「財務省悪者論」で済むのか
政治家が増税や借金減らしを主張すると、必ず出てくる意見がある。「財務省の言いなりだ!」。政治家が官僚の言いなりと批判されるのは不名誉に違いない。しかし、こうしたレッテル貼りが日本の深刻な問題を隠してしまう。23日からのメルマガ教養講座で「危機の財政」を取り上げるにあたって、財務省悪者論を考える。
財務省が握る予算編成権は強大だ。100兆円を超す予算を時に判断一つで左右できる。かつて大蔵省と呼ばれた時代、金融や証券も含めたマネーの全権を握っていた。各官庁に出向者を出して情報ネットワークをはりめぐらし、アンチ大蔵省的な言動があれば、「体育館の裏に連れて行って脅す」とさえ言われた。傲慢で反感を招いた官僚もいた。
1990年代半ば、金融失政で解体論が浮上した時、大蔵官僚は激しく抵抗したが、自民党の加藤紘一幹事長が押し切った。岸田首相と同じ、宏池会のプリンスと言われた政治家だ。他官庁は大蔵省に味方せず、密かに解体を歓迎し、金融庁が生まれた。
解体は歴史の流れだが、だからといって財政を健全化する機能を軽んじていいことにはならない。家庭でも財布をしっかり締める人は必要だ。借金をどんどんすれば、家計は立ち行かない。政府は通貨発行権を持つので家庭と違う点はあるが、借金を返す義務は変わらない。
財務省が増税や借金減らしを訴えるのは、警察が泥棒を捕まえるように当然の行為だ。政治家は専門家官僚の意見を尊重した上で、自らの責任と信念に基づいて判断しなければならない。増税となれば、政治家と官僚はくつをすり減らして説得に歩き、国民の納得を得なければならない。「財務省の言いなり」と批判すれば済むほど単純ではない。
昨年秋、英国のトラス首相は在任わずか49日で退任した。大型減税をぶち上げて就任したが、年金基金などが英国債を売り浴びせ、国債市場が大混乱したからだ。英国の財政は日本より健全だ。それでも市場が反乱を起こすと一瞬で政権が崩壊し、政策変更につながることが実証された。日本で同じことが起こらないという保証はない。
防衛力強化のため増税が叫ばれ始め、児童手当など社会保障充実のための消費税再引き上げの声も出ている。増税すべきかどうか、増税しないとすればどうすればいいか、目指すべき政策は国力に見合っているのかどうか。財務官僚の「専門的で良心的な分析」を前提に国民が判断すべきことだ。財務省を悪者にして片付く問題ではない。