五木寛之と北の富士の共通点
16日から始まる毎朝メルマガの教養講座で、五木寛之著「元気に下山」(2019年)を取り上げる。やや突飛だが、これをきっかけに作家の五木と元横綱の北の富士について、共通点を考えたい。私が強調したい答えは二つある。
一つは誰でもわわかる。息長く一線で活躍していることだ。五木90歳、北の富士80歳。2人の社会的な生命力は驚嘆に値する。もう一つの答えは、まずわからないだろう。
私が中高校生だったほぼ50年前、2人のファンだったことだ。高校時代、大学受験をしない科目の授業で五木の本をいつも読んでいた。中学校の卒業アルバムの寄せ書きには「北の富士がんばれ」と書いた。2人が活躍しているのは、美空ひばりが今でも歌っているようなものだ。不思議でならない。
五木の本は当時出ているものをかなり読んだが、筋は忘れた。デビュー作「さらばモスク愚連隊」、「霧のカレリア」、直木賞受賞作「蒼ざめた馬を見よ」などなど。舞台は鉄のカーテンの向こう側にあったソ連や東欧、そして北欧や西欧と、当時としてはグローバルだ。話もスパイ合戦やジャズと高校生には異世界だった。
五木は終戦後、朝鮮半島から命からがら引き揚げ、大学時代には血を売って生活費を稼いでいた。高度成長期に育った私にとって、五木の小説や生き様に触れ、かけ離れた世界を知ったことは貴重な体験だったと言えるだろう。
五木は根なし草を意味する「デラシネ」を自認し、筑豊や金沢を舞台にした小説、恋愛物語、宗教やエッセイへと守備範囲を広げてきた。2011年に刊行された「下山の思想」は、頂点を極めて下降するだけの日本と日本人が持つべき心構えをまとめた。メルマガで取り上げる「元気に下山」はその続編と言える。時代の風に吹かれるように流されるが、沈まない。
北の富士は、優勝10回。名横綱といっていい。千代の富士と北勝海という2人の横綱を育てた。61歳で亡くなった千代の富士のように早世する元力士は多いが、北の富士は今でもHNKの相撲中継に登場し、着物姿で軽妙に解説している。柏戸や大鵬より少し下だが、力士らしくない、あか抜けたところが好きだった。直木賞作家の村松友視は6年ほど前、その生きざまを一冊の本にまでした。
「強い者が生き残るのではない。変わる者が生き残る」と言われるが、2人とも肩肘はらずに変わってきたように思う。学ぶべき点だろう。五木は「元気に下山」で「市井(しせい)の人」と題して次のように書いている。
「人は歳をとると名誉や権力、勲章が欲しくなるが、市井の人として生きたいと思う。禅の修業の最後は、市井の雑踏に舞い戻り、人々と触れ合い、教えを授けていくという教えがある。高名な哲学者や作曲家、陶芸家らでこの言葉のように生きた人を知っている。晩年期は普通の勤め人や若者と自然体で付き合っていた。偉ぶることなく、風のように飄々としている。そんな生き方を私は素敵だと思う」
やっぱり、いいよな、五木は。