中古典のすすめ(2023年6月26~30日)

2024.01.06教養講座

*** きょうの教養 (中古典のすすめ①)

文芸評論家の斎藤美奈子さんは2020年、「中古典のすすめ」を出版した。主に日本人が1960年から1990年代に書いた50冊を取り上げ、評論している。丸山眞男の「日本の思想」から林真理子「ルンルンを買っておうちに帰ろう」やロバート・J・ウォラー「マディソン郡の橋」まで多彩だ。名作度(本としての価値)と使える度(おもしろい、響く)を各3点満点で採点した。計6点だった本は10冊あるが、そのうち5冊の斎藤さんの評論を紹介する。

◎「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子著、1981年)

戦後最大のベストセラーで35か国語に翻訳された。トットちゃんは黒柳のニックネーム。黒柳が戦時中、東京・自由が丘にあった小学校・トモエ学園に通った時の話だ。小1のトットちゃんは変わった女の子で、公立の尋常小学校は奇行が目立って退学になった。お母さんが探して通ったトモエ学園は型破りだった。

校長先生は「話したいことを全部話してごらん」といい、トットちゃんは何時間も話し続け、「初めて本当に好きな人に会った」と感じた。毎日は驚きの連続。午後は散歩、夏は裸でプール遊び、夏休みは講堂で野宿、12月は赤穂浪士の泉岳寺まで歩く。小児まひの子に出会い、友達になった男の子が死に、小使いさんが出征し、B29から投下された爆弾が学園に落ちた。最後は、「また会おう」という先生の言葉を胸に、トットちゃんが東北に疎開する満員電車で眠る場面で終わる。

本書の類まれなる特徴は誰でも熱中できることだ。子どもも熱狂した。「赤毛のアン」や「長くつ下のピッピ」を連想する。理想的な教育実践であり、皇国史観教育の時代の七不思議のような存在だ。

今なら学習障害と診断されたかもしれないが、校長先生は「君は、本当は、いい子なんだよ!」と言い続けた。大人になった著者が、子どもの頃の自分と自分を肯定してくれた環境を、最大限の愛情をもって描き出した。すべてを肯定する物語は、すべての人を勇気づける。だから世界中で受け入れられたのだ。

*** きょうの教養 (中古典のすすめ②)

◎「橋のない川」 (住井すゑ、1961~97年)

1部から7部、文庫本で7冊の大著。すゑが着手したのが56歳で、夫を看取った後。完成させたのは90歳だった。大部だが読む価値はある。大変なら少年時代を描いた2部まででいい。

舞台は奈良盆地の「小森」という被差別部落。物語は1908年から始まる。主人公は11歳、弟は7歳、父は日露戦争で戦死し、母と祖母の4人暮らし。主人公は学校で「エッタ」と呼ばれるが、理由がわからない。お寺の子どもで、優秀な中学生がいろいろ教えてくれる。主人公は小学校の先生に「わしは、エッタやいわれるのが一番つらいネ。先生、どねんしたらエッタがなおるか、教えとくなはれ」と聞く。大阪の米屋に奉公に出るが、理不尽な差別との闘いはなお続く。2部までの物語は、集落の火事、出火の原因をつくった人の自殺、トンネル事故など多様な事件を織り込んで展開する。

3部以降は米騒動、水平社結成など部落解放運動を中心に進む。同じく被差別部落出身者を描いた島崎藤村の「破戒」、大逆事件で処刑された幸徳秋水のことが書かれ、強い印象を残している。「世の中から金持ちをなくす」という秋水の主張に主人公は興奮する。

2部までは少年の成長譚として優れており、差別される側の気持ちが感覚的に伝わる。小森の人々はみな勤勉で実直だし、祖母は差別の根源が天皇制にあることも見抜いている。中盤以降は差別の理不尽さがひたすら強調され、文学としての深みに欠けるきらいがあるが、それでも中高生はみんな読んだほうがいいと思う。今日も差別は解消されていない。差別への感受性が鈍っている時代にこそ効くストレートパンチ。「橋のない川」はそういう小説だ。

*** きょうの教養 (中古典のすすめ③)

◎「どくとるマンボウ青春記」(北杜夫、1968年刊)

戦後日本の読書界において、ユーモアエッセイというジャンルを開発したのは、北杜夫と遠藤周作といっていい。北は1960年、水産庁の船に船医として乗り込んだ旅のエッセイ「どくとるマンボウ航海記」で人気作家となり、動物エッセイの「昆虫記」を書いた。10代でこうした本に出会った人は幸せである。シニカルな見方とスノッブな表現を学ぶから。

「青春期」の舞台は1945~52年まで。旧制松本高校に入学して文学に親しむが、父の命で東北大学医学部に進むころが描かれている。終戦直後、悩まされたのが空腹だった。食糧難の時代だが、旧制高校性は憧れの的。「弊衣破帽」ってやつになっていく。華は寮生活で、酒、たばこ、議論、ストーム(夜の寮内での蛮行)に興じる。先輩はカントやヘーゲルと友達のような口ぶりだが、「カントを読んでびっくら仰天した。書いてあることが神明にかけて理解できなかった」と書く。

