芥川賞「ハンチバック」の衝撃とモヤモヤ
文藝春秋9月号を買い、芥川賞に選ばれた市川沙央さんの「ハンチバック」を1回読んだ。朝日小学生新聞のコラム「天声こども語」を書いているので、取り上げらればいいナという下心もあった。しかし、そんな内容ではなく、不明を恥じた。いまだにどう言ったらいいか、わからない。
2月と8月は「ニッパチ」と呼ばれて商売が低迷する。この月に発売する文藝春秋は、よくできている。芥川賞作品を掲載し、選考委員の選評も載っている。私などは作品以上に選評を楽しんでいる。生前の石原慎太郎氏の選評は、挑発的というか偽悪的というか、おもしろかった。どの選評を読んでも「なるほど、そう言えるのか」と学びになる。
「ハンチバック」は英語で「せむし」の意味だ。市川さんは、先天性ミオパチーという難病を患う重度障害者。ハンチバックの主人公が妊娠と中絶を望み、自分より貧しい介助者の若い男に大金を払って実現させるのが、一応のストーリーだ。
選評で平野啓一郎氏は「難病当事者としての実人生が色濃く反映された作品だが、健常者優位主義の社会が『政治的に正しい』と信じる多様性に無事に包摂されることを願う、という態度とは根本的に異なり、障害者の立場から社会の欺瞞を批評し、解体して、再構成を促すような挑発に満ちている」と書く。
松浦寿輝氏は「フェラチオの挿話をはじめ、複雑な層をなしているはずの主人公の心象の、いちばん激しい部分を極端に誇張する露悪的な表現の連鎖には辟易としなくもない」と書く。島田雅彦氏は「露悪を突き抜け、独特のヒューモアを醸し出し、悟りの境地にさえ達している」と評している。受賞者インタビューの見出しは「父は破廉恥さに激怒しました」だった。
8月28日の朝日新聞は文化面で識者2人の読み解きを掲載している。二松学舎大の荒井裕樹准教授(障害者文化論)は「初読の際は、どのように受け止めればよいのか大きく戸惑いました」と言う。私と同じだ。過去の障害者運動に取り組む固有名詞がいくつか出ているともいう。あまり気にとめなかった。
早稲田大学の本部キャンパス(大隈銅像のあるところ)を意味する「本キャン」という早稲田弁が、何の説明もなく出てきたことは覚えている。知的技巧が凝らされた「ユリシーズ」や「失われた時を求めて」のような作品らしい。今後に期待が持てる作家ともいえる。
評論家の立花隆氏は生前、文学の魅力について「常識ではわからない世界を教えてくれる」と言っていた。フェイスブックに「文学の包容力は途方もない。なにもかもを、飲み込んでくれる。この世に文学があって本当によかったとおもう」という読後の投稿があった。私も同じ気分だ。