10代のための古典名句名言(2023年9月4~8日)
*** きょうの教養 (10代の名言①)
今週は「10代のための古典名句名言」(岩波ジュニア新書、2013年刊)から5編紹介します。解説は理論物理学の佐藤文隆京大名誉教授、ドイツ文学の高橋義人京大名誉教授。「歴史の中で語り継がれてきた言葉に接して、多彩な人物や考え方に気づくきっかけに」と10代の読者に呼びかけています。大人も十分に味わえます。最後に解説した人の名前を記しました。
◎金子みすゞ 「みんなちがって、みんないい」(「私と小鳥と鈴と」から)
この言葉は短い詩の最後の一つである。詩の流れは次のようになっている。私は空を飛べないが、小鳥は私のように地べたを速く走れない。私が体をゆすっても鈴のようにきれいな音は出ないが、鈴は私のようにたくさんの歌を知らない。そしてこれに続く最後の締めくくりが「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」となっている。
私たちは物心がつき、生活の範囲が広がるにつれて、一生懸命にあたり見回して、自分の立ち位置を知ろうと必死になる。絶対的な存在である母親のもとで、まずおもちゃは自分の支配下のものになる。小さい時には、自分と同じようなものと思って飼っている犬や猫が人間ではないことに気づく。小さい時は、家族や親戚など限られた安全圏の中の人々が大きな存在だったが、学校に行くと、同世代の正体不明のたくさんの人たちに取り囲まれる。自分が何者であるかを必死に探ろうとする。同級生はみんな自分より立派に見える。しかし、友達になって交わっていくと、みんなも他人のことをそう思っていることに気づくのである。
この詩は外の世界に恐れをいだいて不安をもつ人々に、優しく、「みんなちがって、みんないい」んだよ、と語りかけているのである。違ったみんなが楽しい毎日を織りなしているのだ。金子は山口県で小さな本屋を手伝いながら大正時代から昭和の初めにかけて多くの詩を発表したが、1930年に26歳の若さで命を絶った。数年間の間に、時代を超えて人々の心に届く多くの詩をほとばしるように紡ぎ出したのである。彼女が残した多くの優しさ溢れる詩に接して欲しい。(佐藤文隆)
*** きょうの教養 (10代の名言②)
◎寺田寅彦 「正当にこわがることはなかなかむつかしい」(「小爆発二件」より)
2011年に日本を襲った東日本大震災、福島第一原発事故は、私たちの生活が何か非常に不安定なものの上に営まれていることを実感させた。確かにあれほど強力な地震や津波が平安時代の末に起こっているのだから、それに備えて居住地の選定や危険性を孕む原発の設置の是非を決定すべきであったという議論が急に出てきた。1000年に1回の確率にせよ、その規模の地震や津波が自然現象としておこるのなら、それを考慮した判断をすべきだとなる。想像力の不足だったと反省されているのも当然と言える。
しかし、この想像力をどんどん拡大していくと、対面通行での自動車の正面衝突、新幹線の脱線、飛行機の墜落、ウイルス感染など世はまさに恐怖だけである。そしてまた、世界を見渡せば、相当頻繁に実際起こっている。 いくつもの潜在的な事故・災害に、毎日毎日想像力を働かせて生きていくのは大変である。身動きがとれなくなってしまうだろう。
そこにこの言葉を言われると、何か行動の指針があるのかと期待してしまう。この言葉は関東大震災の調査で活躍した東大教授の寺田寅彦(1878~1935)がそれからずっと後に書いた文章に登場する。前後は「ものをこわがらなさすぎたり、こわがりすぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の〇〇〇に対するのでも△△の△△△に対するのでも、やはりそんな気がする」である。
「小爆発二件」と題したこの随筆は、軽井沢滞在時に遭遇した浅間山の小爆発の顛末記である。この文章は駅で立ち聞きした人々の会話への感想であり、人によってあまりにも違う受け取り方があることを述べたものだ。○○や△△は、1935年発表のこの文章にも検閲があったらしく、たぶん、政治に触れた部分が伏せ字にさせられたのであろう。関東大震災後、寺田は津波や火災による大災害についていくつもの文章を残している。(佐藤文隆)
*** きょうの教養 (10代の名言③)
◎プルースト 「幸福は身体にとってよいことだ。だが精神を鍛えるのは、幸福ではなく心の痛みである」「人が苦悩を忘れられるのは、それを苦悩することによってのみである」(「失われた時を求めて」)
苦悩することは人間、特に青年に与えられた特権である。苦悩することによって人は精神的に成長する。苦悩が大きければ大きいほど、人は精神的に飛躍する。苦悩の最中にあるときは、ああ、こんな苦しみが耐えられない、早く逃げ出したい、と思い、自殺さえ考えるかもしれない。しかし、プルースト(1871~1922)が言うように、苦悩を忘れられるのは苦悩を深めることによってのみである。苦悩を底の底までなめ尽くすと、不思議なことにそれまでの苦しみは急に消え、心も体も突如として軽くなり、青空の青が突き抜けるほど美しく見えてくる。反対に苦悩を忘れようとしていると、苦悩はいつまでも付きまとって離れず、青空も全く見えないものだろう。
