井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」 天声こども語紀行①
12月4日・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」
「さよならだけが人生だ」という言葉があります。どんな意味でしょうか。「人生は人との別ればかりだ」と考えると、暗い気持ちになります。「人生には別れがつきものなので、今を大切にしよう」なら前向きです▼30年前に亡くなった井伏鱒二という小説家が、中国の詩を訳した言葉です。忠実に訳したわけではなく、自分の考えも入れて日本語にし、名訳とされます。先月まで神奈川近代文学館で井伏の展示があって、本人がこの言葉を書いた色紙を見ました。丸い字でした▼山椒魚が岩屋の中で成長して出られなくなった「山椒魚」は、教科書に載ったので大人は知っています。広島出身で、原爆を題材にした「黒い雨」も有名です▼井伏が評価されているのは、日本人の小説家には珍しく「ユーモア」があったからです。よく観察して、本質を見抜き、やさしく、おもしろく表現したのです。見習いたいと思っています。
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思えばコラムを3カ月近く、書いていなかった。理由はこの間、本の原稿をたくさん書いていたからだ。早ければ年内に文章上達法、来年3月ころにはビジネスパーソンと教養に関する計2冊の本を出す予定だ。本については追って書いていくが、原稿書きも一段落したので、コラムを増やしていきたい。現在週2回、朝日小学生新聞1面コラムの「天声こども語」を書いている。そのうちの1本を材料に、あれやこれや、ゆるゆると書いていきたい。「天声こども語紀行」としたい。
井伏鱒二は好きな作家の一人だ。横浜にある神奈川近代文学館で9月末から井伏鱒二展をやっているというので、行きたいと思っていたが、ずるずる時間が過ぎ、閉幕2日前の11月24日にやっと行った。地下鉄みなとみらい線には初めて乗った。外国人墓地のわきを通った「港の見える丘公園」に文学館はある。横浜のイメージそのものの場所だ。外国人には、住みやすい高台が用意された。
今年は井伏の没後30年にあたる。生い立ちから作品、太宰治ら関係した人々、長く住み文士と交わった杉並・荻窪の日々、将棋や釣りなど井伏の愛した世界など、幅広い資料を集めていた。自筆原稿もたくさんあった。せっかくだから、1000円の図録も買ってきた。私が読んだ小説は「多甚古村」「へんろう宿」「本日休診」など戦中から戦後の作品だ。確か、大学時代だと思う。巧まざるユーモアがよかった。地方出身の私にとって、小説の舞台になった田舎の雰囲気は、時代こそ違うがよく理解できた。
その後、加藤周一の「日本文学史序説」で井伏の評価を読んで、納得した。加藤は「井伏の仕事は、柳田(国男)の文学的延長として、全く独創的である。『常民』の世界をかくも微妙に書き切った小説家はいない。芥川(龍之介)以上に『ヒューモア』に富むという点で独創的である。横光(利一)や川端(康成)のような都会の文学者にも、長塚(節)ら農村を描いた作家にも、全く欠けていたのは『ヒューモア』である」と書いている。広島原爆を題材にした「黒い雨」は、異色の作品だ。加藤は「広島の人井伏は、彼自身の世界を完結させるためにも、描かなければならなかったのだろう」とする。「戦争はいやだ」「正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」という小説の一文は時代を超える。
すぐ隣には、大佛次郎記念館があった。40年以上在籍した朝日新聞社は、「大佛次郎賞」を1973年から、「大佛次郎論壇賞」を2001年から贈呈している。前者は「優れた散文」、後者は「優れた論考」を対象にしている。なぜ大佛次郎か、実はよく知らなかった。6年余り連載していた「天皇の世紀」の執筆途中で死去し、業績を讃える目的だとわかった。「天皇の世紀」は、昭和天皇ではなく明治天皇だとも知った。とほほ、ですね。
最後に「さよならだけが人生だ」はかつて、何となく暗い言葉だと感じていた。しかし、65歳になった現在、お世話になった先輩たちがよく亡くなっていくので、味わい深い、人生の深奥を知る言葉だと感じるようになった。図録を見ていて、ひとつ発見した。この言葉の、いわば起源だ。1931年、作家・林芙美子の誘いで広島の尾道を訪問し、因島にも足を運んだ。島を離れる時、林が「人生はさよならだけね」と言ったというのだ。なんだ、林芙美子のアイデアか。いやいや、訳詩にした井伏の独創だろう。