徒然草(2024年1月15~19日)

2024.01.19教養講座

*** きょうの教養 (徒然草①)

新春第二弾の教養講座は、吉田兼好のご存知「徒然草」を取り上げる。前週の「枕草子」同様、原文と現代語訳で味わって欲しい。今風にいえば「カッコいい生き方」という教訓型のエッセイだ。参考文献は、角川ソフィア文庫「徒然草」で、現代語訳(小川剛生訳)は一部短縮している。

◎序

【原文】つれづれなるままに、日ぐらし、硯(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ

【現代語訳】無聊孤独であるのに任せて、一日中、硯と向かい合って、心に浮かんでは消える他愛ない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙におかしな気分になってくる。

◎第一段=人として願うこと

【原文】いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。御門(みかど)の御位は、いともかしこし。竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はる際は、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつつ時にあひしたり顏なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。(以下略)

【現代語訳】さても、人がこの世に生まれてきたからには、あれやこれやと願うことがあまたあろう。かといって天子(天皇)の御位は口にするのも畏れ多く、その血を受けた宮々の末裔まで人間界の種族ではない点、尊貴である。摂政・関白の御様子はいうまでもない。それより下の一般の廷臣でも、随身(警護の役人)を賜る階層は立派であると思える。その子・孫くらいまでは、没落したとしても、まだどことなく気品が感じられる。それより下になると、家柄に応じて時運に乗じ得意顔であるのも、自分では大したものだと思うのであろうが、はたから見れば実にくだらないものである。

【解説】つれづれなるままに=なすことも話し相手もいない状態/ものぐるほしけれ=おかしくなったようだ/竹の園生の末葉まで=天子(天皇)の子孫、皇族/なまめかし=優雅で気品に富んでいること

*** きょうの教養 (徒然草②)

◎第八段=色欲の魔力

【原文】世の人の心惑はすこと、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足・はだヘなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

【現代語訳】世間の人の心を惑わすことでは、色欲に勝るものはない。人の心は実に愚かなものだ。芳香などは所詮うわべを飾ったかりそめのものなのに、そしてしばらく衣装に香をたきこんだと承知していながら、何ともいえぬ良い匂いには、必ず胸がドキドキするものである。久米の仙人が、洗濯をしている女のすねが白いのを見て、人通力を失ってしまったというが、確かに手足・皮膚などが清楚で、しかも肥えてふっくらとしているのは、うわべの美しさではないから、仙人でさえ惑ってしまったのはもっともなことであろう。

【解説】久米の仙人=大和国葛城・吉野に住み神通力を得たとされる古代の仙人。今回は「色欲」の話。枕草子の時にも書いたが、時代は変わっても、人間の本質は変わらない。色欲も時代を超えている。徒然草は、伊集院静が書いた「大人の流儀」のような内容だ。

*** きょうの教養 (徒然草③)

◎第一八段=清貧のすすめ

【原文】人は、おのれをつづましやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。

唐土に許由といひつる人は、さらに身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふものを人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飲みける。いかばかり心のうち涼しかりけん。孫晨(そんしん)は、冬月にふすまなくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝にはをさめけり。

唐土の人は、これをいみじと思えばこそ、記しとどめて世にも伝えけめ、これらの人は語りも伝ふべからず。

【現代語訳】人間は、簡素倹約を心がけ、奢侈を避け、財宝を持たず、名誉や利益を欲しがらない態度が立派であろう。昔から賢人が富裕であることはめったにない。

中国にいた許由という人は、所持する家財道具もさらさらなく、水さえも手ですくって飲んでいたのを見て、ある人が瓢箪を与えたところ、ある時、木の枝に欠けていた瓢箪が風に吹かれて鳴ったのを、許由はやかましいと言って捨ててしまった。再び手ですくって水も飲んだ。どれほど心中さっぱりとしたとしていたであろう。孫晨(そんしん)という人は、冬空に夜具がなくて、ワラが一束あった。夜にこの上に寝て、朝には片付けたのであった。

中国の人はこれらを立派であると思ったからこそ、記録して後世にも伝えたものであろうが、我が国の人は語り伝えることもしないのである。

【解説】つづましやかにし=質素・倹約を心がけて/許由、孫晨=中国古代の隠士(俗世を離れて静かな生活をしていた人)/なりひさこ=植物の名、瓢箪の別名/これらの人=我が国の人。最後の一文「我が国の人は語り伝えることもしないのである」は面白い。当時から外国の事例をひいて、日本が遅れているという言い方があったようだ。確かに記録を残さないと、なかったことと同じになる。

*** きょうの教養 (徒然草④)

◎第三八段=万事みな非なり

【原文】名利(みょうり)に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。

財(たから)多ければ、身を守るに惑ふ。害を買ひ、わずらひを招く媒(なかだち)なり。身の後には、金(こがね)をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて愚かなりとぞ見るべき。

金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。

【現代語訳】名誉欲と利欲に酷使されて、心静かに過ごす暇もなく、一生を苦しんで終わるのは愚かなことである。

財産が多いと、我が身を守ることに心を乱す。財産は危害を求め、災難を招いてしまう仲立ちである。死後には、黄金を積み上げて北斗七星を支えるほどに財産があっても、今度は残された人にとって煩いとなるに違いない。愚かな人々の目を楽しませる富も、またつまらないものである。大きな車、肥えた馬、黄金珠玉の装飾品も、心ある人にとっては、いやらしく愚かしいと思うに違いない。黄金は山に捨て、珠玉は淵に投ずるのがよい。利欲に惑うのは最も愚かな人である。

【解説】人間の欲深さはいつの時代も共通で、それを戒める警句も同じだ。人間とは何かと考えざるを得ないし、常に自分を戒める大切さも身に染みてくる。

*** きょうの教養 (徒然草⑤)

◎第一一七段=よき友わろき友

【原文】友とするにわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身つよき人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵、六つには虚言する人、七つには欲ふかき人。よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友。

【現代語訳】友人にするのには悪い者が七つある。第一は高貴な人、第二には若い人、第三には無病で頑健の人、第四には酒飲み、第五には勇猛な武者、第六には嘘をつく人、第七には欲の深い人。よい友は三つある。第一には物をくれる友、第二には医者、第三には知恵のある友。

【解説】先週取り上げた清少納言の「枕草子」は、貴族が実権を持っていた平安時代の作品で、1001年ごろに成立したといわれる。紫式部の「源氏物語」も同時代で、天皇周辺を舞台にした優雅で華麗な王朝文学の代表作である。庶民は出てこないし、重要な存在でもなかった。

鎌倉幕府が成立すると、土地を基盤とした武士の時代となり、社会も文化も一変する。農民ら庶民も平安時代に比べればそれなりに重視されるようになった。この時代に台頭したのが無常観である。存在する一切のものは流転するという仏教の教えに基づく考え方だ。文学の世界では西行(1118~90)の歌集「山家集」、鴨長明(1155頃~1216)の「方丈記」(1212成立)がよく知られる。

吉田兼好(1283頃~1352頃)の「徒然草」(1331頃成立)もこの流れにある。方丈記から100年以上も後で、後醍醐天皇による建武の新政や南北朝時代の直前ということになる。兼好は神官の家に生まれ、朝廷の武士になった後、出家したといわれているが、わかっていないことも多い。徒然草には質実さを失う武士や台頭する都市住民の様子も垣間見える。儒教の四書五経や史書の教養を基盤とし、仏教や老荘思想も取り込んでいる。日常の話題を取り上げ、平易ながら明晰な文体で核心を衝いている。今でも箴言集として通用することが大きな魅力だろう。