冬至と朝焼け 天声こども語紀行④

2023.12.24コラム

2023年12月24日・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」

おととい22日は1年で昼間が一番短い「冬至」でした。東京の日の出時間は6時47分。筆者は毎朝6時半ころに散歩をしていますが、きれいな朝焼けを見ることができる季節です▼しっかり着込んで、毛糸の帽子と手袋もつけています。歩き始めはまだ暗いのですが、東の空がだんだん明るくなり、やがて赤くまぶしく光ってきます。地球の動きも実感します▼太陽の光には青から赤までいろいろあり、太陽が遠くにある時は赤が一番よく見えるそうです。昼に青空になるのは、近くなると青が最もよく見えるからです。夕焼けが赤くなるのも同じ理由です。難しくいうと、「波長の違い」で、赤は波長が長いのです▼「朝焼けて明星光る一番機」という俳句があります。飛行機も飛び始める時間で、「誰が乗っているんだろう」「どこに行くのかな。北海道だな」と考えたりします。朝の散歩は脳も目覚めさせてくれます。

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天声人語のような1面コラムで、季節の話題は定番だ。腕によりをかけて季節のうんちくを展開し、時に時事問題とひっかける。うまくはまるかどうかで評価を分けるが、子ども向けコラムでは、季節にからむうんちくや四季の味わいをどこまで理解してもらえるか心もとない。文学や社会科学になると難しそうなので、自然科学で書くことがよさそうだ。というわけで、散歩の風景を書くことにした。

朝の散歩は定年退職した昨年12月から始めている。きっかけは、80歳を過ぎて会社を経営している元気な先輩の一言だ。「みんな退職してしばらくゆっくりしたいという。しかし、いったんゆっくりすると、動かなくなってしまう人が多いんだなあ」。確かにそんな気もする。「先輩は何が健康法ですか」と聞いたところ、「毎日駅に行って階段を登り、電車に乗って会社に来ていることかなあ。緊張感を保てるし、運動になるよ」と答えた。なるほどと納得した。

私の父は現在、100歳で元気だ。仕事をしていた時は少しおなかも出ていたが、退職してラジオ体操と川沿いの散歩を始め、スリムになった。長寿の理由の一つに違いないだろう……ということで、先輩と会った翌朝から散歩を始めた。記者時代、地元の山(標高532メートル)に3000回登る新記録を作ったおばさんに取材した。78歳で孫がいて、昔は化粧品会社の美容部員をしていた。「朝起きたら行くんです。何も考えない。起きたら行く。これです」と話していた。割り切りが良くて、判断が早そうな人だった。セールスの成績は良かったというが、納得した。

散歩をすると、季節を実感する。花や木や鳥や昆虫に詳しければ風流さも増すが、せいぜい暑いとか寒いというレベルだ。ご存じの通り、今年の夏は暑かった。いつもはレインボーブリッジが見え、ふ頭のある水辺を歩くが、夏は太陽の日差しが強くてとても歩けない。ビルの日陰を探しながら街中を歩いた。9月下旬までそうだったろうか。さすがに10月になって気温が下がり、今は真っ暗になって、寒い。それでも防寒をしっかりすれば、歩いているうちに温まってくるので苦にはならない。散歩前のラジオ体操で体をほぐすが、調子が何となくわかる。

ふ頭に泊まる船とレインボーブリッジ。

毎朝ではないが、天気がいいと朝焼けの鮮やかさには目を見張る。歩いている途中に日の出を迎えるので、幻想的だ。冬至とひっかけて書いたのが、上記のコラムだ。冬至は1年で一番日が短く、日の出が遅いと思っていたが、違った。東京の日の出時間は、12月22日の冬至は午前6時47分。ところが、1月2~13日は午前6時51分で一番遅い。思い込みで書かなくてよかった。小学生向けのうんちくをどこで出すかが問題だ。

うんちくについて多少思案したあと、なぜ空が赤くなるかを書くことにした。皆さん知っていますか。私はよく知りませんでした。理由は書いた通りで、波長の違いです。といっても小学生には難しいかもしれない。つまるところ、太陽が遠くにあれば赤く見え、近くなら青く見える。夕焼けも同じ原理だ。朝焼けの後は天気が悪いといわれる。理由は天気は西から変化するが、東の天気がいい時は西は悪い確率が高く、だから朝焼けのあとは天気も悪くなることが多いという。大した理屈ではないし、そうでないことも多いだろうに。

散歩コースには2021年の東京五輪で選手村として使われ、今は「晴海フラッグ」と呼ばれるマンション群もある。入居開始は遅れに遅れ、2024年1月からだ。最近、マンションの入り口に電気がつき、たまに部屋の明かりが見えることもある。水辺沿いは中国選手団が入居し、国旗をたくさんベランダに掲げていた。欧米の選手はにぎやかで、アジアの選手は大人しく、時に近寄るのがこわいほどの真剣さだったという。会場はコロナ禍で無観客だったが、選手村はそれなりの喧騒だった。

1月からは新住民も散歩するだろうから、朝の風景も変わるだろう。区役所の出張所や図書館も建設中だ。今はよく会う人もいて、「最近見ないけど病気かな。忙しいのかな」「犬をつれた仲のいい夫婦だな」「お金持ちの感じだな」と夢想したりしている。最終的には1万2000人が住むというが、どんな人が来るだろうか。夢想はどんどん膨らむ。いかん、いかん、自然よりも人間に目が行ってしまう。子ども向けの花鳥風月コラムはどうも苦手のようだ。

東京五輪の選手村だったマンション。中国選手団は右手の建物あたりに泊まった。