村上春樹インタビュー(2023年12月11~15日)
*** きょうの教養 (村上春樹インタビュー①)
作家村上春樹の本に「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」(文藝春秋、2010)がある。1997~2009年に受けた内外18編のインタビューをまとめている。1995年の地下鉄サリン事件を題材にした「アンダーグラウンド」の出版直後から、「海辺のカフカ」(2002)を経て「1Q84」(2009~10)の構想をまとめた時期にあたる。サリン事件、2001年のニューヨーク9.11事件が大きな影を落としている。印象に残る発言を選び、再構成して紹介する。
◎アウトサイダー(1997年12月、聞き手:ローラ・ミラー)
問:「ねじまき鳥クロニクルで」で戦争を取り上げた理由は?
村上:父は兵隊として中国大陸に送られた世代に属しています。僕は子供の頃に何度かその話を聞かされました。父は多くを話はしなかったけど、いくつかのことは記憶に残っています。遺産のようなものですね。記憶の遺産です。僕らは今、途方に暮れているようなところがある。日本人が、ということです。戦争が終わってから勤勉に働いてきました。脇目もふらず働いた。国は復興を遂げ、だんだん豊かになった。そして安定した。これで一安心。でも我々はどこにたどり着いたのか? これからどこに行くのか? 我々は一体何者なのか? 一種の自己喪失のようなものです。
◎現実の力・現実を超える力(1998年8月、聞き手:洪金珠)
問:学生運動は影響を与えていますか。
村上:影響はあると思います。「言葉への信頼の喪失」みたいなものをもたらしたかもしれません。威勢の良い言葉も、美しい熱情あふれる言葉も、自分の身のうちからしっかり絞り出したものでない限り、ただの言葉に過ぎない。時代とともに過ぎ去って消えてゆくものです。僕は「耳に心地よい言葉」はあまり信用しなくなりました。小説を書くにあたっても、人の言葉を借りることはせず、新しい「自前」の語彙を絞り出すように努めてきました。
*** きょうの教養 (村上春樹インタビュー②)
◎「スプートニクの恋人」を中心に(1999年10月、聞き手:島森路子)
問:誰かとつながることの意味は?
村上:(不安を抱えた)20~30代からメールを受け取ることが多い。人が孤独に、しかも十全に生きていくのはどうすれば可能かということだろうと思う。40代になれば、忙しくて自分自身で孤独に生きていくことについて深く考える機会がなくなっている。昔は一種の美学みたいなものがあって、孤独に生きていても、美学を守っていれば、十全に生きていけるパースペクティブがあった。でも最近少し変わってきたのは、形にならない連帯感、一種の共感状態のようなものが大事なんじゃないか。そういうものがないと非常に危険な状態になると思うようになってきた。若い人のメールを読んでいると、選択肢が多すぎて自信を失っているというか、一本の方向性が見えなくなって、迷っている人がすごく多い。
◎「海辺のカフカ」を中心に(2003年3月、聞き手:湯川豊、小山鉄郎)
村上:世界の人がこんなに苦しんでいるのは、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからですよ。僕は文章で生きている人間だけど、自己表現なんて簡単にできやしない。砂漠で塩水飲むようなものなんです。飲めば飲むほど喉が渇きます。世界の近代文明は自己表現が人間存在にとって不可欠であると押し付けているわけです。教育だってそういうものを前提条件として成り立っていますよね。まず自らを知りなさい、自分のアイデンティティを確立しなさい、他者との差異を認識しなさい、自分の考えていることを正確に体系的に客観的に表現しなさい、と。これは本当に呪いだと思う。だって自分がここにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。玉ねぎの皮むきと同じことです。
*** きょうの教養 (村上春樹インタビュー③)
◎「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」(2003年6月、ミン・トラン・ユイ)
問:日本文学との関係は?
村上:僕は三島(由紀夫)や川端(康成)とは多くの点で全く異なります。とりわけ文体が違います。彼らの散文は、形式に重きを置いたものであり、曖昧で、高踏的で感情で飾りつけられています。僕が求めているのは自然でシンプルな文章です。しなやかで飾り気のないものです。これが伝統的な日本人作家と僕を隔てるものです。彼らのいう「伝統への義務」など、信じていません。18歳の頃、19世紀ヨーロッパの古典を読んでいました。主にトルストイ、ドフトエフスキー、チェホフ、バルザック、フローベル、ディケンズです。教養の基礎は古典と大衆文化につながる文学の混交なんです。
問:「ねじまき鳥クロニクル」で書いた第二次世界大戦の責任について考えは?
