河合隼雄の「心理療法序説」(2023年10月2~6日)

2024.01.06教養講座

*** きょうの教養 (河合隼雄の心理療法序説①)

今週は心理学者の河合隼雄氏(1928~2007)が書いた「心理療法序説」(1992、岩波書店)を紹介する。河合氏は京都大学理学部を卒業し、ユング心理学を日本に導入した人で、臨床心理士の資格整備にも貢献した。本書は心理療法の名著とされている。エッセンスを紹介するが、心理療法は個別性が強くあいまいな部分があり、理論で一刀両断できる分野ではない。詳しく知りたい人は、2009年に刊行された岩波現代文庫版を読んで欲しい。

◎心理療法とは  心理療法は、人間の心、人間存在全体に関わってくる。人間の生き方や人生全般まで考えないとできない。心理療法の目的は人生の目的を考えることである。悩みや問題解決のために対談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮を持ちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助することである。

例えば不登校の生徒がいる。両親や本人が登校を望んでいるかもしれないが、すぐに登校を目標とするのではなく、生徒の生き方全体を見ていく。家族何代かにわたる重荷がわかれば、登校を焦るより、本人やそれを避けてきた両親もともに重荷に直面していくことが必要となってくる。このようなことは実に多い。

心理療法のモデルとしてまず医学モデルがある。症状があり、検査をし、病因を除去して治癒する。自然科学的な思考で、因果関係を把握して治療するから、非常にわかりやすい。次に教育モデルがある。問題を設定して面接し、原因を発見して除去する。この考え方も因果律で、いかなる問題も原因があると考える。二つのモデルはあまり有効ではない。

第3のモデルとして成熟モデルがある。悩みを聞き、相談者の自己成熟過程が促進され、解決が期待される。多くの身体の病気も本人の自己治癒の力によって治るだから、似たようなことと言っていいかもしれない。心理療法は自己成熟の力に頼っている。人間の心には意識の支配を超えた自律性が潜在している。一般にはある程度抑えられているが、治療の場という自由にして保護された空間を与えることによって、心の奥にある自律的な力に頼り、生き方の新しい方向性を見出そうとするのである。

*** きょうの教養 (河合隼雄の心理療法序説②)

◎心理療法と現実  大学生が「自分の目と目の間のくぼみがひどく陥没している。変な顔で、気になって外出できない。整形外科に行ったが、心理療法をすべきだと言われた」とやってきた。心ではなく、顔の形が問題だと言うが、ごく普通の顔である。顔の訴え以外に特に奇異な点がないので、神経症の一種と判断をすることができる。

心理療法では「唯一の正しい現実」が存在すると考えるより、現実を人間がどう認知するか、認知の仕方はその人にどのような意味を持ち、周囲の人とどう関係するかということに関心を払う。人間の意識は層構造を持つと考えることが、現実認識のあり方を考える上で好都合である。現実が層構造を持つから意識も層構造をなしている、あるいはその逆かと因果的に理解するのではなく、両者の対応の存在を認めた上で、心のあり方に注目するというのが妥当であろう。

意識には大きく分けて表層と深層があるが、表層意識のイメージは経験的な日常生活での具体的事物と密着している。深層意識のイメージは、表層とは独立に働くところが特徴的である。自律的で、時に「妄想」とか「幻覚」といわれて異常扱いされる。表層意識からみればそうであるが、深層意識ではそれ自身の意味を持っている。そこには無欲も欲も共存している。深層意識にうごめいているイメージは全く無秩序というのではなく、それなりの形を持つ。イメージについて、古来語られている神話・昔話や夢の内容など比較すると、共通した原型(アーキタイプ)が認められる。

現実は各人のファンタジーによって創造されている。各個人が一瞬一瞬現実を創造し、認知していると言える。例えば一つの糸杉を見て、「そびえ立つ糸杉」「孤立する糸杉」「燃え上がる糸杉」と認知する。それぞれの認知に個人が実現したいイメージが関係している。相談者は苦悩を通じてどんな現実を実現したいのか。ともに考える態度が重要になる。

*** きょうの教養 (河合隼雄の心理療法序説③)

「心理療法序説」では、心理療法と科学性、教育、宗教、技法、訓練など多岐にわたって論じている。残り3回は「心理療法と文化・社会的要因」に絞って紹介する。

◎個人と社会・文化  1959年にアメリカに留学した時、「相談者が17年間も同じ会社に勤めているのは何か問題がある」と聞いて、「日本では一般に終身雇用だ」と言ったら全員が驚き、文化について話しあったことがある。 個人は生きる環境に強い影響を受けている。日本人であれば日本語で考え、感情を表現しているだけで、日本語の持つ性格で思考や感情も規定されている。どこの文化も同様である。育つ時に家族の影響を受けることも当然であり、相談者の家族関係を非常に重要視する。

