初夏の研修感想文① 「書くことは考えることの重要性を実感」

2024.07.12 研修報告

2024年6月修了 思考力文章講座3ヶ月コース(東証プライム上場関連不動産会社)

課題「3か月の文章研修の感想と今後にどう生かしたいか」                                                                                                                                                                                      

今回で、真摯に向き合った3か月間の文章研修が終了する。毎週、与えられたテーマの構想と締め切りを意識した生活は、貴重な経験となった。「文を書くことは考えること」、この言葉の重要性を実感した研修だった。課題に関する考えが当初はまとまらず、文章の構成にも苦戦した。研修テキスト「文章の極意」を、通勤電車や自宅で繰り返し読んだ。「基本8か条」の文章ルールをマスターし、わかりやすい簡潔な文章を心がけた。そうした準備を経て、緊張感をもって最初の課題に臨んだ。

11回取り組んだ課題の中で、印象に残った2つのテーマがある。1つは、社会課題を論じる「あなたが考える日本経済の問題点」。新聞やテレビ、ネットニュースで触れている分、自分の考えを整理しやすく、自信満々で取り組んだテーマだ。だが、得意分野と錯覚するあまり、余分な言葉(ぜい肉)が多く、自分の主観も乏しい文章だと酷評だった。読み手に思いを伝える文章力の向上には、あらためて独自性が大事だと痛感した。反省の効果が表れたのが、2つ目の課題「企業はチャットGPTなど生成AIをどうつかうべきか」だ。インターネットなどで綿密に最近の動向を調査し、自分の所属する部署の活用イメージを紹介した。講評にはお褒めの言葉を頂き、自信がついた。

研修を通じた学びと自信を、今後は自分と会社の成長のために役立てたい。無関心だった分野の知識も増やして、物事を多角的に考える習慣を身につけていく。仕事は数値を扱う業務だが、客観的な数値分析と伝わる文章を掛け合わせて、説得力が増す報告を目指していく。また、文章への感度が上がったことで、部下や他人に対しての接し方も、丁寧に考えていきたい。 最後に、研修で重ねた文章作成は、文を書くことへの抵抗が薄れ、成長を実感できた。自分の思いや考えを整理する良い機会にもなった。これも親切丁寧な指導をしてくださった、長谷川先生のおかげだ。感謝いたします。

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◉ 文章研修の感想として以下を挙げたい。1つ目は、自分なりの視点、意見、主張が大事であること。各テーマへの知識はもちろんだが、自身の考えがないとアウトプットできない。文章全体の構成も伝わり方に大きく影響する。それを組み立てるのも自分である。研修の最初に聞いた「文は人なり」「書くことは考えること」の言葉はまさしくその通りだと感じた。                                                                                                                                                        
  2つ目は、文字数制限の難しさだ。ビジネス文書は、わかりやすく、簡潔に書くことが求められる。限られたスペースや条件下で、見る人にいかに伝えられるかが重要となる。一方、講評で「ここはもう少し説明を加えるべき」とアドバイスをいただいた箇所もあった。どういう表現をすれば読み手に伝わるか、説得力が増すか。どのワードを取捨選択すべきか。濃淡やそぎ落とすことの大切さ、難しさを学んだ。                                                                                                                      

  最後に、チャットGPTの活用は一番苦労した。うまく指示が与えられず、自分の言いたいことをダイレクトに反映することができなかった。効率化どころか、逆に時間を要した。回答の精度にもまだ不安がある。真偽を見極める目も必要だと感じた。                                                                                      

今後に活かしたい点は、自分の「人となり」が出るような文章をこれからも意識したい。講評をいただいた内容を振り返ると、おおむね今のスタンスでいいのだと感じられた。国内外の動きやトレンドに幅広く関心を持ち、自分なりの視点を持つこと、考えること。感性を研ぎ澄ますことを怠らないようにしたい。もちろん仕事においても同様だ。                         