ひとたびそうやって苦悩に耐えきると、次に苦悩が訪れた時、それに耐えることもより容易になる。そして苦悩に耐え、苦悩を乗り越えるたびに自分が精神的に成長してゆくのを知ると、苦悩こそは生きがいであるとさえ感じるだろう。ニーチェに「運命愛」という有名な言葉がある。苦悩はある日、運命のように突然現れる。その苦悩を進んで引き受けることは、運命を愛するに等しい。今私を襲っている苦悩や運命は、私自身だから、「運命愛」とは自分自身から逃れず、自分自身を真に愛し、忠実に生きることにほかならない。
プルーストの「失われた時を求めて」には様々な美しさが書かれている。物がありありと美しく見えるのは、その前に深い苦悩があったからだ。花の美しさは、苦悩を突き抜けた人にこそよく見える。晴朗なる心の世界は、暗いトンネルをくぐり抜けた後でなければ決して訪れない。長大なプルーストの「失われた時を求めて」を読む楽しさは、苦悩とそれからの解放の間を何度も往復する心の旅にあるのだ。(高橋義人)
*** きょうの教養 (10代の名言④)
◎山中伸弥 「野球の打率は3割もあれば大打者ですが、研究は1割でも大成功です。僕の研究室を希望する学生には、実験を繰り返しても9割はうまくいかないことに耐えられますかと問うています」「研究では何十回トライしても失敗することはしょっちゅう。泣きたくなることもあるが、家に帰ると笑顔で迎えてくれる家族の支えがなければ研究を続けられなかった。研究でいろいろあっても家に帰って子供の笑顔を見られることが支えだった」(ノーベル賞受賞決定会見)
山中伸弥(1962~)は学問研究の成功率を野球の打率に例えていた。その模様をテレビで見ながらさすがにうまいことを言うものだと思った。と同時に学問を志す若い人たちは山中の言葉の意味が分かっているだろうか、1割の成功率でも大成功だというのはiPS細胞の話に限られるとでも思っていないだろうか、と気になった。山中の言葉は自然科学にも人文社会科学にもあてはまる。
自然科学の研究では成否の結果が人文・社会科学より分かりやすい。しかし、人文・社会科学でも実は9割が失敗なのだ。実に面白い着想だと初めのうちに思い始めても、ふと気づいてみるとその着想が間違っていたり、きちんと立証されていなかったり、すでに先人が同じ着想を持っていたりする。残念なことに学生はそのことに気づかず、指導教員も学生にそう指導してあげられないことが実に多い。出発点が間違っているにもかかわらず、そのことに気づかないまま違った道を歩み続けたら、中途半端な学者に終わってしまうしかない。
学生は自分の着想は間違っているかもしれないと、何度も検証してみなければならないし、教える側も学生の研究の多くについて「それは間違いだ」「零点である」「大幅な修正を必要とする」と指摘する厳しさを持たなければならない。そう指摘するには、教える者自身が自分に対して厳しく処せなければならない。学問の第一歩は失敗を失敗であると悟ることにある。(高橋義人)
*** きょうの教養 (10代の名言⑤)
◎佐藤一斎 「春風をもって人に接し、秋霜をもって自らを粛(つつし)む」(「言志四録」から)
言っている内容はありきたりのことでも、語呂がいいとか、口調がいいとか、詩的に想像が膨らむような句は長く愛誦される。江戸時代の終わりごろに書かれた佐藤一斎(1772~1859)のこの句は、そういうものの一つである 。他人には春風のような暖かい心で接し、自分には秋の霜のような厳しさでもって慎まなければならないということである。このように他人と自分と両方を同時に見据えた心の余裕を持って物事に対処したいものである。とかくすると、我々は一方にだけ気を取られてしまいがちだ。
この句が愛誦された大きな理由は、一遍の詩を構成していることである。心のあり方を春風と秋霜という日本の豊かな自然にこと寄せて表現している。日本のように四季が明確にあるような国は世界の中でも珍しい。佐藤は湯島聖堂にあった儒学の学校・昌平坂学問所の校長のような役目を長くやった。幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人物に精神的影響を及ぼした教育者として有名である。彼の語録を集めた「言志四録」は、明治維新後も青年の間でよく読まれ、明治や大正時代の精神的態度の形成に大きな影響を与えた。しかし、その後は西欧の文化が日本で大きな位置を占めるに伴って、影響は少なくなっている。
しかし、内容は同じようなものでも文語調の中国古典に起源を持つ名句や日本産の名句には口調や詩的発想において、今でも心に響くものがある。長く受け継がれてきたこういう名文を暗唱して受け継いでいくことも、日本の文化にとって大事なことである。自然の多様な姿にもかかわらず、自然はまた同一のものであるという認識は、風土に根ざした日本の一つの精神文化であるといえる。(佐藤文隆)