4月24日からの教養講座は「三島由紀夫の文章論」
三島由紀夫は1959年、婦人公論の別冊として「文章読本」を書いています。その後、単行本や文庫本になっています。文章読本は1934年に谷崎潤一郎が発表したのが最初とされ、その後、多くの作家が挑んでいます。24日からの教養講座は、三島の文章論を紹介します。
私が三島を知ったのは、1970年に自衛隊に乱入して自殺した事件でした。中学1年生でしたが、担任の若い先生が衝撃を受け、「サンデー毎日」の三島特集を読むように私に渡しました。あまりよくわからなかった記憶があります。
三島と親交が深く、ボディビルを勧めた石原慎太郎は「あの事件はばかばかしいとしか言いようがない。三島さんはどんどんおかしくなっていった。川端康成さんらも見損なったという思いを持ち始めていた。鍛え上げた肉体も、楯の会もナルシズムでしかなかった」と酷評しています。
肉体改造から政治化していった行動は大いに疑問ですが、文学作品や文章論には瞠目するものがあります。祖父と父が政府の官僚で、女中や書生がいる家庭に生まれた三島は、徳川家につながるという祖母に育てられました。祖母は病弱だった三島を溺愛し、女の子と遊ばせました。歌舞伎や詩、俳句、谷崎潤一郎、泉鏡花らの文学に親しませ、華族の学校である学習院に通わせました。
東京帝国大学法学部を経て大蔵省に入省しますが、すぐに辞めて作家に専念します。少年期からの文化的素養と広汎な知識は、各国で翻訳されるほどの作品と文章論につながっているでしょう。ぜひ味わってください。小説に関心のある方には「小説読本」(中公文庫)もあります。
三島由紀夫はペンネームですが、学習院の国語教師が考えたそうです。伊豆で合宿をしたことがあり、三島を通ったので名字は「三島」。富士山の白雪から連想して「由紀夫」となったそうです。なかなかいい加減というか、良い加減というか。