論語(2023年11月27~12月1日)
*** きょうの教養 (論語①)
今週は「論語」を取り上げる。改めて言うまでもなく、孔子と弟子たちの言葉をまとめた書物で、指導層だけでなく一般の人達の教科書でもあった。儒学の起点だが、日本では江戸時代に一派である朱子学が重用され、体制維持の御用学問ともいわれた。長幼の序を重んじるなど体制維持に都合のいい言説もあるが、人の生き方として大変参考になる。最初の章である「学而」(がくじ)を取り上げる。孔子の言葉には書き下し文と現代語訳、私の独自解説をつけた。弟子の言葉は現代語訳だけとした。参考文献は「論語 増補版」(加地伸行訳、講談社学術文庫、2009年)。
【1】「子曰く、学びてつねに之を習う。また悦ばしからずや。朋遠方より来るあり。また楽しからずや。人知らずして怒らず。また君子ならずや」
◎現代語訳:孔子の教え。たとえ不遇な時であっても、学ぶことを続け、いつでもそれが活用できるように常に復習する。そのようにして自分の身についているのは、なんと愉快ではないか。突然友人が遠いところから私を忘れないで訪ねて来てくれる。懐かしくて心が温かくなるではないか。世間に私の能力を見る目がないとしても、耐えて怒らない。それが教養人というものだ、と。
◎解説:「とも遠方より来たり。また楽しからずや」は知られている一文だが、学び続ける姿勢とセットになっていることが重要ではないか。教養人は孤独というメッセージもあるように思える。
【2】現代語訳:有先生の教え。その人柄が、父母に尽くし兄など年長者を敬うような場合、反逆を好むというような人間は少ない。反逆を好まない人柄であって、にもかかわらず反乱をしたがるというようなことは、絶対にない。教養人は「人間としての根本」の修養に努力する。なぜなら、根本が確立すると、生き方「道」が分かるからだ。父母に尽くし目上を敬うこと、すなわち「孝弟」が、「仁」すなわち人間という生き方の根本なのだ。
*** きょうの教養 (論語②=孔子の言葉は本文・現代語訳・解説、弟子の言葉は現代語訳のみ)
【3】「子曰く、巧言令色、すくなし仁」
◎現代語訳:孔子の教え。他人に対して人当たりよく、言葉を巧みに飾り立て、外見を善人らしく装うのは、実は自分のためというのが本心であり、「仁」すなわち他者を愛する気持ちは少ない。
◎解説:知られた一文だ。反対は「剛毅木訥、仁に近い」となる。「口のうまい人間は真心が少なく、朴訥な人こそ信用できる」と言っているようだ。「仁」の漢字は、「人」と「二」からなり、人と人の間に生まれる親愛の心の意味だ。孔子は「仁とは人を愛すること」と言っており、「仁」は重要キーワード。キリスト教も「愛」が中心的な教え。みんな愛が大切といっているのに、世界から対立が消えないのが人類の悲しさだ。
【4】現代語訳:宗先生の教え。私は毎日重ねて反省する。他者のために相談にのりながら、いい加減にしておくようなことはなかったかどうかとか、友人とのつきあいで、ことばと行いとが違っていなかったからどうかとか、まだ十分に身についていないのに他者に与えてしまったかどうかとか、という風にである。
【5】「子曰く、千乗の国を導くには、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす」
◎現代語訳:孔子の教え。大国の政治を担当するには、次のようなことが必要だ。事務上のことは丁寧に扱って人民を欺くことなく、公の金品は節約を心がけて、人々の心や生活を豊かにし、人民に労役を提供させるときは、農閑期にするように心がける。
◎解説:「どうする家康」でよく出てくる「厭離穢土欣求浄土」(えんりえど・ごんぐじょうど)を思い出させる。「穢れた世を離れ、極楽浄土を求める」という意味で、家康が掲げた旗だ。「民を豊かにする」という政治の要諦は今も昔も変わらないが、なかなか実現しないのも変わらない。
*** きょうの教養 (論語③=孔子の言葉は本文・現代語訳・解説、弟子の言葉は現代語訳のみ)
【6】「子曰く、弟子入りてはすなわち孝、出でてはすなわち悌たれ。謹みて信、ひろく衆を愛して仁にちかづけ。行いて余力あらば、すなわち以て文を学べ」
◎現代語訳:孔子の教え。青少年は家庭生活にあっては「孝」を行い、社会生活にあっては目上の人に従え。常に言行を謹み、言行を一致させ、世人を愛することに努め、他者を愛するあり方に近づけ。それらを行って、なおまだ余裕があるならば、古典を学ぶことだ。