自分の文章にはまだぜい肉がある。無駄な言い回しをするくせもある。簡潔でわかりやすい内容にするため、接続詞などの使い方には気をつけたい。これに加え、こだわりとして、印象に残るキーワードや心に響く表現を盛り込めるようにしたい。ビジネスか私的な目的かは問わず、読み手に伝わり、頭に残る文章を書くことを意識していきたい。

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◉「書く」という行為は内省的であり、振り返りと思考整理を伴う。この3か月間の文章研修は、私に「いま居る世界」と「かつて居た世界」を再認識させるものだった。                                              

20年前、30歳を過ぎた頃の私はまだ不動産屋ですらなかった。大卒後に映画学校に通い、大阪梅田の映像制作会社で働き出したものの入院して退職。療養後に青年海外協力隊員として中国に赴任した。帰国後、池袋の映像教材制作会社に勤務していたのがちょうど20年前。北浦和の日本語国際センター図書館には、私が制作に携わったDVD教材とテキストの初版がいまも所蔵されているはすだ。紆余曲折あってその後不動産屋になり今日に至るわけだが、かつての私は公私ともに今よりも日常的に“書いて”いた。                                                    

今回の研修も全く苦にならなかった。片道2時間往復4時間の通勤途中に課題を考える。書き始めると筆が止まらない。一気に1000字ほど書き進めて字数を800字に削る。前週の週明けにはそこまで終わっている。語尾の重複を避けたり、同義語の言い換えに思いを巡らしたりしながら週中を過ごす。締切の前週末には課題を提出して次週のお題を考え始める。                                                      

能力の範疇に収まっているのでそれなりに毎日の仕事をこなしているが、適性がいずれにあるのかは悩ましい。ポケットに右手を突っ込んだまま、左手のバックハンドで飛んでくるピンポン玉を次々打ち返しているような感覚すらある。いつも長谷川先生の講評は、ポケットの中の右手を褒めてくれているようで、嬉しかった。ポケットの中の無限の宇宙を、四角い卓球台の上でいかに表現できるかが、今後の課題といえる。                       

23歳で新卒入社した社員は、46歳で文字通り「企業人としての半生」を体現する。43歳で中途入社した私は、86歳まで勤め上げてようやく体の半分が長谷工になる。今後、自分を生かすも殺すも、これからの人生における、局面局面での折り合いの付け方にかかっている。

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◉3か月の研修を通して、文章作成の基本となるテクニックを学ぶことができた。特に、一文が長くなりがちだった点を意識して改善できたと思う。また、思考の整理と、構成力を高めるための組み換えの重要性を学んだ。これまで社内資料の作成は、書きながら何となくだらだらと考えていることが多かった。そのため、文章の組立も頭の中で考えた順番でそのまま出てしまっていたが、論理性を高めるためには、一度整理することが大切であることがよくわかった。今後は事前に思考の整理をしっかり行った上で、人に伝わる文章作成を心がけたい。

時間的な制限を設けた上で、思考を整理する経験を持てたことは本当にためになった。仕事上も、時間的な制限があることが殆どであるからだ。

講師の長谷川先生の添削を返信される速さには、大変驚いた。私も今後の仕事において、思考整理から作文の一連の流れをスピード感を持って実施できるよう、鍛錬していきたい。「より早く、より的確に」が今後の目標だ。私は管理職なので、部下の作成した文章を直すこともあるが、人の文章を直すのは難しく、正直苦手だった。今回の学んだ基本を部下とも共有して、早く的確に修正指示できるようにしたい。

また、自分の意見をしっかり持つことの大切さも学んだ。自身の意見が無い文章は、自分で見返しても結局何が言いたいのかよくわからないし、人の心も打たない。今回、丁寧に添削をして頂いたことで、それがはっきりしたように思う。人に見せて感想をもらうことは、文章力の成長にとって大切だと気付いた。若い部下にも自身の感想をしっかり伝えていきたい。  

