教養の科学史(2023年10月9~13日)

2024.01.06教養講座

*** きょうの教養 (教養の科学史①)

今週は「科学史」を取り上げる。日本の教育や受験は、文科系と理科系に分かれており、日本人の思考に染み付いている。これは人間、とりわけ日本人が便宜的に分けた区分で、現実の社会では文理は一体になって存在している。最近、「文理融合」が叫ばれ、やっと変わり始めている。今回は主に文科系向けの講座として自然科学の歴史を概観する。「世界でいちばんやさしい教養の教科書 自然科学の教養」(児玉克順著)を参考にした。

◎科学の始まり  始まりは古代ギリシア時代といえる。現実を主体と客体に分けた場合、通常は主体が自分との関りを通して客体を考察する。科学は主体と客体を切り離して実験や観察をする。古代ギリシアでは対象を客観的に研究し、世界は見えない秩序(コスモス)で成り立っていると考えた。信仰を中心とする当時としては画期的な世界認識だ。 プラトンやアリストテレスらが有名で、エジプトから入手したパピルスという紙を活用した。しかし、古代ローマ時代になると、ローマ人は実用的でない知識を軽視し、キリスト教会は神の教えに反するものを排除した。

古代ギリシアの叡智が再び脚光を浴びたのは、イスラム社会だった。パピルスに書かれたギリシア語の著作を発見し、アラビア語に翻訳させた。中国から伝わった紙も活用した。翻訳中心で、新たな叡智を獲得したわけではないが、数学の分野ではインド数学の影響を受けて8世紀ごろからアラビア数学が発展した。

11世紀の十字軍遠征によって、ヨーロッパ人はアラビア科学に出会った。書物をラテン語に翻訳して活用しようとしたが、当時はまだ教会の影響力が強く、学問の中心は神の存在を証明することだったので、実利的な面に限られた。

*** きょうの教養 (教養の科学史②)

◎近代科学の始まり コペルニクスがキリスト教会の教義に反する地動説を発表して衝撃を与えたが、教会の影響力もまだ強く、神の存在を前提とした理論だった。ガリレイは天体望遠鏡を使って地動説を確信し、教会から迫害されても自説を曲げなかった。それまでは論理によって頭の中で考察することが学問の中心だったが、実験と観察による証明が重要になった。哲学者のデカルトは「すべてのものはそれ自体のからくりで自動的に動く」という機械論を主張した。ニュートンは万有引力の法則を証明した。古代キリシアのアリストテレスは地上と天上は別世界と考えたが、地上も天上も普遍的な法則で成り立っていることが明らかになってパラダイムシフトが起こり、力学的自然観が確立した。

思想的にはルネッサンス、技術的には活版印刷の発明という背景もあり、科学革命が進展した。イギリスの王立協会、フランスの王立科学アカデミーなどの学会が研究の場を提供した。生物学の世界では、16世紀の顕微鏡の発明によって動物も植物も細胞という同じ構成単位でできていることがわかり、19世紀には遺伝の法則、20世紀にはDNAの構造へとつながった。17世紀の錬金術から化学が誕生し、18世紀にラボアジェが定量的観察で質量保存の法則を導き出して元素分析の基礎をつくり、化学革命を起こした。地球の構造を研究する地質学、化石を分析する古生物学の世界では、採掘技術の進歩が大きな転換を生み、エネルギー資源の採掘や地球の歴史研究が進んだ。

19世紀からヨーロッパでは国民国家が誕生し、国単位の競争が激しくなった。科学の成果が軍事、経済、国家の利益と強く結びつき始めた。産業革命も進展し、国家の制約を少なくした資本主義が発達していく。

*** きょうの教養 (教養の科学史③)

◎現代科学への道  アルフレッド・ノーベルは、自ら発明したダイナマイトによって多くの命が奪われたことへの贖罪から、ノーベル賞を発表した。ダイナマイトは採掘の手助けだったが、戦争でも使用された。ノーベルの遺言は「人類のために貢献してくれた人に賞を贈ってくれ。科学は人類の幸せのためにある」ということだったが、その後の飛躍的な科学の進歩は人類に脅威ももたらすようになった。

2度の世界大戦によってさまざまな科学と技術が進歩した。第1次世界大戦では毒ガスが登場し、「化学戦」といわれた。第2次世界大戦では、爆弾、飛行技術、医療の進歩、暗号解読、さらには核兵器が開発され、「物理戦」と言われ、科学技術をより進歩させた国が戦争で勝利した。

