企業倫理・理論編(2023年6月5~9日)

2024.01.06教養講座

*** きょうの教養 (企業倫理・理論編①功利主義)

企業倫理・理論編

社会における企業の存在感は高まっている。かつては短期的に儲ければいいという傾向もあったが、今は持続可能性が注目されている。世界がグローバル化し、「SDGs」に代表される規範意識も高まり、「企業倫理」の重要性も大きくなっている。しかし、実態や内実は多様だ。「企業倫理入門」(高浦康有ら著、2022年刊、白桃書房)から各種の理論を紹介する。

①功利主義

人間のさまざまな欲求の充足や快楽を「功利」と呼ぶ。功利に注目して社会全体の幸福を最大に高めることを「功利主義」という。ベンサムやミルら19世紀の英国の思想家によって提唱された。特徴は2点ある。第一は、ある行為の結果が最善かという「帰結主義」である。第二が、最善によって「幸福の総和が最大になる」という「幸福帰結主義」である。幸福の測定は、各自の幸福をポイントにして単純加算する「功利計算」を行う。特定の者を優遇したり、えこひいきしたりしないので、偏りのない「不偏性」があるとされる。

ただ問題点として、①行為の正しさを結果のみに求めることは一面的ではないか②善が幸福に尽きるという考えは言い過ぎではないか③公平性に無関心ではないか、が指摘されている。

確かに功利主義は不十分な面がある。しかし、最近注目されているステークホルダー経営の観点から考えると、実践的な意味がある。短期的利益を優先した株主偏重の弊害が言われているが、功利主義の不偏性によって、株主に偏った経営は不健全と判断できる。従業員の幸せは、金銭的報酬だけでなく、長時間労働やハラスメントのない健全な職場も重要だ。これは幸福帰結主義の思想とマッチする。功利主義のレンズを通すと、企業経営が果たすべき最低限の条件が見えてくる。

*** きょうの教養 (企業倫理・理論編②義務論)

②義務論

義務の視点からビジネスを考えれば、顧客や従業員との契約を守ることから、人権や尊厳を尊重することまで、さまざまな義務がある。低賃金の長時間労働を行っている場合、功利主義の観点なら、それが長期的に売上を増やすか減らすかという「結果」で考える。義務論の立場は、行為自体が義務によって成されたかを考える。結果を重視する功利主義は「帰結主義」と言われるが、義務論は結果が失敗でも義務に従った行為なら道徳的に正しいと考え、「非帰結主義」とされる。

代表的な理論家はドイツのカント(1724~1804)で、人権概念の中核となる「人間の尊厳」を重視する。特徴は、道徳判断が誰にでも当てはまる普遍的法則に合致すると考える点にある。ビジネスの場面でも例外なく成り立つ普遍的な道徳判断が、人間の理性によって可能だと考えた。「理性主義」とも言われる。カントは道徳に関する判断について、特定の条件で成り立つ「仮言命法」と、無条件で成り立つ「定言命法」の2つあり、後者が道徳法則だと考えた。

これをビジネスに応用すると、契約の反故や非道徳的企業との提携、情報漏洩など問題があると思われる行為は、例え結果が良くてもすべきではない。ステークホルダーに何かを強制したり、人を手段として扱ったりする行為は排除される。また、権威主義的な管理、機械的で科学的な管理、極端な分業など、組織のメンバーを手段として扱う手法は否定され、民主的な組織が求められる。

*** きょうの教養 (企業倫理・理論編③正義論)

③正義論

西洋思想の正義論には複数の体系がある。代表的なものは、人格面での完全無欠さを重視したアリストテレス(紀元前384~332)、自由で公正な社会正義を重視したロールズ(1921~2002)である。

アリストテレスは「ニコマコス倫理学」で、優れた魂の状態を「正義」ととらえた。優れた人物の全体像を表すのが「全体的正義」であるのに対し、対人関係での関係を「部分的正義」と位置づけ、4つあるとした。本来の状態まで埋め合わせる「是正的正義」、双方の必要を自発的に満たす「交換的正義」、功罪にふさわしい賞罰を与える「応報的正義」、人物にふさわしい地位と役割を割り当てる「部分的正義」だ。それぞれの特徴は異なるが、関係性のバランス=適切な釣り合いを正義と呼んでいる。

ロールズは1971年に発表した「正義論」で、個人や行為に着目する伝統的な正義のイメージを変えた。誰でも自由を享受できる社会を構想し、公正さを重視する「社会正義」を唱えた。キーワードは「分配」で、分配の理由について、不遇者を弱者に変えないためと主張した。分配の対象は自由に等しく生きるための基本財とした。

