2025 坂口志文さんら3人 生理学・医学賞に 制御性T細胞発見 免疫学で優れた業績 | NHKニュース →坂口志文さんは滋賀県長浜市出身で、現在は大阪大特任教授。過剰な免疫反応を抑える「制御性T細胞」を発見した。「人間の知識は闇夜の提灯程度」と言った学者がいたが、がん治療に利用され始めた免疫の仕組みはその代表だろう。私達全員の体の中にあるメカニズムだが、全容はよくわからない。坂口さんは会見で関係者への感謝を強調し、座右の銘は「一つ一つ」。何でもコツコツ続けることが大切なようだ。納得。
◎株価 一時初の4万8000円台 終値も最高値 大幅更新 | NHKニュース →高市総裁の誕生で株式市場が沸騰、「高市トレード」という言葉が飛び交った。一時4万8000円を超え、終値でも2175円の大幅高。積極財政への期待が膨らみ、防衛・経済安保、AI、核融合・宇宙などの銘柄を中心に全面高に。円安も追い風になった。投資家心理は、高市氏の手腕より、目先の材料をはやしてどう稼ぐかに集中する。しばらく続きそうだ。
◎高市総裁 自民党役員人事 きょう決定へ 幹事長に鈴木俊一氏 | NHKニュース →高市人事が進んでいる。挙党体制というが、長老・麻生氏中心の舞台回し、不記載・萩生田氏の幹事長代行起用など、古い自民党が復活している様相だ。公明党は連立離脱の可能性がゼロではなく、連立の本命に浮上した国民民主党は連立より政策連合の構え。女性総裁・首相の高揚感も乏しい。こうした懸念を高市氏はどう払拭していくのだろうか。
◎高市氏「馬車馬」発言に抗議 「過重労働につながる」―過労死弁護団:時事ドットコム →総裁選に当選した直後の高市氏の発言が波紋を生んでいる。「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」。本人は熱意を強調したつもりだろうが、過労死弁護団が抗議した。首相になってこうした発言をすれば、「即アウト」だろう。
◎田園都市線 運転を再開 きょうは始発から通常運転 | NHKニュース →川崎市で起きた東急田園都市線の列車衝突が、沿線を混乱に陥れた。国交省の事故調査が終わるまで電車を動かせないため、6日の運転停止が長引いた。衝突は重大事故だが、人的被害はない。国は事故調査を早急に進め、混乱回避を優先すべきではなかったか。きょう7日は始発から運転している。
*** 「今日の名言」
◎イザベラ・バード(英国の旅行家。1904年10月7日死去、72歳)
「日本では、太陽が照ると、森におおわれた山、庭園のような野は天国と化す。日の光を浴びて美しくならない土地はほとんどなかった」 「会津の山々の雪景色はすばらしい。群集にわずらわされることなく自由に散歩できる。この地方は見たところ美しくもあり、繁栄しているようである」 「私は日本を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」 「ヨーロッパの多くの国々では、地方によっては外国の服装をした女性の一人旅は、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられたりする。私は日本で一度も失礼な目にあったこともなければ、過当な料金をとられた例もない。群衆にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。見ていても大変気持ちがよい」
*** 今週の教養講座(日中関係史②)
第2回 近世:貿易と文化交流、そして「鎖国」の中の中国
◎日明貿易と勘合 14世紀末、中国に明王朝が成立すると、日本は再び積極的に関わりを持ちます。室町幕府の足利義満は「勘合貿易」を始めました。これは、正規の貿易船であることを証明する「勘合符」という割符を用いた制度です。倭寇(海賊)の取り締まりを目的としていました。輸入品には絹織物や銅銭があり、輸出品には刀剣・硫黄・銅などがありました。この時代、中国の経済力と文化的影響力は依然として大きく、日本はそれを必要としていたのです。
◎室町文化と中国 日明貿易を通じて、禅宗文化がさらに広まりました。枯山水の庭園、茶の湯、書院造の建築などは、宋や明からの文化を基礎に日本流へ発展しました。能楽や水墨画も、仏教思想と大陸文化が融合して成立したものです。日本は単なる受け身ではなく、取り入れた文化を「和風」に消化していきました。
