「鎌倉殿」で学ぶ日本の国柄
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が18日の放送で終わった。最後は、主人公で病身の北条義時が床をはいながら薬を求めたが、姉で尼将軍の政子が薬を捨てしまい、義時を死なせる場面だった。政子の「私たちは長く生き過ぎたのかもしれない」という一言が象徴的だった。
義時の最期は史実で確認されていないので、脚本家三谷幸喜の創作になる。義時が政敵を次々と殺す時代から、争いのない時代を望む息子の泰時に託すメッセージだ。
東国政権と西国政権
平安時代末期、日本の権力は朝廷と平家が君臨する京都にあった。平家は西日本一帯に影響力を及ぼす西国政権。広島・宮島の厳島神社はその栄華を今に伝えている。
源頼朝は伊豆で挙兵し、平家を打倒した。伊豆の小豪族北条氏に支えられ、鎌倉に幕府を開いた東国政権だ。「坂東武士の名誉にかけて」といった言葉は、ドラマで何回も出てきた。
朝廷はどちらかと言えば浮世離れした空間だが、坂東武士は土地を基盤とした生活民主主義の社会だった。司馬遼太郎は「鎌倉幕府のリアリズム」と評し、日本の歴史で庶民が主人公になる起点と語っている。
1600年の関ヶ原の戦いは、武士同士の戦いだったが、東軍が勝利し、東国政権が続いた。次の大河ドラマの主人公は、江戸幕府を開いた徳川家康なので、「鎌倉殿」の続編ともいえる。
明治維新と敗戦が転機
明治維新によって、薩摩と長州を中心とした西国政権が誕生した。天皇中心の国家を復活させ、富国強兵路線を歩んだが、第二次世界大戦で破たんした。そして戦後、国民主権と平和主義の新憲法で新しい国柄になっているはずだ。東西対抗は、プロ野球の巨人対阪神、高校野球やサッカーなどスポーツの世界で残っているくらいか。
ドラマの最後のセリフは、政子の「ご苦労さまでした 小四郎(義時のこと)」というねぎらいの言葉だ。日本の歴史は、朝廷とそれ以外の勢力との緊張と協調を底流にはらんできた。敵を次々と殺害し、承久の乱で後鳥羽上皇を隠岐に流した義時は、非情すぎて憎まれた。しかし、そのおかげで武家政権の基盤ができ、非朝廷政権が日本に定着したー-そう考えれば、「ご苦労さま」という言葉の重さも増す。