枕草子(2024年1月8~12日)

2024.01.15教養講座

*** きょうの教養 (枕草子①)

新年第一弾の教養講座は、ご存知、清少納言の「枕草子」で始める。学生時代を思い出して、原文と現代語訳で味わって欲しい。今風にいえば「私のすきなもの、きらいなもの」というエッセイだ。参考文献は、角川書店編「枕草子」で、現代語訳は一部短縮している。NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まったが、主人公の紫式部は清少納言と同時代の人で、清少納言を「偉そうにしている」と嫌っていたという。

◎第一段=王朝の四季絵巻をひもとけば

【原文】春は曙。やうやう白くなりゆく、山際少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛び違いたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。

秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた、言うべきにあらず。

冬は、早朝(つとめて)。雪の降りたるは、言うべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ゆるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶の火も灰がちになりて、わろし。

【現代語訳】春は夜が明ける時。あたりが白んで山の上が明るくなって紫の雲が細くたなびいている。夏は夜。月が出ていればもちろん、闇夜でも蛍がいっぱい飛び交っている。一つ二つほのかに光っていき、雨の降るのもいい。

秋は夕暮れ。夕日が山の稜線に沈む頃、カラスがねぐらに帰ろうと急ぎ心にしみる。雁で列を連ね、小さく見えるのはなかなかに面白い。日が落ち風の音、虫の音などが奏でるのは言葉につくせない。

冬は早朝。雪が降り積もっているのはもちろん、霜が降りていてもそうでなくても、張りつめたように寒い朝、火を起こして炭火を運んで回るのもいかにも冬の早朝らしい。昼になって寒さが緩むと、炭火も白く灰をかぶって間の抜けた感じだ。

【解説】様々な対比が特徴だ。季節、聴覚、視覚、皮膚感覚の対比があり、光と色の変化で貫かれている。「をかし」は、平安時代の文学的・美的理念。「明朗で知性的な感覚美」。室町時代になると、滑稽美を帯びてくる。「あはれ」は「しみじみとしたおもむき」、「わろし」は「よくない」。

*** きょうの教養 (枕草子②)

◎第七十二段=ありがたきもの(めったにないもの)

【原文】ありがたきもの しゅうとにほめられる婿。また、しゅうとめに思われる嫁の君。毛のよく抜ける白金の毛抜き。主そしらぬ従者。

つゆの癖なき。容貌・心・ありさま優れ、世に経るほど、いささかの疵(きず)なき。同じところに住む人の、かたみに恥ぢかし、いささかのひまなく用意したりと思うが、ついに見えぬこそ、かたけれ。

物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、必ずこそ汚なげになるめれ。男・女をば言はじ、女どちも、契り深くて語らふ人の、末まで仲よきこと、かたし。

【現代語訳】めったにないもの。しゅうとにほめられる婿。しゅうとめにほめられる嫁。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない使用人。

全然欠点のない人。顔立ち、心、振る舞いも優れ、人付き合いをしてきて非難を受けない人。同じ仕事場で働いている人で、互いに礼を尽くし、気を遣いあっている人が、最後まで本当のところを見せないままというというのもめったにない。

物語や和歌集などを書き写す時、元の本に墨をつけないこと。上等な本はとても気をつけて写すのだけれど、必ずと言っていいほど汚してしまうようだ。男と女とはいうまい。女同士でも、関係が深くて親しくしている人で、最後まで仲がよいことはめったにない。

【解説】古典の面白さはいろいろあるが、人間観察もその一つ。この段の清少納言は皮肉もきいている。しゅうとめにほめられる嫁、主人の文句を言わない使用人、最後まで仲がいい女性同士…。今もあまり変わらないだろう。「ありがたし=有り難し」は、あることが難しいという意味から、「めったにない」となる。「ありがとう」という感謝の意味に使われるのは江戸時代からという。

*** きょうの教養 (枕草子③)

第九十二段=かたはらいたきもの(はらはらして困るもの)

【原文】かたはらいたきもの。客人などにあひてもの言うに、奥の方にうちとけごとなど言ふを、えは制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひて、同じことしてる。聞きいたりけるを知らで、人の言いたる。それは、なにばかりならねど、使ふ人などだに、いとかたはらいたし。旅立ちたるところにて、下衆どもの戯れいたる。

にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみかなしがり、これが声のままに、言いたいことなど語りたる。才ある人の前にて、才なき人の、ものおぼえ顔に人の名などを言いたる。ことによしともおぼえぬ我が歌を人に語りて、人の褒めなどしたる由言うも、かたはらいたし。

【現代語訳】はらはらして困るもの。客に会って話している時、奥の部屋で内輪話をするのを止めるに止められないで聞いている気分。好きな男がひどく酔っ払って、同じことを繰り返ししゃべる。当人が聞いているのを知らず、その人のうわさ話をした時。その人が大した人でなくても、使用人などでさえ、とても具合が悪い。ちょっと泊まった先で、身分の低い連中がふざけあっていること。