◎鎖国と中国 江戸時代の初期、徳川幕府はキリスト教の拡大を恐れ、ヨーロッパとの交流を制限しました。これが「鎖国」と呼ばれる政策です。しかし、日本は完全に世界と断絶したわけではありません。長崎を通じて、中国(清)やオランダとの貿易を継続しました。特に中国からは生糸・漢方薬・書籍などが輸入され、日本人の生活や学問に大きな影響を与えました。
◎漢学と朱子学 江戸時代を通じて、中国の思想は日本社会に深く根づきました。幕府が重視した儒学(朱子学)は、政治秩序や道徳観の基盤となり、武士の精神規範を支えました。一方で、荻生徂徠や伊藤仁斎のように朱子学を批判し、独自の思想を展開する学者も現れました。つまり「中国思想の受容と日本的展開」が進んだのです。
◎中国人と長崎 当時の長崎には中国人居留地(唐人屋敷)があり、多くの中国人商人が活動していました。彼らは貿易だけでなく、文化的な交流も担いました。中国から持ち込まれた書物や技術は、日本の学者たちに新しい知識を与えました。例えば「黄帝内経」などの医学書は漢方医学の発展に寄与しました。
◎中華と日本の意識差 この時代の中国(明・清)は「中華思想」、すなわち自分たちを世界の中心とみなす意識が強く、日本を「夷(えびす)」と呼びました。一方の日本は、独自に天皇を中心とした秩序を築いており、中国に従属する姿勢は取りませんでした。「上下関係を認めるか否か」は、後世の日中関係における緊張の要因の一つとなります。
◎まとめ 室町から江戸時代にかけて、日本と中国は主に貿易と文化を通じてつながっていました。鎖国の中でも中国との交流は絶えず、学問・思想・生活文化に大きな影響を与えました。しかし同時に、中国の「中心意識」と日本の「独立意識」のずれも存在していました。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年10月8日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(7日)
◎自公 連立政権の継続をめぐって協議 合意は持ち越し | NHKニュース →自公の連立協議が持ち越しとなった。公明党は高市氏の政治姿勢に懸念を示しており、靖国・歴史認識、外国人との共生、政治とカネの3点を中心に議論した。政治とカネで認識の差が埋まっていない。公明党は踏まれてもついていく下駄の雪か、権力より信念を優先するのか。高市総裁の最初の大きなヤマ場だ。
◎首相指名で野党結集呼び掛け 立民「勝てる可能性ある」:時事ドットコム →高市総裁誕生で野党も動意づいている。自民との連立最有力の国民民主党は、最初は政策連合の構え。連携の可能性の減った維新は野党色を強め、立憲は野田代表以外の野党統一候補も模索する。本来、野党共闘で政権交代をすれば、ここまで迷走しない。自公がぎくしゃくしており、政界は流動的になっている。
◎万博、最大280億円の黒字見込み 入場券・グッズ販売好調―協会:時事ドットコム →赤字も心配された大阪・関西万博が、280億円の黒字見込みとなった。3日時点の入場券の販売枚数は約2200万枚で、黒字化の目安となる1800万枚を大幅に上回った。支出も最大50億円減額できるという。なんだかんだ言っても、日本人はナショナルイベントが好きだ。
◎列車衝突、信号設定に不備 東急社長「深くおわび」:時事ドットコム →田園都市線の衝突事故の原因は信号設備の不備だった。東急電鉄社長が謝罪して明らかにした。自動列車制御装置(ATC)がホームに進入してきた上り列車に赤信号を出していなかった。見習い運転士の回送列車の速度超過で自動ブレーキがかかり、所定位置から約23メートル手前で停止した事情もある。
◎国立競技場の命名権 三菱UFJフィナンシャル・グループが取得へ 取得額は100億円規模の見通し | NHKニュース →国立競技場も命名権を導入することになり、三菱UFJフィナンシャル・グループが取得する見通しとなった。5年間で100億円規模になり、命名権では過去最高水準。企業名がややこしいが、何という名前にするのだろう。命名権で運動施設のイメージがよくわからなくなっている。
◎サッカー 影山技術委員長が機内で児童ポルノ閲覧 仏で有罪判決 | NHKニュース →日本サッカー協会の技術委員長で、元Jリーガーの影山氏が、飛行機内で児童ポルノを見ていたとして、フランスで有罪になった。協会は契約を解除した。影山氏は「生成AI画像だ」と主張している。前代未聞だ。
*** 「今日の名言」
◎諸葛孔明(中国三国時代の軍師。234年10月8日死去、53歳?)