村上:戦後生まれの人々は「私たちに責任はない」といいます。僕の意見は違います。歴史と集団的な記憶だからです。自分たちの父親の世代に関して僕らには責任がある。あのような残虐行為を書いたのは、そういう理由です。僕らは、自分達のうちに記憶を共有物として保存しておかなければなりません。
◎ロシア読者からの質問(2003年10月)
村上:僕が個人的に興味を持っているのは、人間が自分の内側に抱えているある種の暗闇のようなものです。暗闇の中ではいろいろなことが起こります。それらの物事をしっかりと観察し、物語という形で、そのままリアルに描きたいのです。解析したり説明したりするのではなく。
村上:僕は、小説の目標をドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」においています。小説が持つすべての要素が詰め込まれています。統一された見事な宇宙を形成しています。現代における総合小説のようなものを書きたいと考えています。希求しているのは「純文学」に近いかもしれません。しかし同時に、文学世界におけるエリーティズムみたいなものにどうしても我慢できません。語りたいのは、人の心に真っ直ぐに届く、正直な物語なのです。人が本を読み終えた後、そのまま夢の中に持ち越されるような、強い、リアルな物語なのです。
*** きょうの教養 (村上春樹インタビュー④)
◎「走っているときに僕のいる場所は、穏やかな場所です」(2008年2月、聞き手:マイク・グロッセカトヘーファー)
問:小説を書くきっかけは?
村上: 1978年4月、僕は神宮球場の外野席でヤクルト対広島の試合を見ていました。たしか安田と外木場の投げ合いでした。太陽が照っていて、ビールを飲んでいました。ヤクルトのデーブ・ヒルトンが、完璧なヒットを打って、その瞬間に小説を書こうと思ったのです。気持ちの良い高揚感で、今でも胸にそれを感じることができます。
問:よく走っていますが、きっかけは?
村上:単純に体重を落としたかったのです。それまでタバコを1日60本ほど吸っていましたが、33歳で禁煙すると決めました。すると腰のあたりに急に脂肪がついてきました。僕は、チーム競技には向いていません。自分一人でやる方が性に合っています。いまは毎日、午前4、5時に起きて、4、5時間は小説を書きます。それが終わると走りに出ます。普通は10キロですね。走っていると、頭の中が空っぽになっていきます。芸術的な仕事をするのは基本的に不健康なことです。だから芸術家はそれを補完するために、健康的な生活を送るべきだというのが僕の意見です。
◎「ハルキ・ムラカミ、あるいは、どうやって不可思議な井戸から抜け出すか」(2008年11月、聞き手:アントニオ・ローザ)
問:多くの読者に受け入れられていることをどう説明しますか。
村上:正直わかりません。あえて理屈をつければ、優れた物語、力に満ちた物語には、いずれそれに相応しい読者と出会うということです。美しい文体や知的な筋に価値はあるけれど、最終的に重要なのは、次々に起こる何かを読者に期待させることです。次の展開がどうなるのか、読者が想像せずにはいられない。それが優れた物語です。言語や国境を越えて。
問:インタビューを嫌うのはなぜですか?
村上:多くの人は僕の実物を知ってがっかりします。彼らは僕が何か特別な人だと思っているからで、僕はその期待に応えることができない。机の前から離れると、いたって普通の人間だから。
*** きょうの教養 (村上春樹インタビュー⑤)
◎るつぼのような小説を書きたい 「1Q84」前夜(2009年春、聞き手:古川日出男)
村上:僕は生まれてから、二日酔いとか頭痛とか肩こりとかに一度もなったことがない。みんな苦しいって言うけど、どれも実感としてよくわからない。
村上:自分の魂の不健全さ、歪んだところ、暗いところ、狂気を孕んだところ、小説を書くためにはそういうものを見ないと駄目だと思います。そのたまりみたいなところまで実際に降りていかないといけない。そうするためには健康じゃなくちゃいけない。肉体が健康じゃなければ、魂の不健全なところをとことん見届けることができない。
村上:「9.11」後のアメリカに行って感じるのは、一種のリアリティが現実世界からどんどん希薄になっているということです。少人数のテロリストが大型ジェットをダブルハイジャックして、ワールド・トレード・センターを二つともきれいに壊しちゃったわけです。あれくらいスパッと決まってしまうことって現実にはありえないですよね。みんな事件をまだうまく飲み込めていない。腹の底までその実感が達していない。あまりに唐突にあまりに見事に起きてしまった。9.11が起こっていなかったら、今とは全く違う世界が進行しているはずです。おそらくはもう少しましな、正気な世界が。
村上:長期的に見れば、冷戦の終結と原理主義の台頭、系統的な思想性の崩壊とリージョナリズムの勃興、グローバリズムと反グローバリズムの拮抗、メガ資本主義の登場と環境運動の盛り上がり。いたるところで生じる多面的なぶつかり合いみたいなものが、ある種の混沌とした場を作り出していて、それが僕の書く小説を受け入れやすくしていく土壌になっているんじゃないかなと。新しいカオスの場みたいなものが、既成の文学体系のようなものぶち壊しているのかなとも思います。