「トットちゃんの未来」 天声こども語紀行⑤

2023.12.30コラム

2023年12月30日・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」

俳優の黒柳徹子さんが書いた「窓際のトットちゃん」が、世界で2500万部以上売られてギネス世界記録になりました。続編とアニメ映画も今年完成しました▼「トットちゃん」は自分の呼び名で、思い出を書いています。小学校時代、落ち着きがなく退学になってしまいます。新しい小学校の校長先生は「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」と励ましてくれました▼大人になって演劇をしましたが、日本語が変だといわれます。でも演劇の先生は「そのままでいてください。あなたの個性です」と言ってくれて、トットちゃんは人気者になりました▼トットちゃんは好きなことだけをやってきました。落ち込むこともありましたが、助けてくれる人に出会ったのです。戦争をはさんだ昔の出来事です。続編は何と42年ぶりで、書くきっかけの一つはタレントのタモリさんの一言でした。詳しくはあとがきに載っています。

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最初の「窓際のトットちゃん」が出版されたのは1981年。私が新聞記者になって2年目だった。ベストセラーになったので、書名は聞いていたが、内容は知らなかった。1年先輩の記者が「窓際というからサラリーマンの話かなと思ったら、黒柳徹子の子どもの頃の話なんだよな。戦争とか」と言っていたことを記憶している。「そうですか」と答えたが、当時は警察回りで忙しく、読もうとも思わなかった。戦争経験者は多くいたし、もう戦争はないと思っていたこともある。

今年は続編が出版され、アニメ映画もつくられ、最初の本が世界で2500万部も売れてギネスに登録された。旬の話題でもあり、「天声こども語」で取り上げようと考えた。さて、どう書くか。新しい本を買おうか、映画を見ようか迷った。映画は最初の本をベースにしている。この本については、文芸評論家の斎藤美奈子さんが「中古典のすすめ」で、評論家らしい筆致で紹介している。

トットちゃんは黒柳さんの呼び名。黒柳さんは今でも個性的だが、子どもの頃は奇行が目立ち、公立の尋常小学校を退校になってしまう。規律に厳しい皇国史観教育が背景にあった。トモエ学園という私立の小学校に移るが、校長先生は「話したいことを全部話してごらん」といい、トットちゃんは何時間も話す。校長先生は「君は本当はいい子なんだよ」とほめ、トットちゃんは居場所を見つけた。情操や体験を重視した型破りの学校で、今でも理想といえそうな教育だ。

斎藤さんはモンゴメリの「赤毛のアン」やリンドグレーンの「長くつ下のピッピ」を連想する。今なら学習障害(LD)と診断されたかもしれないトットちゃんが、自分と自分を肯定してくれた環境を最大の愛情をもって描き出した本、と評している。「校内暴力などで学校が荒れた時代に生まれた、楽園のような学校の物語。すべてを肯定する物語は、すべての人を勇気づける。だから本書は世界中で受け入れられたのだ」と書く。なるほど、なるほど。

映画は以上をたどるであろうと予測し、続編を買って読むことにした。前編は青森に疎開する場面で終わったが、続編は疎開する列車の中が描かれる。上野駅でお母さんらとはぐれ、一人で青森行きの汽車に乗る。「尻内駅」と行き先を書いた紙が頼りだ。尻内駅は今の八戸駅で、1976年に改称された。汽車の中はだれも無言だったが、大混雑だ。おしっこをしたくなり、人をかきわけてトイレに行く。

しかし、トイレも人がいっぱいで用を足すことができず、席にもどる。隣り合わせたおばさんに話すと、「そうだべ」といい、おばさんは次の駅で裸のお尻を窓の外に突き出して「シャー」と出す。トットちゃんが顔を出して左右を見ると、丸くて白いお尻があちこちに見えた。次の駅で挑戦し、「ひんやりとした風が、トットのお尻をなでる。シャー」と成功。「明日、ママにこの話をしなくちゃ!」と思う。空襲のない青森での疎開、ドタバタが描かれている。

戦争が終わり、シベリアに抑留された父が帰ってきた。その後、音楽学校に進み、NHK専属のテレビ女優になるが、ここでメディアとしての新聞が関係している。「絵本の読み方を教えてくれるところはないかなあ」とママに相談すると、「新聞にでてるんじゃないの」と言われ、このNHKの求人を見つけた。こども語で書いた「そのままでいてください。あなたの個性です」と言ったのは、劇作家の飯沢匡氏。朝日新聞社に入り、「アサヒグラフ」編集長だった時、GHQの占領が終わると隠し持っていた原爆投下直後の広島の写真を掲載した人物だ。トモエ学園の校長先生と同様、トットちゃんの救世主だ。

黒柳さんのテレビやユニセフでの活躍は書くまでもない。こども語の最後で触れたタモリさんの一言は、2022年最後の「徹子の部屋」で語った言葉だ。私もたまたま見ていたが、「来年はどんな年になりますかね」という質問に「新しい戦前」と答えた。2022年は、ロシアのウクライナ侵攻があり、台湾有事との関連で日本も戦争とは無縁ではないという議論が高まっていた。タレントの気軽な一言とはいえないだろう。戦争が近づけば、異論は排除され、軽薄さは批判される。表現者としてきな臭い空気を察しての重い一言だろう。

「あとがき」では、潜水艦に撃沈されて太平洋を漂った池辺良、満州でソ連と戦闘をしシベリアに抑留された三波春夫、慰問で特攻隊員を前にブルースを歌った淡谷のり子らの回想を書いている。いずれも「徹子の部屋」で語った戦争への思いだ。「戦争が廊下の奥に立っていた」という俳句がある。1940年、俳人で三省堂に勤めていた渡辺白泉の句だ。黒柳さんも「戦争は知らない間にやってくる」と語っている。