「エンジョイベースボール」と「一球入魂」
夏の高校野球で、慶応高校が107年ぶりという途方もない時間を超えて優勝した。東京6大学の早慶戦で鍛えた大応援団が力になり、スローガンの「エンジョイベースボール」が脚光を浴びる。一方、早稲田の合言葉は「一球入魂」。野球と日本の歴史を考えてみたい。
エンジョイベースボールの起源は、1910(明治43)年、大リーガー2人を神戸に招いて体系的に野球を学んだことだという。一球入魂は、「学生野球の父」といわれ早大野球部監督だった飛田穂洲の教えだ。応援席の学生はそれぞれ「軟弱だ」「ダサい」と評し合っているから面白い。
早慶が手を取り合って早慶戦を盛り上げてきたのは偶然ではない。多くのサークルが早慶間で交流しているが、両校で対抗しながら物語をつくって注目度を上げようとしてきたのだ。都市富裕層中心の慶応大学と地方出身で苦学生も多い早稲田大学の交流は、知らない世界を知るという意味で、一生通用する教育効果も高い。野球の応援では、慶応が「若き血」をつくれば、早稲田が「紺碧の空」で対抗する。チャンスでは慶応の「ダッシュ慶応」と早稲田の「コンバットマーチ」が定番だ。
2006年に斎藤佑樹を擁する早稲田実業が初優勝したが、早稲田大学とは「系属高」という関係で、校歌が違う。慶応高校は慶応大学と同じ慶応義塾の学校なので、塾歌は高校も大学も同じ。だから今夏は、甲子園球場が神宮球場のようになった。「見よ、風に鳴るわが旗を」で始まる塾歌は初めて聞くと退屈だが、何回も聞くと格調高い。できたのは昭和だが、明治の緊張感が伝わってくるようだ。
両校の交流の背景にあるのが、創立した福沢諭吉と大隈重信だ。明治の自由民権運動の同志で、「共通の敵」があった。相手は薩長藩閥に率いられた官権的な明治政府。とりわけ、陸軍の大実力者で、官吏育成のために帝国大学(現東京大学)の設立を主導した山県有朋だった。山県は大衆を信用できず、自邸の椿山荘にほど近い早稲田にできた学校を苦々しい思いで見つめていた。
早慶は当時から規模が大きく、私立の両雄だった。大学を名乗っていたが、法律上は帝国大学のような大学ではなかった。正式の大学になったのは1920(大正9)年、原敬首相の時だ。原は賊軍だった盛岡の生まれで、初の平民宰相だった。原がいなければ、正式な私立大学の誕生はもっと遅れていただろう。原は当時の皇太子(後の昭和天皇)を欧州に派遣し、視野を広げる機会をつくったことも覚えておきたい。
慶応高校野球部は、戦後長く低迷していたが、最近は復活して甲子園に出るようになった。仙台育英の理事長が慶応大学出身で、両校のユニフォームが似ているのはそのためだという。長髪も共通している。育英監督は「負けた時に人の価値が出る」といい、ナインは慶応に拍手を送っていた。両校監督とも高校野球新時代を感じさせる。
最後に大学野球について。慶応大学は高校の実力アップや社会人出身監督の手腕もあって、強くなっている。早稲田大学は大リーガー経験の小宮山監督だが、最近の成績は今一つだ。エンジョイベースボールも一球入魂も、勝ってこそ輝く。精神主義に陥らず、合理的で人間育成力のある野球で新たな物語を紡いで欲しい。