◎解説:「入りてはすなわち孝、出てはすなわち悌(てい)」は知られた一文。目上の人に従えというあたりが、体制維持とも評されるところだろう。立派な目上なら当然従うが、そうでない時にどうすればいいのだろうか。孔子が生きたのは紀元前551ころ~479とされているが、ここに出てくる古典とは何だろうか。調べたら、五経のうちの「詩経」や「書経」という。
【7】現代語訳:子夏の言葉。夫婦は互いに相手の良い所を見出してゆくことが第一であり、容姿などは二の次だ。父母にお仕えする時は、自分にできる限りを尽く、主君にお仕えする時はまごころを尽くし、友人と交わる時は言葉と行動が一致するよう信義を守る。そういう人柄であれば、たとえその人が「いや、自分のようなものはまだまだです」と言ったとしても、私は十分に教養人であると考える
*** きょうの教養 (論語④=孔子の言葉は本文・現代語訳・解説、弟子の言葉は現代語訳のみ)
【8】「子曰く、君子重からざれば、すなわち威あらず。学びてもすなわち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ。過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ」
◎現代語訳:孔子の教え。教養人とはこうだ。重厚さすなわち中身の充実、誠実がなければ、人間としての威厳はない。学問をしても堅固ではない。このように質の充実つまりはまごころを核とすることだ。そういう生き方をする自分と異なり、まごころの足りないものを友人とするな。もし自分に過失があれば、まごころに従ってすぐにも改めることだ。
◎解説:最後の一文は、最近よく引用される。過ちを犯しても謝らず、姿勢を正さない政治家や企業経営者に向けられることが多い。人は誰でも間違う。認めたくないこともあるだろうが、素直に謝るしかない。直言できる側近の存在も重要だ。
【11】「子曰く、父在せばその志を観よ。父没すればその行いを観よ。三年父の道改むるなくんば、孝というべし」
◎現代語訳:孔子の教え。父親が在世の時は、父の目指すところを見るのがいい。父親が亡くなれば父の行いを見るのがいい。三年の喪が明けるまで、父が定めた家のあり方はそのままにしておくというのであるならば、孝子ということができる。
◎解説:三年の喪は、三回忌までなので、実質満2年。孔子の時代から守られていた家制度は戦後、はかなく崩壊が続いている。現代は、父の志や行動を観察することはあっても、それを守り続けることに価値があるという感覚は少ないのではないか。この変化をどう解釈したらいいのだろうか。進歩だろうか、退歩だろうか。
*** きょうの教養 (論語⑤=孔子の言葉は本文・現代語訳・解説、弟子の言葉は現代語訳のみ)
【14】「子曰く、君子は食に飽くるを求むることなく、居るに安きを求むることなし。事に敏に、言に慎み、有道につきて正す。学を好むというべきのみ」
◎現代語訳:孔子の教え。教養人は腹いっぱいの美食を求めず、豪華で心地よい邸宅に住みたいなどと思わない。なすべき仕事は素早くこなす。しかし、ことばは少なくして出しゃばらない。もし意見があれば、まず優れた人格者(有道)を訪れ、正していただくようにする。こういう人をこそ「好学の士」というのだ。
◎解説:教養人は現代でも、いたずらに美食を求めたり、豪華な家に住みたいと思ったりはしないだろう。ただ意見があれば、有道者に頼らず、自分で言うところが違いだろうか。今は人任せにせず、自己責任で頑張る時代と言える。
【16】「子曰く、人の己を知らざるを憂えず。人を知らざるを憂う」
◎現代語訳:孔子の教え。他者が己の能力・力量を知らないからといって不満を抱くな。自分が他者の能力・力量を知らないことを反省することだ。
◎解説:自分本位で考えるなという教えで、今も通用するだろう。
「論語」は、第20章まである。今回は1章の「学而」を取り上げた。1章は16節あり、孔子の教えは半分の8で、すべて収録した。その他は、弟子の教えの一部を紹介した。20章の最後にある孔子の教えを掲載して終了とする。
【20章・3】「孔子曰く、命を知らざれば、以て君子となるなきなり。礼を知らざれば、以て立つなきなり。言を知らざれば、以て人を知るなきなり。
◎現代語訳:孔子の教え。人間は神秘的な大いなる世界における、ごくごく小さなものであるから、自分に与えられた運命を知らない者は、教養人たりえない。人間は社会生活をしていくのであるから、社会規範を身につけていない者は、人の世に生きてゆくことはできない。人間は言葉を使うのであるから、言葉について理解できない者は、人間を真に理解することはできない。
◎解説:天命と規範と言葉を知る。ごもっともの感。