ドナルド・キーンと谷崎潤一郎

2023.01.28コラム

1月30日からの毎朝メルマガ教養講座は、日本文化研究者ドナルド・キーン(1922~2019)の日本文学史を特集する。氏は「今の日本人は自らの伝統に興味を持っていないのが弱点。伝統は今も続いています」と生前語っていた。自問すべき言葉だろう。そんなキーンが最も高く評価していた作家が、谷崎潤一郎だった。なぜか。

キーンは18歳の時、「源氏物語」の英訳を読んで日本に興味を持った。情報将校となった太平洋戦争では、アッツ島で日本兵の集団自決に遭遇。「あまりに非合理な行為だ」と強い衝撃を受けた。ところが、日本兵が残した手帳を解読すると、戦場でも正月を祝う記述に人間らしさを発見する。

キーンは戦後、日本に留学し、川端康成や三島由紀夫ら多くの作家と交流する。「日本文学を世界文学だと証明したい」と日本の小説を精力的に英訳。ノーベル文学賞を決めるにあたって意見を求められた時、一番で推薦したのが谷崎潤一郎だった。

キーンにとって谷崎は、留学前に知っていた唯一の日本作家だった。来日前に「細雪」を読み、傑作だと確信する。「こいさん、頼むわ」で始まる小説は、大阪・船場の旧家が舞台で、四姉妹の悲喜こもごもの日常を淡々とつづった長編だ。分家は芦屋にあり、阪神間の裕福な文化を伝えている。

キーンが谷崎を高く評価した理由は、執筆に賭けた姿勢だった。細雪は中央公論の1943年1月号と3月号に掲載された。しかし、同誌は3回目の予定だった6月号で「決戦段階たる現下の諸要請により、自粛的立場から掲載を中止します」とお断りを出して、掲載を止める。軍部が「戦時にそぐわない」と圧力をかけたのだ。

谷崎は熱海や岡山県の山奥に疎開し、その後も書き続ける。日本軍が南方で玉砕しても、日本の都市が空襲で大きな被害を受けても、公表できるかわからない四姉妹の物語をひたすら書き続けた。当時の日本は勇ましさを競っていたが、本来の日本はそうではない、もっともっと優しく繊細だ――反戦の言葉はないが、穏やかで美しい暮らしをいと惜しんだ。

キーンは「谷崎のメッセージは、日本の本当の美しい部分を忘れてはいけないということです。未来の人にこれが本当の日本人だと伝えたかったのです。自らの信じる道を歩んだ素晴らしさを知って欲しい。そういう人がいたことは日本の誇りです」と語っていた。