ドナルド・キーンの日本文学史(2023年1月30~2月3日)

2024.01.05教養講座

*** きょうの教養(キーンの日本文学史①無頼派)

今週は米国出身の文学者ドナルド・キーンの日本文学史を取り上げる。第二次世界大戦で、日本語専門の情報士官を務め、戦後は日本文化研究の第一人者。今回取り上げるのは、昭和前期の作家で、米国人による評価と表現は興味深いものがある。最初に当該作家の評価や作品を書き、最後に作家名を明かすクイズ形式で表記する。

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無頼派でもっとよく知られた作家。人気は衰えず、毎年6月19日、誕生日であると同時に用水から遺体が発見された日、信奉者たちは特異な魅力を放つ人物を偲ぶ。

大地主の出身で、家族に対して相反する感情を抱いていた。家族との絆を強調しているが、常軌を逸した行動、飲酒癖、度重なる自殺癖、共産主義への関心は、ただ家族を困らせようという気持ちからではないかとみられている。

故郷を訪ねて風土記風に書いた「①」という作品がある。もっとも感動的な場面は、幼少期に世話になった年寄りの女性に会うくだりだ。子どもの運動会に出ている女性の横に静かに座っている時、「平和とはこんな気持ちのことをいうのであろうか。私の生みの母は気高く立派だが、不思議な安ど感を与えてくれなかった」と書く。この作品を彼の最高峰と評価する者や、母への探求に無頼生活を解くカギがあるとする者もいる。

◆作家は太宰治。①の作品は「津軽」。

*** きょうの教養 (キーンの日本文学史②第1回芥川賞)

従軍特派員として最も早い時期に戦地に派遣された。ブラジル移民集団を描いた中編「①」で第1回芥川賞を受賞した。この作品でのすぐれた群衆描写、一人一人を描き分けた筆力が、従軍記録の筆者として最適任と判断させたに違いない。

戦後、こう振り返っている。「戦争報道は嘘だ。大本営発表は嘘八百だ。戦争はおめでたいものではない。痛烈な、悲惨な、無茶苦茶なものだ」。これは戦中、戦地に赴くにあたっての態度表明でもあった。

陥落直後の南京で、軍の首脳部ではなく下士官や兵士たちに会い、「②」を書いたが、4分の1は削除された。登場する兵士は神兵とは遠い。極悪非道でもない。戦場が一群の普通の人間を変え、普段なら表に出てこない原始の力をむき出しにする。戦場は戦闘員を同じ性格にする不思議な強力な作用を持つ、と書いた。

◆作家は石川達三。「①」は「蒼茫」。「②」は「生きている兵隊」。

*** きょうの教養(キーンの日本文学史③鋭敏な私小説)

私小説作家とされているが、同列に扱うにはあまりに特異で、場違いな感じがする。確かに自分自身についてしか書かなかったが、自虐的な自己顕示ではなく、きわめて精緻で鋭敏な精神に対する洞察があった。作品に出てくる事物は、作者が眼をとめるまでこの世に存在していなかったかのようである。細かなものにまで行き届いた光をあてる感受性は、光が消え入ろうとする暗闇との一体感によって、さらに完璧なものになった。

処女作「①」は、倦怠にとりつかれて京都の市街を彷徨する貧乏な学生の手記の形をとっている。その倦怠は第一行から決定的である。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始おさえつけていた」。視覚の新しさ、幻想に対する精神の柔軟さが特質である。自己の体験を伝える意味では私小説だが、読者は、日本語で書かれた散文としての抗しがたい美しさに惹かれ、目を奪われた。

◆作家は梶井基次郎。「①」は「檸檬」(レモン)。

*** きょうの教養(キーンの日本文学史④大衆小説家)

日中戦争当時、最も人気のある作家の一人だった。1933年から新聞に長期連載された「①」は、絶賛を博した。川端康成は激賞し、文壇で論争となっていた純文学と通俗文学、リアリズムとロマンチシズムといった問題を超えて、時代の混乱に光を投げかける名作と評した。

それまでの私小説作家の自己陶酔的な回想や、左翼からの転向作家の執拗な自己分析に辟易としていた読者は、それらとは対照的な率直で男らしい文体に、わが意を得た思いだった。作家は労働者の生活を改善する行動を起こすより、彼らの苦しみを描くことに関心があった。反知性主義の代表格とも言われたが、一般読者を惹きつけ、日本人、青春、知性とは何かという問題を扱っていた。

しかし戦後、国策団体での役割が非難され、厳しい追及を受けた。際立って好戦的ではなかったが、人気が格好の標的となった。

◆作家は尾崎士郎。「①」は「人生劇場」。

*** きょうの教養(キーンの日本文学史⑤虚無的無頼派)

最後に登場するのは、月曜日と同じ無頼派の中核作家。作品が虚無的態度を表し、作家の人生が既成道徳や時代の知的通念に対する反逆行為とみられた。1945年の終戦に続く数年間、非常な人気を博した。55年に48歳で亡くなったが、人気は衰えていた。

日本文化に対する反逆心は純粋で本物で、有名なエッセイ「①」の基本を成す。意外なことの魅力、既成の価値観をひっくり返す作品は作家を英雄に仕立て上げた。日本の歴史上、儒教で悪とされたもの、神国日本の指導者によって嫌われたものについて、その福音を技巧と機知に富んだ表現で説いた。人は堕落することによって自分自身を発見し、日本も同じ道をたどる必要があるという。

睡眠剤と覚せい剤などで健康を害し、48歳で亡くなった。70年代、学生運動期に再発見されて復活し、批評家の注目を浴びた。こうした戦後作家は一握りだ。

◆作家は坂口安吾。「①」は「堕落論」。