「人生とは、困難との戦いの連続である」 「無欲でなければ志は立たず、穏やかでなければ道は遠い」 「優れた人は静かに身を修め、徳を養う」 「才能におごって人を馬鹿にせず、可愛がれていることを後ろ盾に偉そうにしてはならない」 「立派な人間の友情は、温かいからといって花を増やすこともなければ、寒いからといって葉を落とすこともない」 「どんな時でも衰えず、順境と逆境を経験して、友情はいよいよ堅固なものになっていく」 「自分の心は秤のようなものである。人の都合で上下したりはしない」 「学ぶことで才能は開花する。志がなければ、学問の完成はない」 「治世は大徳を以ってし、小恵を以ってせず」 「人の心をつかめる人は、敵を消滅できる」 「古来、兵は戦を好まない。内部の守りを固めずに、外部を攻めるのは愚策である」 「用兵の道は、人の和にあり」
*** 今週の教養講座(日中関係史③)
第3回 近代:衝突の時代と日清戦争・日中戦争
◎中国の危機と日本の変化 19世紀、中国(清)は列強の圧力にさらされました。アヘン戦争(1840年)でイギリスに敗れ、南京条約を結ばされて以降、「半植民地化」が進みます。上海などの開港地には外国勢力が進出しました。一方、日本もペリー来航(1853年)を機に開国し、西洋列強の圧力を受けます。しかし日本は明治維新(1868年)で急速に近代化に踏み出し、富国強兵と殖産興業を進めました。両国は「西洋にどう対抗するか」を課題にしていましたが、日本は近代国家へ、中国は弱体化へと道を分けました。
◎日清戦争(1894~95年) 朝鮮半島をめぐる対立が両国を戦争へ導きました。当時、朝鮮は清の影響下にありましたが、日本は独立を支援する名目で介入します。結果は日本の勝利。下関条約により、清は台湾・遼東半島を割譲し、賠償金を支払いました。これにより日本は「列強の一員」として国際的に認められる一方、中国では「国が弱いために侵略された」という屈辱感が広がりました。ここから中国では「自強運動」「変法自強」といった改革が試みられます。
◎義和団事件と列強支配 1900年には「義和団事件」が起きます。外国勢力とキリスト教に反発した民衆が蜂起しましたが、日欧米の連合軍に鎮圧されました。日本軍も出兵し、国際的地位を高めます。しかし中国の人々には「日本も侵略国の一員」と映り、反日感情が芽生えます。
◎辛亥革命と日中のすれ違い 1911年、中国で辛亥革命が起こり、清が倒れて中華民国が成立しました。孫文は三民主義(民族・民権・民生)を掲げ、近代国家建設を目指しました。しかし政情は安定せず、日本は「二十一か条の要求」(1915年)で中国に強い要求を突きつけます。中国の独立を脅かすと受け取られ、強い反発を呼びました。
◎満州事変から日中戦争へ 1931年、日本の関東軍が満州事変を起こし、中国東北部に「満州国」を建設しました。これは国際連盟から「侵略」と非難され、日本は国際社会で孤立していきます。盧溝橋事件(1937年)をきっかけに全面的な日中戦争が勃発しました。日本は南京を占領し、多くの犠牲を生みました。戦争は泥沼化し、中国国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)は抗日で一致します。
◎第二次世界大戦と転換 太平洋戦争が進む中、中国はアメリカ・イギリスと連携して日本に対抗しました。1945年、日本が敗戦すると、中国は戦勝国の一員となります。日本は植民地を放棄し、中国は台湾を取り戻しました。しかし国共内戦が再燃し、最終的に1949年に共産党が中華人民共和国を建国し、国民党は台湾に移ることとなります。
◎まとめ 近代の日中関係は、対等な交流ではなく、衝突と不信が中心でした。日本は「西洋列強と並ぶ」ことを目指し、中国に圧力をかけました。その結果、中国には「日本=侵略者」という記憶が刻まれ、日本には「中国=不安定な隣国」という認識が残りました。この時代の経験は、今なお両国の歴史認識問題に影響を与えています。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年10月9日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(8日)