戦後、技術と科学が相互に進歩し、加速度的に進化した。二進法の計算でコンピューターが進歩し、最近では量子コンピューターが生まれている。GPS衛星の補正にあたっては、アインシュタインの相対性理論が活用されている。科学の成果は科学者が予測もつかないような事態を引き起こすことが明らかになってきた。一例は、人間が人工的に製造したフロンガスだ。スプレー缶やエアコンの冷媒、コンピューターの洗浄などに応用されたが、フロンガスが地球を取り巻くオゾン層を破壊し、太陽からの紫外線がより地上に届くようになってしまった。フロンガスがオゾン層に届くまで10年かかり、その間人間は気づかなかった。魔法のガスといわれたフロンガスが地球規模の災厄をもたらすとは誰も思っていなかった。

科学者は自分の研究だけはだけやればいいという時代は終わった。新技術は人類を未知の領域へ連れて行こうとしている。AI(人工知能)への依存が代表例で、戦争兵器に使われる不安も出ている。AIが人間を超える「シンギュラリティー」が2045年とも予測されている。科学は世界規模で社会とモラルとの関わりを問われている。

*** きょうの教養 (教養の科学史④)

◎相対性理論  光は「粒子」か「波」か。これが相対性理論を考える時に重要だ。光の研究は古代ギリシャからあったが、17~18世紀、ニュートンは光の正体を粒子とし、同時代のホイヘンスは波とした。19世紀後半、マクスウェルによって光の正体は電磁波の一つとわかった。ただ、金属板に光を当てることで電子が飛び出る「光電効果」と呼ばれる現象について、19世紀以前の科学はうまく説明できなかった。

ここにアインシュタインが登場した。「光は粒子で、光の粒子が金属板にある電子を引き出す」と考えた。光が波のひとつであることは否定できないため、光は波と粒子の両方の性質を持つ「量子」のひとつであるとし、光の粒子を「光子」(光量子)と呼んだ。

次に特殊相対性理論について説明する。多くの科学者は時間と空間を絶対だと思っていた。しかしアインシュタインは、光の速度を絶対の不変の原理とした。そして、時間と空間が光の速度に合わせて相対的に変化すると考えた。光の速度は不変であり、送り出されたエネルギーは速度に回らずに物体の質量を増大させる方に働く。これを突き詰めると、質量とはエネルギーそのものとなり、さらに突き詰めると、アインシュタインを象徴する公式「E=mc²」が成立する。エネルギーと質量が等価であることを示す公式で、質量が小さくても高速の2乗をかけるので、得られるエネルギーは膨大になる原理だ。核兵器や核分裂に応用された。これが重力の存在を抜きにした慣性系という特殊な立場で成り立つ特殊相対性理論(1905年)だ。

一般相対性理論(1915年)は、加速度運動をする座標系も含めた立場でもあてはまる一般的な理論となる。巨大な質量の物体は時空をひずませ、ひずみの大きさが重力の正体だと考える。この理論の考え方は、天体観測の重力レンズ効果で証明され、GPS衛星の補正作業にも応用されている。

*** きょうの教養 (教養の科学史⑤)

◎量子論  量子論の始まりは、19世紀以降の産業革命で製鉄業が盛んになり、熱せられた鉄や炎の色が温度と相関関係にあることがわかってきたことだ。19世紀末には光の明るさと波長の関係について数式で表すことに成功しまた。光の正体を「光量子」という粒子と考えたのはアインシュタインだが、この数式から着想を得た。

量子論の始まりでは電子の研究も外せない。19世紀後半、原子の中に電子が発見され、原子は物質の最小単位ではなくなった。その後、「電子は波でもあり粒子でもある」、言い方を変えれば、「状態でもあって物質でもある」となった。日常の生活ではありえないことだ。

しかも電子は常識では考えられないようなふるまいをする。17世紀から築き上げた古典力学(ニュートン力学)からすれば、存在すら許せない世界だ。古典力学は、世界のあらゆる場所は同じ法則に従っていて、その法則はある条件下なら結果は必ず同じになるという「決定論」だった。しかし量子力学の世界には別の法則があり、結果を確率的にしか決められない「確率論的な立場」になる。科学者の意見は大きく割れ、確率論の人たちはコペンハーゲン学派といわれている。

量子に不思議な振る舞いがなぜ起こるのか今もよくわかっていないが、人類はその性質を利用している。今までのコンピューターは二進法だったが、量子コンピューターはゼロと1が重なり合っているという発想で、スーパーコンピューターの1億倍の処理能力を持っている。量子情報通信は、離れていてももつれあった光子AとBは同時に情報を共有できる性質を利用し、傍受も暗号解読も不可能な情報通信を可能にしている。