地震国のトイレを考える 天声こども語紀行⑧

2024.01.21コラム

2024年1月21日・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」

能登半島地震で深刻になっているのがトイレです。広い範囲で断水すると、すぐに影響が出ます。大きな地震ではいつも問題になります▼2016年に起きた熊本地震の仮設トイレアンケートでは、62%の人が「くさい」、49%が「足元が汚い」、40%が「便器が汚い」と感じていました。写真や映像で報道しにくいので、被災して初めて大変さに気づく人もいるでしょう。取材する記者も困っています▼トイレを我慢したり、水を飲むのを控えたりすると、体調が悪くなります。感染症が広まる可能性もあります。携帯トイレを配り、トイレを乗せた車も駆けつけていますが、追いつきません▼人類は生まれてからこれまで、生きるために食べ、不要なものを体の外に出してきました。大便や小便はいずれ自然に返るので、肥料として利用した歴史もあります。人類の知恵が問われている、と言っても大げさではありません。

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1月1日午後4時10分ごろ、石川県の能登半島を中心に大きな地震が起きた。東京の自宅ベッドでうとうとしていたら、飼っている犬が小さく何回も吠えた。「うるさいよ」と言ったが、家具がゴトゴト音を立てていた。地震らしい。テレビをつけると、一斉に地震を伝える番組を始めていた。翌日には羽田空港で、日航機と救援に向かう海上保安庁の飛行機が衝突。乗客は全員助かったが、海保職員5人が亡くなった。大変な年明けだと日本人全員が思った。今も思っている。

私が大きな地震を経験したのは、2004年10月23日の新潟県中越地震だ。朝日新聞新潟支局長で、日中は報道ステーションのコメンテーターを招いて地元テレビ局と合同のイベントを開いた。夕方、出演者らとすしを食べていた午後5時56分、大きく揺れた。「東京で地震かな」と思ったが、子どもから「そっちで地震があったけど、大丈夫?」とメールが来てあわてて支局に戻った。支局の記者は震源地の中越地方に散っていった。

夜で暗くなって、被害の様子はよくわからない。NHKテレビで上越新幹線が脱線していると報じていたので、メールで県内の記者に一斉に伝えた。地元情報は断片的で限られるので、東京本社やテレビの情報も集めた。被害の様子がある程度わかったのは、翌日、報道各社がヘリコプターを飛ばしてからだ。「これは予想以上にひどい」。山古志村の山肌が大きく崩れた映像を見て、がく然とした。死者らの情報も次々と入ってくる。応援記者が全国各地から集まってくる。いろいろな手配でてんやわんやとなった。

中越地震で脱線した上越新幹線

能登半島地震の報道を見ていると、胸が痛む。中越地震の被災地も広い範囲だったが、中心都市の長岡市はほぼ機能しており、救援活動はそれなりに進んだ。亀裂が入った関越自動車道も早めに復旧し、救援車両限定で通行させた。能登半島は、山間部が多い。平野部の被災地なら四方八方から行くことができるが、半島なので通行するルートも限られる。被害の全容がわからず、孤立地区も多数存在し、解消にも時間がかかる。どうしたらいいか。全体の救援戦略を決めにくく、有効な手も打てない印象だ。

地震が起きると、トイレはいつも難問となる。1995年1月の阪神大震災でもそうだった。応援に駆けつけた同僚記者は「神戸支局はビルの上層階にあるが、トイレ用の水を運ぶのが日課で大変だった」と話していた。中越地震の場合、断水した被災地では大きな不便となったが、記者は生活できる地域から取材に行くので何とかこなした。しかし、若手記者が強い腹痛を訴えて入院した。調べてみると、便秘が原因だった。非常事態になると、水分を取らなくなり、食事も不十分で、緊張も重なって便秘になりがちだ。被害のない新潟市にいた私も便秘になった。

能登半島はこれまでにない厳しい状況だろう。報道は一般的に写真や映像を交えて訴求していくが、トイレ問題はこの方法が使いにくい。なまなましい報道はしにくい。落ち着けば仮設トイレを建設できるが、和式もあって不便という。全国からトイレカーが駆けつけたが、大型カーでも1台にせいぜい5室程度のようだ。ないよりいいが、地震国を自覚してトイレ対策に本格的に取り組んだほうがいいのではないかと思う。当事者も具体的には話しにくい。何となく知っていても、事前対策となれば二の次になりがちな事情を考えれば、なおさらだ。

トイレカー

自分の似た体験としては、高校時代に所属した山岳部の遠征がある。山の中に入ってしまうと、しっかりしたトイレはない。50年も前だから今はもっと良くなっているとは思うが、山小屋のトイレは貧弱だ。他人の大便もしっかり見えるので、とにかく早く終わりたいとなる。自宅のように快便とはいかないからストレスもたまる。「植村直己さんのような登山家は、もろともしないんだろう。俺には向かいないな」と思ったりした。

天声こども語に書いたが、人類は全員が排泄物とつき合ってきた。というより、人類そのものの行為、生物の証でもある。くみ取り便所だった頃、排泄物は身近に見ることができた。水洗便所ばかりになると、見るのは検便の時ぐらいだ。人はなぜ排泄物を嫌うのだろうか。臭い、醜い、汚い、扱いにくい、といったところだろう。臭いを消す物質はないのだろうか、小さくきれいに固める物質はないのだろうか。脱臭・縮小・変色の凝固剤を開発すればノーベル賞か。液体に接して10分後に分解する紙があればもっといいだろう。能登地方の1日も早い復旧を祈りながら、考えた。