◎ノーベル化学賞に北川進さん 京都大学理事 「多孔性金属錯体」を開発 | NHKニュース →日本人で今年2人目のノーベル賞。北川さんは京都市出身の74歳。京都大学を卒業し、現在は副学長。「多孔性金属錯体」(MOF)と呼ばれる小さな穴を持つ材料を開発した。環境対策など多くの分野での活用が期待されている。成功の秘訣は「興味を持って挑戦する姿勢」と述べた。
◎立民 国民に首相指名選挙で野党候補者一本化 呼びかけ “玉木氏も有力候補” | NHKニュース →玉木首相説が浮上してきた。少数与党になった段階で、野党がまとまれば政権交代するが、細部にこだわって自滅している。国民民主党は「政策が重要。数合わせは考えていない」というが、眼の前に権力があるのに素通りするのだろうか。野党は過去にこだわらず、大きく動くべきではないか。格下には、張り手やけたぐりも必要だ。相撲も権力闘争も変わらない。
◎自民 高市総裁 秋の例大祭での靖国神社参拝 見送る方向で検討 | NHKニュース →高市氏が現実的な動きを見せている。これまで毎年、春と秋の例大祭の期間中や8月15日の「終戦の日」に靖国神社に参拝してきたが、秋の例大祭は見送るという。靖国参拝は支持者の一部だけがこだわっている思想問題で、国民生活には無関係。公明党への配慮もあるのだろう。
◎萩生田氏を「傷物が一人」と紹介、高市総裁が立民へのあいさつ回りで…野党の批判かわす意図? : 読売新聞 →高市氏が裏金関与議員で幹事長代行に起用した萩生田氏を「キズもの」と呼んだ。場面は立憲民主党とのあいさつの席上。萩生田氏はどう思ったか。どこかから批判や抗議がまた起きるのか。高市氏はニュースになる言葉をよく発する。キップの良さ?が裏目に出ることもありそうだ。
◎アサヒグループHDのサイバー攻撃で“Qilin”が犯行声明 | NHKニュース サントリー 2種類のビール発売中止 アサヒの障害影響 | NHKニュース →アサヒGHDに対するサイバー攻撃で、「Qilin」(キリン)というハッカー集団が犯行声明を出した。キリンビールをもじったのだろうか。増産しているサントリーにも影響が及び、新製品のビールの発売を中止する。業界全体を巻き込んでいる。
*** 「今日の名言」
◎チェ・ゲバラ(キューバの革命家。1967年10月9日死去、39歳)
「世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい」 「人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない」 「一生懸命、成長する必要があるが、優しさを失ってはいけない」 「目的のためには死をもいとわないと思えた時、私たちは生きがいを確信することができる」 「あらゆる不正に対して怒りに震えるならば、あなたは私の同志だ」 「革命は熟せば落ちるリンゴではない。自分で落とさなければならない」 「沈黙も、一つの論争である」 「友達がいないのは悲しい。だが、敵がいないのはもっと悲しい」 「列強諸国の生活水準は、極度の貧困の上に成り立っている」 「私は解放者ではないし、そんなものは存在しない。人は自らを解放するのだ」 「革命家にとっての第一の義務は、教育を受けることだ」 「ゲリラ戦とは、圧制者に対する民衆全体の戦争である」
*** 今週の教養講座(日中関係史④)
第4回 戦後~冷戦期:国交断絶から正常化へ
◎戦後の出発点 1945年、日本の敗戦によって日中関係は大きく変わりました。中国は戦勝国の一員として国際社会での地位を回復し、台湾を取り戻しました。しかし直後に国共内戦が再燃し、1949年に共産党が勝利して中華人民共和国が成立。国民党は台湾に逃れて中華民国を維持しました。アメリカや日本を含む西側諸国は長らく「中国=中華民国」とみなし、中華人民共和国を承認しませんでした。
