理想の国語教科書(2023年6月12~16日)
*** きょうの教養 (理想の国語①パスカル)
今週は斎藤孝明治大学教授が書いた「理想の国語教科書」から紹介します。「最高レベルの日本語に出会おう。小学3年生から全世代が繰り返し味わいたいすごみのある名文」として31の文章を載せています。そのうち5編を味わってみましょう。
◎「パンセ」(パスカル著、松浪信三郎訳) 人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦(あし)にすぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すのに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間は、人間を殺すものよりもいっそう高貴であるであろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。
それゆえ、われわれのあらゆる尊厳は思考のうちに存する。われわれが立ち上がらなければならないのはそこからであって、われわれの満たすことのできない空間や時間からではない。それゆえ、われわれはよく考えるようにつとめよう。そこに道徳の根源がある。
◎斎藤解説=パスカル(1623~62)が強調したいのは、私たちの生きる意味や尊厳が、考えることにあるということだ。考えるからこそ道徳が生まれる。「パンセ」は「キリスト教の弁証論」という著作のための材料として書き留めた1000近い断章から成り立っている。神学理論を追求すると同時に幾何学の論文も書いている。単純に文系理系を分けて考えがちな日本の歩調とは異なる強い知性のあり方が見られる。
*** きょうの教養 (理想の国語②宮本常一)
◎「家郷の訓・父親の躾」(かきょうのおしえ・ちちおやのしつけ=宮本常一著) 父は学校で得た学問というものはほんとにわずかであった。その若い日に出稼ぎした社会も、文字には縁のないようなところだったし、結婚してからはずっと田舎で暮らした人であるが、この父が私の出郷に際して実に印象的な言葉をいくつか言いきかせ、これを書きとめさせた。それは次のようなものであった。
一 自分には金が十分にないから思うように勉強させることができぬ。そこで三十まではおまえの意志通りにさせる。私も勘当した気でいる。しかし三十になったら親のあることを思え。また困った時や病気の時はいつでも親のところへ戻って来い。いつも待っている。二 酒やたばこは三十までのむな。三十すぎたら好きなようにせよ。 三 金は儲けるのはやすい。使うのがむずかしいものだ。 四 身をいたわれ、同時に人もいたわれ。 五 自分の正しいと思うことを行え。
これによって私の新たなる門出がなされたのである。これらの言葉の中に含まれているものは新しい意志である。全国の農村を歩いて見ていると、その土地のよき人には皆このような分別があるように思われる。そしてこれは体験による叡智であるだけに尊い。深い体験は叡智をも深いものにする。一介の農民で生涯を終わった人であるが、心をうたれるものが多かった。私の接した多くの百姓たちのうち、村の指導的な地位にある人びとは皆かかる態度があるように思っている。
◎斎藤解説=宮本常一(1907~81)は世の中の無名な人たちの話を聞き取り、書きとめる達人で、日本を代表する民俗学者となった。宮本が書きとめておいてくれなかったら、誰の記憶からも消えてしまったと思われることがたくさんある。父の言葉は簡潔でありながら深みを持っている。子を思う心情にあふれている。
*** きょうの教養 (理想の国語③マルケス)
◎「百年の孤独」(ガルシア・マルケス著、鼓直訳)
人ごみで見失わないようにふたりの子供の手をひき、金歯の香具師や六本腕の奇術師にぶつかったり、大勢の人間から発散する糞とハッカの臭いが入りまじったものに息の詰まる思いをしたりしながら、ホセ・アルカディオ・ブエンディアはこの恐るべき悪夢の無限の秘密をとき明かしてもらうために、狂ったようにメルキアデスを捜し歩いた。言葉がわかるはずのないジプシーたちにまで声をかけた。とうとう、メルキアデスがいつもテントを張っていた場所へ来てしまった。ところがそこに立っていたのは、飲めば姿が消えるという薬を口数すくなくスペイン語で宣伝している、アルメニア生まれのジプシーだった。ホセ・アルカディオ・ブエンディアが見世物に気を取られている群衆をかきわけながら前へ出て質問したときには、男はすでにコップの琥珀色の液体を飲み干していた。ジプシーはぼんやりした目でしばらく彼を見ていたが、やがて煙と悪習の立ちのぼる溶けたコールタールに姿を変え、その上をただようように、こう答える声だけが残された。「メルキアデスは死んだよ」。
