ナポレオンの魔力 天声こども語紀行②

2023.12.10コラム

12月10日・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」

200年以上前、フランスにナポレオンという有名な軍人がいました。当時のフランスは、革命で王様を追放しましたが、大混乱していました。ヨーロッパではたくさんの戦争が起きていました▼ナポレオンは国内を安定させ、外国との戦いにも勝って、一時はヨーロッパの大半を支配しました。皇帝になり、今につながる民法などの法律や銀行をつくり、教育制度も整備しました▼ナポレオンの生涯を描いた映画が今月から日本で上映されています。「英雄と呼ばれる一方で、悪魔と恐れられた男」と紹介されています。フランスの地位を高めましたが、独裁者でした。強引にやり過ぎて国内外の反発をかい、2回も島流しになっています▼光が強くなれば、影が大きくなります。歴史上の人物も同様で、ほめる人がいれば、批判する人もいます。国民にとって本当にいいことをやったのかどうか。冷静に見極める目が必要です。

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最初にクイズを出す。「文章を書くとき、大人向けと子ども向けのどちらが難しいでしょうか」。こうした問題を出すときは、答えがだいたい決まっているのが相場だ。「子ども向け」が難しいが正解。天声こども語も苦労する。例えば歴史。大人の常識でも、子どもは知らないことがたくさんある。時の流れという歴史の感覚もどこまでわかっているのだろうか。表現も平易でなければならない。物事の本質をしっかり理解している必要がある。

大作映画「ナポレオン」の上映が今月から始まったので、さっそく見に行った。「天声こども語」を書く場合、「行ってきました」という体験型は一つのパターン。場合によっては、「皆さんも見に行くとおもしろいですよ」と書くこともできる。そんな下心もあって、公開初日の最初の上映を見たが、子どもに推薦するのはやめた。映画の大きな軸は、ジョセフィーヌ夫人との愛憎で、子どもに見せたくないシーンも何度か出てくる。いやいや。

以下は記憶なので、正確ではないが、こんな会話があった。ナポレオン「俺がいなければ、お前はただの凡庸な女だ」。同じことを夫人に言うよう命じ、夫人が繰り返す。ナポレオンが苦境に陥った時、夫人は「私がいなければ、あなたは凡庸な男だ」と言い放ち、同じ言葉を言わせる。2人とも野心的で肉感的な似たもの同士で、常人離れしている。跡継ぎが生まれないので離婚するが、その後も意識し合う。

大学受験で世界史をとったので、フランス革命を経てナポレオンが皇帝になり、ヨーロッパを支配する一連の話は暗記したはずだ。しかし、あまり覚えていない。トゥーロンの反革命、エジプト遠征、ブリューメル18日のクーデタ、終身総統、アウステルリッツの戦い、100日天下、ワーテルローの戦い……。島もコルシカ島、エルバ島、セントヘレナ島と出てくる。目まぐるしい。若いころ、映画の細かい点も気になったが、今は大筋がわかればいいと開き直るようになった。この映画も細部はやや不明だが、こだわらない。

映画のメッセージは、ポスターにあるように「英雄か、悪魔か」に尽きる。ナポレオンは体力も知力も超人的で、夜中の2時から書類を読んでいたという。戦闘ばかりが注目されるが、ナポレオン法典、銀行や教育制度など民政に果たした役割も大きい。映画ではこうした面は出てこない。ひたすら戦いと愛憎である。外国からも恐れられた。こども語では「人物の功罪を冷静に見極めよう」というメッセージにした。

パリの町づくりで、ナポレオンの影響は大きい。凱旋門はナポレオンが作らせたし、ルーブル美術館などいろいろ整備した。パリに行ったことは1回しかない。経済部の新人記者だった37年前、西ドイツ(当時)へ出張取材する機会があり、部長が「勉強だから、あと2カ国回ってもいいぞ」と言ってくれた。いい時代だ。ヨーロッパは初めてなので、ロンドンとパリに行き、西ドイツではベルリンも訪れた。

パリには圧倒された。高さ制限で整然とした街並み。セーヌ川、シャンゼリゼ通り、エッフェル塔、凱旋門……。絵葉書のような世界だ。雑然としたロンドン、華やかさに欠けるベルリンとはまったく違う。ヒトラーはパリに憧れ、第二次世界大戦で一時占領し、後に退却する。その際、破壊を命じたが、現地司令官は無視した。「パリは燃えているか」とヒトラーが電話で問い詰めた逸話は示唆的だ。

ナポレオンのような超人的な人物はたまに出現する。最近ならアップル創業者スティーブ・ジョブス、テスラのイーロン・マスクあたりか。ドナルド・トランプも入るかもしれない。日本人が出てこないのが寂しいが、あえて言えばドジャースの大谷翔平か。いやいや、翔平は「光と影」の「影」がないので、同列に論ずるのは失礼だろう。

「ナポレオン」を見ようかどうか考えている人には、二つアドバイスしたい。愛憎劇が大きな軸で、この映画の独自性であること。理解を深めるため、当時の歴史を予習しておくこと。余談だが、65歳の私は最近、トイレが近い。2時間ほどの映画や演劇はもたないことも多いが、この日は3時間近いのにすべてしっかり見ることができた。「ナポレオンの魔力」と考えた。

凱旋門は、アウステルリッツの勝利を祝ってナポレオンが命じて作った。
完成は死後で、この絵はナポレオンが改葬される場面。