◎日本と台湾の結びつき 戦後しばらく、日本はアメリカの占領下にあり、中国本土とは関係を持てませんでした。1952年、サンフランシスコ講和条約に基づき日本は独立を回復しますが、同時期に結ばれたのは台湾の中華民国との「日華平和条約」でした。日本と中華民国は公式な国交を持ち続け、本土の中国とは断絶状態となりました。
◎冷戦構造と中国 1950年代から60年代にかけて、世界は米ソ冷戦の二極構造に分かれました。中国は当初、ソ連と手を組みましたが、やがて対立が深まります。この間、日本はアメリカの同盟国として安全保障を優先し、中国との関係改善は進みませんでした。民間レベルでは「日中友好運動」や貿易が細々と続けられ、漢方薬、芸術交流など文化面でのつながりが保たれました。
◎中国の台頭とアメリカの変化 1970年代初頭、中国は国際的に孤立していましたが、アメリカのニクソン大統領が対中接近に転じました。背景には、ベトナム戦争の行き詰まりと、ソ連を牽制する必要があったからです。1971年、中国は国連に加盟し、中華民国(台湾)は国連から脱退しました。これにより「中国の代表権」は北京政府に移り、日本も方針転換を迫られることとなります。
◎日中国交正常化(1972年) 1972年、田中角栄首相が訪中し、毛沢東・周恩来と会談。日中共同声明が発表され、日本は中華人民共和国を「唯一の合法政府」と承認しました。国交が正常化され、台湾との日華平和条約は終了しました。戦争責任については、中国側が「過去の戦争の責任は一部の軍国主義者にある」と述べ、賠償請求を放棄しました。「未来志向で関係を築こう」という姿勢が強調されました。
◎経済交流のはじまり 国交正常化ののち、日本と中国は経済面での結びつきを急速に深めます。日本からのODA(政府開発援助)や企業投資は、中国のインフラ整備や工業化に大きく貢献しました。一方で、歴史認識や台湾問題は依然として微妙なテーマとして残り、両国関係の「火種」となり続けました。
◎まとめ 戦後から冷戦期にかけて、日中関係は「断絶から和解」への大きな転換を経験しました。戦争の記憶を背負いながらも、1972年の国交正常化は両国にとって新しい出発点でした。ただし、台湾問題や歴史認識など、将来に禍根を残す課題も同時に抱えることとなりました。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年10月10日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(9日)
◎ガザ地区の和平計画 “イスラエルとハマスが第1段階に合意” 人質解放へ | NHKニュース →ガザ和平計画の第1段階で、イスラエルとハマスが合意した。人質が解放され、イスラエル軍が部分撤退する。2年におよぶ戦闘は終結に向けて大きく前進した。第2段階は、ハマスの武装解除やガザ地区の統治のあり方がテーマ。恒久停戦につなげられるかどうか。
◎公明 連立政権の是非 10日の高市総裁との党首会談踏まえ判断へ | NHKニュース →政局の大きな関心事に浮上した自公連立。公明党は9日夜に地方組織の代表者らから意見を聞いた。きょう午後、自公の党首が政治とカネを中心に協議する。「公明党はどうせ最後は折れる」という声がある一方、「企業・団体献金の規制強化は譲れない。今回は違う」という見方もある。大きなヤマ場だ。
◎連立「合意履行が大前提」 野党統一首相候補に難色―国民・玉木代表インタビュー:時事ドットコム →首相候補にも名前が上がる国民民主党の玉木代表は「自民との連立は合意履行が前提。(野党共闘による)首相就任は国民の期待を裏切る」と述べた。首相になれば、自分のやりたいことをやりやすくなるはずだが、今の立ち位置が心地いいらしい。激動の時代、「何でもあり」で考えないと。長老派閥政治と金権政治の打破でまとまればいい。
◎AI活用サービス企業の元社長ら4人逮捕 決算を粉飾か 東京地検 | NHKニュース →AIバブルの逮捕劇だ。AIサービスのスタートアップ企業オルツ社の社長経験者ら4人が東京地検特捜部に逮捕された。売上を過大に計上する粉飾決算をしていた容疑で、水増しは100億円程度。去年10月にグロース市場に上場したが、今年7月に民事再生法の適用を申請、8月に上場廃止となっている。