憎らしい顔をした赤ん坊を、親だけは可愛いものだから、いとしがりかわいがり、赤ん坊の声色で、言ったことを口真似すること。教養のある人の前で、無教養な人間が、物知り顔で人の名前などを挙げること。ことにうまいとも思えない自作の和歌を他人に披露して、ほめられたことなんかを自慢するのも聞いて気恥ずかしい。

【解説】「かたはらいたし」は、そばにいて、こちらまで気恥ずかしくて何とかしたいけど、口出しできず、はらはらしている様子。現代と通じる例も少なくない。人間の感情は当時も今もあまり変わっていない。「下衆ども」は、現代語訳で「身分の低い連中」だが、今はもう言わない。明治維新で四民平等になったためだろう。「下衆の勘繰り」という言葉は残っているが。

*** きょうの教養 (枕草子④)

◎第百二十三段=はしたなきもの(体裁が悪いもの)

【原文】はしたなきもの。異人を呼ぶに、我ぞとて、さし出でたる。物などとらする折は、いとど。自ずから人の上などうち言いそしりたるに、幼き子どもの聞き取りて、その人のあるに、言い出でたる。

あわれなることなど、人の言い出で、うち泣きなどするに、げにいとあわれなりなど聞きながら、涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。泣き顔作り、気色異になせど、いと甲斐なし。めでたきことを見聞くには、まづただ出で来にぞ出で来る。

【現代語訳】体裁が悪いもの。他の人を呼んだのに、自分かと思って出てしまった時。物をくれようとする時だったりすると、なおさら。何気なく誰かの噂をして悪口を言っている時、幼い子供がそれを聞いていて、当人がいる前で言い出した時。

 かわいそうな話を、人が言い出してちょっと泣いたりする時、なるほどひどく哀れだとは聞きながらも、涙がいっこうに出てこないのは本当にばつが悪い。泣き顔を作り、悲しそうな表情をするが、どうにもならない。そのくせ、素晴らしいことを見聞きするとすぐに、後から後から涙が出てくる。

【解説】「はしたなし」は、中途半端で体裁が悪い気持ち。「いとど」は、いよいよ、いっそう。清少納言は、一条天皇の皇后である中宮定子(藤原定子=977~1001)に944年ころから亡くなるまで仕えた。中宮定子は宮廷サロンの中心人物で、美しさと教養、ユーモアを兼ね備えていたという。枕草子は1001年ころに成立し、中宮定子を中心とした皇室の人たちや清涼殿など御所の記述が多い。今回の教養講座では、人間関係を中心に選んでいる。

*** きょうの教養 (枕草子⑤)

◎第二百五十二段=心憂きもの(世の中で一番嫌なもの)

【原文】世の中に、なほいと心憂きものは、人に憎まれる事こそあるべけれ。誰てふもの狂いか、我、人にさ思われむ、と思わむ。されど、自然に、宮仕え所にも、親・同胞からの中にても、思はるる、思われぬがあるぞ、いとわびしきや。

よき人の御ことは、さらなり、下衆などのほどにも、親などのかなしうする子は、目立て、見立てられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるは、道理、いかが思わざらむ、とおぼゆ。異なることなきは、また、これをかなしと思ふらむは、親なればぞかしと、あはれなり。

親にも、君にも、すべてうち語らう人にも、人に思われむばかり、めでたきことはあらじ。

【現代語訳】世の中で一番嫌なことは、人に憎まれることだろう。どんなに頭のおかしな人でも、人に憎まれたいなどと思うことがあろうか。とはいえ、自然と、宮仕え先でも親兄弟の間でも、好かれることも好かれないこともあるのは、実につらいことだ。

高貴な方の場合はもちろんのこと、下々の者でも、親などが可愛がっている子どもは、何かと目立ち注意を引いて、チヤホヤされるものだ。見た目のきれいな子はもちろん、かわいがられないはずはない。格別取り柄もない子はそれはそれで、この子をかわいいと思うのも親なればこそだと、しみじみ思われる。

親にでも主人にでも、誰かちょっとした話し相手にでも、愛されるほど素晴らしいことはあるまい。

【解説】最後の文章は「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」という俵万智の短歌と通ずる。源氏物語を書いた紫式部は清少納言と同時代の人で、中宮定子を苦しめた藤原道長の娘に仕えた。そのせいか、紫式部日記は清少納言について「得意気に偉そうにしている。利口ぶって、女のくせに漢字を書き散らしているが、生半可なところがたくさんある」と嫌っている。慎重で控え目だった紫式部は、才気煥発な清少納言とは対照的だった。この逸話も時代を超え、何となく2人を身近に感じられる。