「君たちはどう生きるか」とフォークナー

2023.08.20コラム

宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」をめぐって、いろいろな論評や感想がある。「何だかよくわからない」とか「宮崎監督の世界観がたっぷり」とか。私も見たが、確かによくわからない。たまたま、アメリカの作家でノーベル文学賞を受賞したウィリアム・フォークナー(1897~1962)に関する本を読んでいたが、よく似ている世界だと感じた。

「君たちは」は戦争中が舞台で、主人公の真人(まびと)は母を空襲で亡くした。疎開先で父の再婚相手と出会うが、冷たい態度を取る。疎開先には古い塔のような建物があり、空想めいた異界に紛れ込む。そこからアオサギやインコやペリカン、少女、墓、不思議な漁、祖先などなどいろいろ出てくる。子どもはどんな場面があったか覚えているという。65歳ではとても覚えきれない。

最後は真人が東京に戻る場面で終わるが、しっかりしたストーリーがあるわけではない。東京生まれの宮崎監督は、戦争中に宇都宮に疎開し、しばらく住んだというから、自分の経験や過去の夢想をもとにイメージを最大限膨らませたと思われる。受け止め方に正解はないから、どう感じても自由だが、過去と今と未来はつながっている、人間には善意も悪意もある、心して生きよ、と言いたかったような気がした。

フォークナーは米国南部の生まれで、架空のミシシッピ州ヨクナパトーファ郡を舞台にした小説を多数書いた。南北戦争から公民権運動に至る困難で雄渾な時代を記録したが、「過去は決して死んでいない。過去ですらない」と小説の一節に書いている。過去と今は深くつながっているという世界観だ。

文章は長く難解で知られる。簡潔で文章のお手本にしたいヘミングウェイとは対極にある。しかし、独自の文章術は、世界の作家に大きな影響を与えたという。代表は同じくノーベル文学賞を受賞したガルシア・マルケス、日本でも中上健次、最近の古川日出男らがあげられる。

悪意も善意も飲み込んで、滔々と大河のように流れる人間の物語、それが積み重なった人類の歩み。宮崎監督もフォークナーもそんな世界を表現したかったように思う。そして宮崎監督は「そろそろ善意でやさしく、人間らしく生きようよ。戦争なんかやってないでサ」と訴えているように感じた。