◎本社カメラマンを厳重注意 「支持率下げてやる」発言―時事通信社:時事ドットコム →ネットは地獄耳だ。時事通信のカメラマンが高市総裁の取材待機中、「支持率下げてやる」といった発言が収録され、ネットで流れた。同社は発言を確認し、厳重注意にした。取材待機中、記者が社を超えて雑談するのはよくある。壁に耳あり、障子にネットあり。
*** 「今日の名言」
◎佐々淳行(警察官僚、初代内閣安全保障室長。2018年10月10日死去、87歳)
「悪い情報ほど早く報告せよ」 「危機管理は、悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」 「大きく構えて、小さく収めよ」 「火事は、火花のうちに消せ」 「大地震が発生した時、生き延びるための万能策はない。3日間は自力でなんとかサバイバルする工夫をしてほしい」 「国防の基本的な底力は、俺がやらずに誰がやるという、心の内なる力に駆り立てられたボランティア・スピリットである」 「国防力の根源は、愛国心、犠牲的精神、使命感、主権意識、情報力、指揮統率力、戦略眼、継戦・補給能力、法律力、制度危機感と、危機管理能力」 「言葉は戦いの武器でもあり、また逆に平和を回復する手段にもなる」 「第二次安保闘争で1万2千人の機動隊員に重軽傷を負わせてしまった。当時、俺がやらずに誰がやるという合言葉をつくって、挫けそうになる隊員たちの士気高揚に努めた。合言葉は墨で半紙に書かれ、すべての機動隊員宿舎に貼られていた。彼らが自発的にそうしたのである」
*** 今週の教養講座(日中関係史⑤)
第5回 現代:経済的結びつきと政治的摩擦
◎冷戦終結と経済協力の拡大 1990年代初頭、冷戦が終わり、米ソ対立の構図が崩れました。中国は改革開放政策を進め、日本企業は安価で豊富な労働力を求めて中国に進出。日本は中国にとって最大の投資国の1つとなり、自動車や家電などの製造拠点が相次いで建設されました。中国の急速な経済成長を、日本の技術・資本が支えたといえます。
◎天安門事件と政治的距離 しかし1989年の天安門事件は、西側諸国との関係に深い影を落としました。日本は比較的早く制裁を緩和し、日中関係を安定させようとしましたが、「人権問題」に関する立場の違いは今も続く課題です。
◎歴史認識問題 1990年代以降、歴史教科書問題や靖国神社参拝をめぐって、しばしば緊張が生じました。中国は「侵略の歴史を正しく認めていない」と批判し、日本側は「政治利用だ」と反発する場面もありました。両国の国民感情には「経済では必要、歴史では不信」という複雑な要素が絡み合っています。
◎台湾・安全保障の問題 台湾は依然として両国間の最大の敏感なテーマです。日本は「1つの中国」を認めていますが、台湾と経済・文化交流を続けています。尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐる領有権問題は、両国の摩擦を激化させました。東シナ海での軍事的緊張は、21世紀の日中関係の不安定要因となっています。
◎経済依存と競争 2000年代、中国は世界貿易機関(WTO)に加盟して「世界の工場・市場」として成長。日本にとって最大の貿易相手国となりました。日本企業は中国市場を重視する一方、中国企業の台頭は日本に競争相手として立ちはだかっています。IT・AIや電気自動車などの分野では中国企業が急速に力をつけ、日本の産業に強い影響を与えています。
◎21世紀の課題と協力 両国は経済的には切っても切れない関係ですが、政治的信頼は必ずしも安定していません。温暖化対策や感染症対策など地球規模の課題では協力が不可欠であり、学術や観光など民間交流も盛んです。一方で、安全保障や価値観の違いから対立の火種は消えていません。
◎まとめ 現代の日中関係は「経済的パートナー」であると同時に「政治的ライバル」という2面性を持っています。歴史を通じて、日本は中国から多くを学び、中国は日本を時に模範、時に脅威と見てきました。両国が今後も平和的な共存を図るには、歴史を直視しつつ、互いの違いを認め、協力できる分野を広げる努力が求められます。
