「ジェンダー平等」のキャリア観

2023.01.07コラム

最初に告白する。「ジェンダー平等」について、本腰を入れて学んだことはなかった。1月9日からの毎朝メルマガの教養講座で、SDGsの「ジェンダー平等を実現する」を特集すると決め、本や資料やテレビで考えてみた。見えていなかったこと、当たり前だったことが、課題として立ち上ってくる。

「トーナメント戦」から「リーグ戦」への転換を

先進国から途上国、古代から現代、会社と私生活、個人と家族。問題はあまりに深すぎ、広すぎるので、個人にひきつけて考えるのが手っ取り早い。定年退職してみると、日本の企業社会は尋常ではないとつくづく感じる。長時間労働、長時間通勤、社内競争、同調社会・・・。ほとんどは他律的で、負けたら終わりの「トーナメント戦」の様相だった。これからは「出入り自由のリーグ戦」こそふさわしい。

元アエラ編集長の浜田敬子さんが最近、コメンテーターとしてテレビによく登場し、本も出している。私がアエラ副編集長だった20年以上前、浜田さんが週刊朝日から異動してきた。当時は、女性の生き方や息苦しさの特集がよく読まれ、男性編集部員は多少、微妙な心理と立ち位置にあった。「これがニュースか」「記事で匿名が多すぎないか」という声もあった。

浜田敬子さんからの警告

浜田さんは、センスとバランス感覚に優れていた。今回、「男性中心企業の終焉」(文春新書)を読んだ。「男性ばかりの組織では成長が止まる」「ダイバーシティとインクルージョンが進んだ組織ほど、風通しのいいサステナブルな組織になる」「日本企業は原則への本質的な理解が決定的に不足している。土台は人権・平等」「組織に過剰適応すると、組織内の空気は読めるが、時代の空気が読めなくなる」といった記述が印象的だった。私も含め、耳の痛い男性は多いだろう。

トーナメント戦のキャリア観は、経済が成長し、価値観が画一化した時代の産物だろう。今は成熟経済で、価値観の多様化が進むが、意識も税制も社会保障制度も雇用制度も婚姻制度も、「働く夫と専業主婦」を前提にしたままだ。リーグ戦は、1回負けても終わりではない。出入り自由にすれば、転職やリスキリング、育児や家事も個人の希望次第になる。

ジェンダー平等が導く平和な暮らし

戦争は強さを競う男の顔をしている。ロシアの指導者が女性だったら、ウクライナに侵攻しただろうか。今の日本、とりわけ企業社会の風土は、明治以降の家父長制の負の遺産と関係している。みんなどっぷり浸かってきたので、変えるの簡単ではないが、暮らしやすい社会を目指すなら、このままでいいはずはない、と感じている。