最後に、メールマガジンを通して、改めて様々なことに幅広く興味を持ち続けることの大切さを学んだ。教養は様々な角度から物事を分析することを可能にする。最近本を読んでいなかったことを反省。さっそく一番刺激を受けた吉田秀和氏の古本を取り寄せた。これを皮切りに読書習慣を再開する。

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◉「書くことは隠すこと」だと思っていた。作者の思いを内に込め、直接的な表現は避けて文脈に漂わせ、 あえて答えを述べないこともある。私を育んだ文学という土壌においては、少なくとも主題としての側面ではそうであったし、それ自体は今も間違っているとは思っていない。作家なんて生き物は自由気ままな個性の塊であって、読者に目線を合わせてなんてくれない。だから私たち読者は、その思考の深淵に少しでも触れたいと右往左往し、自分と類似した、あるいは相違した解釈を見つけては一喜一憂する。

この自分の中に備わったわずかな芸術観が、日常を息苦しくしてしまっていることに気づかせてくれたのが、この長谷川キャリア文章塾だ。誰がビジネスに婉曲的な文章表現を求めるのか。誰が意思疎通を求める過程で遠回りをしたがるのか。会話には常に聴き手が、文章には常に読み手が存在している。他者を意識しない文章は、問題に向き合っていないことと同義だ。誰とも向き合う気がないのであれば、家でこっそり日記でもしたためていればいい。それでも自分自身という読者からは逃れられない。                                                                                                        

私は基本的には争いを好まず、慎ましい生活を望んでいる。でもそんな平穏な日常は、ただ車窓から景色を眺めているだけでは実現しない。ビジネスを円滑に進めたければ言葉に説得力が、同意を得たければ明快な論理展開も必要だ。たとえ野心や向上心がなくたって、日常が人との関わりの中で育まれている以上、他者を意識することを切り離してはいけない。                                                                          

だから私は、考えることをはじめる。 誰かを論破するためでも、説得するためではない。ただ私の思いが、目の前の人に正確に届くようになるために、世論を知り、歴史を学ぶ。軋轢を生みださないために必要なのは、剣ではなく教養とペンだ。教養を備えて問題に対峙し、ペンをもってそれを伝えていく。それが自然と体現できるようになったときに、平穏な日常も垣間見えてくるはずだ。 

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◉年に1回ぐらい、ジェーン・スーのエッセイを読むようにしている。彼女の文章はちょっと読みにくく、飛ばし読みができない。半強制的に読む速度を落とさねばならないのだが、それが心地よく感じる。文章の前後のつながりを意識しながら、一文ごとに味わって読んでいると自分がなんだか賢くなったように感じるのだ。名文、とは違うのかもしれないが「好きな文章」である。こんな文章を描けたらよいな、と常々思っていた。

文章研修で文章を書く機会に恵まれたことは、そう思っていた自分にとって貴重な体験だった。仕事では資料作成は多いが、パワーポイントばかりで長文は望まれない。そんな一方で、なかばジェーン・スーに挑戦するつもりで長文を書いたことは達成感があった。文と文の前後のつながりを考えたり、矛盾に気づいたりする作業は、自分自身と対話しているようで新鮮だった。

研修後半ではチャットGPTにも触れ、アイデア出しや質問、校正まで頼んでみた。結論の段落でチャットGPTに文章を追加されたときは、考えの浅さを指摘されたようでちょっと傷ついたが、新しいテクノロジーを活用できている、という喜びもあった。

今後の仕事で長文を書くことはないだろう。ビジネスに求められるスピードを考えると、長文で資料を作れ、という指示は今後もないと思う。ただし、資料を作る前に試行錯誤するとき、正解の見つからない中で企画を考えるようなときは、文章作成の技法は役に立つだろうと思う。パワポでの資料作成は結論を急ぐあまり、反証や矛盾点、言い足りないことに気づかないことが多々ある。一度、長文ベースで考えることで見落としを防ぐことができるのではなかろうか。

自由に文章を書くこと自体がストレス発散になるような気もする。今まで、Xやブログなど、自分自身の意見発信のツールとしてあまり意識していなかったが、ちょっと始めてみようかと思っている。