個人の中にある家族、文化、社会を考えざるを得なくなってくる。例えば不登校の子どもと会っていると、母親が子どもを抱きしめて自立の力を奪ってしまっている感じを強く受ける。ところが、自立してゆく男性のモデルとなるべき父親のイメージがひどく弱い。与えられた環境の中で相談者がいかに自分の生きる道を自主的に歩み出していくかを援助するのが私の仕事だ。相談者と会っていると、一人の人の重みを痛感する。自分だけ変わることは極めて難しく、自分が変わるためには周囲を変えていかなければならない。一人を引き受ける時、家族を引き受けているという覚悟がいる。

本人の悩みが、家族や文化の悩みに通じていると明らかにするとよい場合もある。さもなければ相談者は、家族の中で「自分だけが悪い」とか「弱い」と思って、罪悪感や劣等感を持ってしまうことがある。劣等感は優越感と隣り合わせているので、前述のようなことを言った途端、相談者は「自分が家族のためを国のためにこんな風になっている」と周囲と軋轢を起こすことがある。ある程度の戦いや対決が生じてこそ人間が変わっていくのだから、軋轢も避けがたいこともある。

*** きょうの教養 (河合隼雄の心理療法序説④)

◎日本人の特性  文化理解のための軸として、父性原理と母性原理の対立がある。前者は「切る」機能、後者は「包む」機能を特徴とする。ともに存在してバランスをとることが必要であるが、どの文化もどちらかが優勢である。欧米と日本の比較では、欧米は父性原理、日本は母性原理が優勢であると考えるとわかりやすい。

母性原理は「包む」働きによって子どもを守り育てるポジティブな面と、飲み込んで殺してしまうネガティブな面とを持っている。日本文化では母性のポジティブな面が強調され、母のイメージは絶対的な価値を持っていた。しかし、西洋との接触で西洋近代の自我の確立の考えに影響されてくると、ネガティブな面が意識されるようになった。

日本人の心のあり方のモデルとして、日本神話からヒントを得て「中空構造」と私は考えるようになった。日本神話の構造の特徴は、中心が「無為」の神によって占められ、周辺にいろいろな神がうまく配置されて均衡を取り合いながら存在している。中心に全体を統合する原理や力を持った神が存在するのではなく、中心は「無」なのである。唯一の神を持つキリスト教を「中心統合型」と呼ぶのに対し、日本は「中空均衡型」と呼ぶことにした。

中心が空であるため、善悪や正邪の判断を相対化する。対立するものでも全体的平衡を保つ限り、共存できるのが特徴的である。中心統合型では中心が絶対化され、相容れぬものは周辺に追いやられるか、排除されてしまう。中空型は対立するものが共存できる妙味があるが、時にはどうしようもない悪を抱え込んだり、すべてのことがあいまいになったりする欠点を持つ。日本人の生き方を見ているとよく感じられる。中心に「無為」の人を長として象徴的に担いでおくという形をとる時もある。このような形を好む時、有能な人は長にはなれない。

*** きょうの教養 (河合隼雄の心理療法序説⑤)

◎実際的問題   日本の現代人は相当に西洋化されているが、まだまだ日本的なものを保持している。言葉では西洋流の論理を見事に駆使し一見、西洋的自我が出来上がっているように見えるが、実は本人がもともと弱いので、西洋的自我に乗っ取られている時もある。よく注意し、本物と偽物を見分ける能力を身につけるよう努力しなくてはならない。偽物はギラギラしすぎる傾向がある。近代的自我を基礎とする人間関係は「契約」を重視するが、母性原理に基づく関係では契約を理解することは難しい。

人生は母性原理だけでなく、父性原理も必要である。例えば、相談者が怒った場合、母性原理で考えると何らの限定なしにひたすら相手に尽くすのが愛情だとなる。しかし、臨床の治療者が相談者の主張を受け止めつつ、治療者としの姿勢を崩さない態度を見せれば、相談者は抑えられてきた感情を出しながら、父性原理の重要さを体験的に知っていくことがある。日本人が最初から「受容」を心がけると、途方もなく受動的になってしまって建設的な働きが生じないことがある。相談者の中には西洋的な自我確立の傾向が強く、周囲との関係がうまくいかない人がいる。そのような人には日本社会で自我を確立してゆくことの難しさとか、どのような折り合いが必要かについて話し合っていかなければならない。

日本では家族成員間の無意識的な同一化が強い。個人を引き受けることは家族全体を引き受けることと覚悟しなくてはならない時がある 。同一化とは、仲が良いとか、連絡がいいとは別次元だ。冷たい関係であっても無意識の深みでつながっている。個人が変化しようとしても、家族の全員が無意識に足を引っ張る関係もある。

家族の一人が代表になって家族の病を引き受けているようなことが多いが、その人をスケープゴートにして他の家族が幸福に暮らしている時もある。治療を開始すると、他の人は自分の幸福を脅かされることが出てくるので、抵抗することもある。治療が進むにつれて破壊と建設を繰り返しながら次元の異なる幸福を得ることになるが、この過程の家族の苦しみについて治療者はよく理解しているべきである。