◎斎藤解説=ガルシア・マルケス(1928~2014)は、南米コロンビアに生まれ、新聞記者や映画の仕事をして小説家になり、1982年のノーベル賞を受賞した。「百年の孤独」は夢と現実が入り交じった傑作だ。南米産の強烈で独特な匂いを放ち、少量でも一度かいだら忘れることができない。登場人物たちはエネルギーにあふれているが、皆どこかに孤独を抱えている。個人の孤独であると同時に、南米そのものの孤独でもある。
*** きょうの教養 (理想の国語④野口シカ)
◎「野口英世の母シカの手紙」(原文はすべてひらがな。わかりやすく修正しています)
おまえの出世にはみなたまげました。私もよろこんでおります。中田の観音様に毎年、夜籠りをいたしました。勉強をいくらしてもきりがない。えぼし村の人からお金を返せといわれて困っていますが、お前が来たなら申し訳ができましょう。
春になるとみな北海道に行ってしまいます。私も心細くあります。どうか早く来て下され。金をもらったこと誰にも聞かせません。それを聞かせるとみな飲まれてしまいます。早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。
一生の頼みであります。西さ向いては拝み、東さ向いては拝みしております。北さ向いて拝みおります。南さ向いて拝んでおります。一日(ついたち)には塩断ちをしております。和尚様には一日(同)には拝んでもらっております。何を忘れてもこれは忘れません。写真を見ると、頭の上にささげております。早く来てくだされ。いつ来ると教えて下され。この返事を待っておりまする。寝てもねむられません。
◎斎藤解説=野口シカは1853年に貧農の家に生まれ、幼時に父母と別れ、祖母の手で育てられた。福島県の猪苗代湖畔で暮らしたが、夫は酒好きで農業が嫌いだったので、シカが一家の大黒柱としてフル回転で働いた。英世が囲炉裏に落ちて大やけどしことを心の負い目として持っていた。手紙は1912年、渡米12年で世界に認められ始め、ニューヨークいた英世に送ったものだ。美文ではないが名文の代表だ。読む者の心を揺さぶる力を持っている。
*** きょうの教養 (理想の国語⑤ラッセル)
◎「幸福論/退屈と興奮」(バートランド・ラッセル著、安藤貞雄訳)
退屈をまぬがれたいという願いは自然である。事実、あらゆる民族は、機会あるごとにこの願いをさらけ出してきている。未開人が初めて白人の手から酒を味わったとき、ついに幾時代にもわたる退屈から逃れる道を発見したのだ。そして、政府が干渉した場合を除いて、彼らは飲みさわいで死んでしまった。戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部であった。隣人とのけんかでさえ、何もないよりはましに思えたのだ。それゆえ、退屈は、道徳家にとってきわめて重要な問題である。というのも、人類の罪の少なくとも半分は、退屈を恐れることに起因しているからだ。
偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、古来、偉大な生涯はおしなべて退屈な期間を含んでいた。アメリカの出版業者が初めて持ち込まれた原稿として旧約聖書をまのあたりにした場合を想像してみるがいい。「この章はぴりっとしていませんな。読者の興味を引きつけることはできませんよ。余計な箇所を省いてください」と言うだろう。
カントは、一生涯、ケーニヒスベルク町から十マイル以上離れたことはなかったと言われている。ダーウィンは、世界一周をしたあと、生涯をずっとわが家で過ごした。マルクスは、いくつかの革命を起こしたあと、残りの日々を大英博物館で過ごすことに決めた。総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。
◎斎藤解説=バートランド・ラッセル(1872~1970)は、世界トップの知性を持った偉大なる常識人だ。しかし凡人とは程遠く、厳密な数理哲学者である。核兵器廃絶などの平和運動にも熱心に取り組み、89歳の時、核兵器反対の座り込みをして7日間拘留されたという豪快な人物だった。「実りある退屈」という考え方は、私たちの生活をとらえ直すための重要なキーポイントだ。