猿之助の一件に想う

2023.05.26コラム

歌舞伎人気役者・市川猿之助の両親が亡くなり、本人も警察の事情聴取を受ける事態になった。昨年12月27日の当コラムで、「庶民の芸能だった歌舞伎が、最近は特別な存在になっていないだろうか」と書いた。この一件でその感を深くするが、すべてを明らかにして心を改め、復帰を目指すことが400年を超す歌舞伎の知恵ではないか。

全容はまだはっきりしないが、引き金はセクハラやパワハラを報じた女性セブン誌報道とみるのが自然だ。コロナ禍でも澤瀉屋一門で宴会を開き、過剰な性的スキンシップを求めたという。細かな点で食い違いがあるにしても、親子3人で「出直そう」と話し合ったというから、おおむね事実と推測するのが妥当だろう。

歌舞伎界は「梨園」(りえん)と呼ばれる。唐の玄宗皇帝の故事に由来するが、歌舞伎は関ヶ原の戦い直後、京都の四条河原で始まり、庶民に支えられてきた。わかりきった決めのセリフやポーズに喝さいを送り、憂さを晴らしてきた。明治以降、改良運動も起こったが、底流は大衆に軸足を置いた芸能である。

役者や子役を過剰にもてはやすのはどうかと思う。銭を払って見てくれる人のため、ひたすら芸を磨くという心持が役者にあればいいが、勘違いする人は出るだろう。残念ながら、猿之助は「何をやってもいい」と勘違いしていなかったか。セクハラやパワハラに対する認識は時代とともに厳しくなっている。ジャニー喜多川の一件もそうだが、人間の尊厳に関わる行為だ。

歌舞伎の世界はガバナンスが弱い。大相撲の日本相撲協会のような組織はない。松竹は歌舞伎界で大きな存在だが、役者と雇用関係はなく、公演ごとに出演を頼んだり、調整したりする立場だ。一門がガバナンスの元締めになるが、トップの意識が低ければ、総崩れとなる。

猿之助は新しい歌舞伎に挑戦していたが、悩みやストレスも多かっただろう。正直に相談できる人はいたのだろうか。役者だって社会人としての教育、健康管理やメンタル支援は必要だろう。若くして亡くなる役者が多いことを考えれば、なおさらだ。

復帰に反対する声も高まるだろう。しかし、これまで磨いてきた芸をここで葬るのはどうだろうか。本人次第だが、今回の一件のすべてを正直に話し、社会が受け入れないような行為は一切しないと宣言し、芸に励む。そうであれば、その雄姿を再び歌舞伎座で私は見てみたい。