描かれたバンカラ青春は旧制高校特有の文化だった。全国に39校しかなく、帝国大学への進学がほぼ約束された学歴社会の超エリートだった。同年代の男性に占める比率は1%。悪口をいわせてもらえば、ま、優越感にまみれたホモソーシャルな鼻持ちならない集団である。執筆時の北は40歳で、旧制高校OBが社会の中枢にいたので、ニーズはあった。失われた文化へのノスタルジーである。本の後半は旧制高校を卒業してやる気のない医学生になった20代の青春期だ。

どくとるマンボウシリーズは、私小説に近い。北は、著名な歌人で医師でもある斎藤茂吉の呪縛が大きかった。憂いを含んだ文章で父との葛藤込みの青春を描けば文学作品になっただろう。北はしかし、そうはしなかった。私小説と自伝的エッセイのちがいは、対象に対する向き合い方のちがいである。うっかり思弁的、文学的表現をしてしまった後は、「なーんちゃって」というようにバカ話をし、笑いに逃げ込まずにはいられない。こういうのを韜晦(とうかい=自分の才能を隠す)、諧謔(かいぎゃく=気の利いた冗談)というのだね。

*** きょうの教養 (中古典のすすめ④)

◎「自動車絶望工場」(鎌田慧、1973年)

今や伝説の書、鎌田の出世作である。1972年8月、地方紙に載った季節工の広告を見て、青森県弘前市から愛知県のトヨタ自動車本社工場に来た。当時34歳、働いた5か月間の記録である。

日記は臨場感と徒労感に満ち満ちている。多くの言葉が割かれるのが、ベルトコンベア労働の過酷さだ。「コンベアはゆっくり回っているように見えたが、錯覚だった。たちまちのうちに汗まみれ。喉はカラカラ。煙草どころか、水も飲めない。トイレなどとてもじゃない」。過労で倒れた同僚は何の保障もなくクビになる。労災死亡事故が起きても「重大災害が発生して遺憾に思う」という社長声明と、「ごめい福を祈ります」という労組メッセージのみ。単純反復労働と人間性をはく奪された日々が続く。浮かび上がるのは社内外から見たトヨタのギャップだった。

評論家の草柳大蔵氏は「企業王国論」で日本企業を称賛した。草柳氏は大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員だったが、候補作になった「自動車絶望工場」は「取材方法がフェアではない」という理由で落選した。鎌田は草柳氏の論考を批判する文章も書いていたが、落選はむしろ鎌田の武勇伝であろう。

書かれた当時は田中角栄内閣が誕生し、列島改造論に沸いていたが、本書は経済大国への道を歩みつつある産業界に冷や水を浴びせた。労働者をめぐる状況は2000年代に悪化した。2004年に製造業への派遣が原則自由化され、絶望工場化はさらに進んだ。2008年の秋葉原無差別殺傷事件の容疑者はトヨタの関連工場に派遣されて働いていた。2020年から非正規との格差を是正する「同一労働同一賃金」の原則が一応掲げられているが、経済が悪化すれば、真っ先に切られるのが最下位の非正規労働者である。本書の告発はだから色あせない。いまも、おそらく将来も。

*** きょうの教養 (中古典のすすめ⑤)

◎「桃尻娘」(橋本治、1978年刊)

困ったことに感染するのよね「桃尻語」って。この文体で書きはじめたら、もう止まんないのよ。1年C組榊原玲奈。これが主人公で、書き出しはこんな感じ。「大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから」。玲奈は15歳、都立高校1年。べつに不良じゃないのよ。「今日、アレが来た。アー、ホントにやっと来たって感じでサ、よかったよかった」。この人、妊娠の心配してたのよ。でも恋愛もしてないのよ、玲奈はっ。いろいろ出てくるけど、この瞬間に日本文学は変わったの。日本の女の子が変わったんじゃなくて、文学が変わったの。日本文学はヤリたいのにヤレない男が悶々とする話ばかりだったけど、んなこといちいちガタガタいうんじゃねーよ、ってね。

おかしな高校生があと3人いるの。磯村薫。トラウマは年上の女にレイプされたこと。木川田源一、通称「オカマの源ちゃん」。オカマは現在NGワード、ゲイなの。醒井(さめがい)涼子。天然美人お嬢様でウザイとこがあんのよ。以上4人が卒業するところで一応終わるんだけど、驚くべきは、このシリーズが完結編の「雨の温州蜜柑姫」(1990年)まで続き、全6冊の青春大河小説になっちゃったことだよね。

「桃尻娘」は、それまでモノクロだった青春小説を総天然色に変えたのよ。もしも「桃尻娘」がなかったら、山田詠美「ぼくは勉強ができない」も、綿矢りさ「インストール」も、生まれてなかったと私は思うわ。そんで日本文学は頭のかた~いオヤジに独占されててさ、いまごろ死んでたと思うわ。

高校を出た後の玲奈たちは、別の道に進み、完結編では30代になる。大人になるにしたがって、彼らはちょっとずつ過激さを失っていく。そこが青春小説の残酷なとこなのよ。でもまあ、できれば6冊とも読むといいと思うわよ。ハマるわよ。