分配のルールについては、「正義の二原理」を提唱した。第一原理は、基本的な自由を個人は等しく権利として保持すべきという内容で、「平等な自由な原理」と呼ぶ。第二原理は、社会的地位と経済的利益の不平等が許容される合理的な条件に関わる内容で、二つの細則がある。一つ目は、最も不遇な人々の利益最大化が図られている場合に限り格差を認める「格差原理」。もう一つは、機会が均等に開かれている条件で生じる不平等を認める「機会均等原理」だ。 「正義の二原理」を社会が受容するプロセスについて、人間の合理的判断と選択にゆだねる手続き的正義も重視した。

社会正義論をビジネスに応用すれば、企業の倫理課題の多くは経営資源の分配に関係しており、公正さに配慮した企業経営が求められることになる。自由と多様性の尊重や少数派を弱者にしない今日的な関心に応えるものでなければならない。

*** きょうの教養 (企業倫理・理論編④徳理論)

④徳倫理

徳理論は、人間にとっての善い生き方や幸福を問い、徳を備えることの重要性を説く。徳理論の祖はアリストテレスで、「ニコマコス倫理学」で主張している。究極的な善としての幸福は、巨万の富でも名誉でもなく、善き生き方であり、「エウダイモニア」を呼んだ。「幸福」や「善き生」とも訳されるが、善き人間となることによって達成される生を意味する。

「徳」はギリシア語の「アレナー」に原語があるが、アリストテレスは人間固有の機能は「理性」だと考えた。それは人間の関係性の中で発揮され、思いやり、協調的な態度、寛容さ、感謝の念、正直さ、公正さ、誠実さ、ユーモアや機知が重要になる。とりわけ重視したのが「中庸」で、欠乏と超過という二つの悪徳の中間にある。例えば、勇敢という徳は、臆病と無謀の中間である。有徳な人は、置かれた状況で発揮すべき徳を理解し、実際に実践する。特に長期にわたる実践が大切で、有徳であろうとする自己改善によって善き生となる。

ビジネスに応用すれば、企業の目的は、経済的利益の追求に加え、そこで働く人の徳の陶冶、人間的な成長を支えることが重要となる。善き生には善き仕事が含まれ、社会を豊かにし、誇りを持て、充実や喜びや成長を感じられる仕事が期待される。

日本の実業家では、渋沢栄一が代表的だ。幼い時から親しんだ「論語」の教えをもとに「道徳経済合一説」を唱えた。各人がヒト、モノ、カネ、知恵を持ち寄る「合本主義」の構想を持ち、「日本資本主義の父」と呼ばれた。京セラの創業者である稲盛和夫もこの系譜に入る。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」と定義した。最も重視するのが「考え方」で、これ次第でプラスにもマイナスにもなる。心のあり方や生きる姿勢、倫理観と置き換えることもでき、具体的には、利他、感謝、前向きさ、協調性、明るく肯定的などをあげることができる。マイナスの考え方は、利己的、強欲、傲慢、非協調的な姿勢などだ。こうした考え方は、グローバル資本主義が生き詰まりを見せる中で注目されている。

*** きょうの教養 (企業倫理・理論編⑤行動倫理)

⑤行動倫理

企業は倫理教育やコンプライアンス研修を実施しているが、不祥事はなかなか減らない。人々に倫理性を植え付けようという従来のアプローチと異なるのが、行動倫理だ。シカゴ大学のリチャード・セイラーが2017年に行動経済学でノーベル賞を受賞し、行動科学が注目を集めている。人間の実際の行動法則を明らかにし、行動を予測したり、コントロールしたりしようというものだ。カギになるのが、認知バイアスや人間心理に関わる心の動きである。背景には、ハーバート・サイモンが1940年代に提唱した「人間の判断の合理性には限界がある」という限定合理性がある。

従来の倫理学は「倫理観の欠けた人間が非倫理的行動をとる」と考えるが、行動倫理学では「誰でも非倫理的行動をとってしまう」という前提を置き、背後にある要因に着目する。行動科学の観点から予防策を講じ、人の行動を倫理的な方向に誘導しようとする。

非倫理的な行動を生むメカニズムが複数ある。「倫理の後退」のメカニズムでは、次のような実験がある。有害除去装置をつけなかった場合、罰金の有無でどう違うかを調べた。罰金付きの方が違反は少ないと思われるが、結果は逆だった。罰則が導入されると、罰金を払うかどうかという経済的な問題になり、倫理が後退する。

このほかのメカニズムとして、自己中心的な考えで非倫理的行動を正当化する「自己中心主義」、婉曲的な表現で社会的に許容されない行為でも許容されると思い込む「婉曲的表現」、先入観で決めてしまう「無意識の偏見」、自分と共通点のある人の便宜を図る「内集団びいき」、良い行為をする代わりに多少の非倫理的行為を許容する「善行の免罪符効果」などがある。行動倫理学は、「こうあるべき」という理想がうまく実現しない場合、人間性への深い洞察によって、何が問題やネックになっているかを明らかにできる可能性がある。