政治家の資質とカネ 天声こども語紀行⑨

2024.01.29コラム

2024年1月29日・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」

アメリカの大統領選挙が今年11月にあります。81歳のバイデン大統領と77歳のトランプ前大統領の対決になりそうだといわれています。皆さんのおじいさんやおばあさんより歳上ではないでしょうか▼岸田文雄首相は66歳なので2人よりずっと若いです。しかし、G7と呼ばれる先進7カ国の中ではバイデン大統領に次いで高齢です。イギリスとイタリアの首相は40歳代、フランスの首相には最近、34歳のアタル氏が選ばれました。お父さんやお母さんの世代でしょうか▼高齢の政治家は経験が豊かといえます。若い政治家は元気で新しい発想を持っていそうです。皆さんはどちらがいいと思いますか▼年齢だけでなく、性別も重要です。今の先進国や大国で女性の大統領や首相は、数少ないです。人口の半分は女性ですからもっと多くてもいいはずです。女性の指導者が多くなれば、戦争も少なくなると私は期待します。

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このコラムを書くきっかけは、アメリカの大統領選が始まったことだ。オハイオ州で共和党の党員集会があり、トランプ前大統領が圧勝した。なぜトランプ氏があれほど人気があるのか。日本人にはわからない。「もしトランプが大統領になったら」を略して「もしトラ」という言葉が生まれている。「もしドラ」と呼ばれた「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という日本の小説からの連想だが、いかにも日本らしい心配だ。今年の大統領選は高齢対決が大きな特徴だ。

2人に比べれば、岸田文雄首相は「若い、若い」と思ったが、そうでもない。G7ではバイデン大統領に次ぐ高齢だ。フランスでは34歳のアタル首相が誕生した。世界のスピードはとてつもなく早い。しかし、書きたかったことはそこではない。世界は戦争ばかりでいやになる。女性が政治指導者になったら、戦争は減るのではないか。日本は政治とカネの問題がまた起きて、うんざりする。これも女性がリーダーになれば変わるのではないか。男性にはやたら好戦的な人がいるし、目的のために手段を選ばない輩もいる。

岸田文雄首相

コラムを書くにあたって、編集部とやりとりがあった。最後の一文は最初、「女性の指導者が多くなれば、戦争も少なくなると私は思います」と書いた。編集部から「本当にそう言えるのだろうか」と問題提起があった。確かに明確な根拠はない、というか、ありえない。逆に「戦争が増える」根拠もない。結局、「戦争も少なくなると私は期待します」とした。これなら「見通し」というより一種の「願望」となる。もう少しいえば、女性の大統領や首相が増える時代は、今よりジェンダー平等が進んだ時代で、SDGs的な「誰一人取り残さない」という理念も浸透しているはずだ。その結果、武力で紛争を解決する気運は減っているといえるだろう。

民主主義国同士の戦争は、1982年に起きたイギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争だけといわれる。当時のイギリス首相は女性のサッチャー氏。「鉄の女」と言われた宰相で、果敢な決断でアルゼンチン軍を急襲して領土を奪還、短期で紛争を終えて高く評価された。1979年から首相だったが、1990年まで務める長期政権の基盤となった。国内改革でも新自由主義的な競争政策を徹底し、英国病からの脱却を図った。性差による違いの表現は慎重にしなければならないが、サッチャー首相は男性社会の時代に男性の価値観で力を発揮したといえないだろうか。

これに対し、ニュージーランドのアンダーソン首相(2017~2023)、フィンランドのマリン首相(2019~2023)らは子育てをしながら若くして首相になり、女性の地位が相対的に高い社会を背景に選ばれている。女性首相らの業績や傾向分析を深める必要はあるが、ノーベル文学賞を受賞したアレクシェービッチのデビュー作「戦争は女の顔をしていない」は、従軍女性らの声を聞いて女性と戦争の親和性の低さをまとめている。日本では男性の武士が家の外で敵と戦ってきた歴史もある。女性が男性に比べて暴力や武力に訴えない傾向は、経験的に確認できると思う。

イギリスのサッチャー首相

もう一つの政治とカネ。自民党は派閥解散の大合唱だ。自民党は「安倍一強」から次を模索する大きな再編過程にあり、1月末現在、どこに行き着くかわからない。野党も巻き込んで、政権交代可能な大きな塊を作れば面白いと思うが、歴史が示す通り、懲りない自民党の人たちは小手先の改革で逃げ切ろうとするだろう。派閥解散も悪くはないが、より大きな問題は企業・団体献金の廃止だ。1990年代、経済部記者として経団連を担当した時、経済界は政治改革を訴えていた。企業献金廃止の代案として浮上したのが、米国の政治行動委員会(PAC=political action committee)方式だ。

米国では企業献金が禁止されているので、企業や団体の中にPACをつくり、個人で献金する仕組みがある。企業や団体に選挙権はないので、大きな影響力を持つことは基本的に理屈が通らない。選挙権のある個人が支持政党に献金することは、民主主義の原則に合致している。日本でも企業の中にPACを設立し、個人に例えば1000円の政治手当を支給し、献金先の政党を選んでもらう。献金したくない人は企業に返す。経団連中枢で有力方法として検討する動きがあった。

悪くない選択だ。検討の動きを知って記事にしようとしたが、なかなか進まない。慎重意見があったようだ。こちらも待つのにじれて、「検討の動きは事実なので、もう書きますよ」とキーマンに告げて1面で書いた。記事を出すことで事態が動く可能性にも期待した。記事が出た後で、複数いる副会長の一人が「PACはやりませんよ」と言ってきた。自民党との関係を重視する保守的な副会長で、「この人がつぶしたんだな」と推測した。

1990年代の経団連会館

当時から「財界の存在意義はあるのか」という意見が多くあった。功成り名を遂げた人が集まっているが、社会的な意義がわからないという雰囲気も強かった。だから経団連は「社会の理解を得られる意見を言わなければ、経団連は信頼されない」と、政治や社会の動きに積極的に関与しようとした。政治とカネの問題にも今よりはるかに多く発言をしていた。小選挙区実現の背景には経済界の圧力も間違いなくあった。それを考えれば、最近の経済界の沈黙は情けない。

2012年に安倍首相が誕生する前、当時の米倉経団連会長が安倍氏の主張する経済政策を批判した。安倍首相が就任すると、政権との関係が冷え込んだ。安倍首相は岸田首相と違って、自分への批判を許さないタイプだ。それ以来、経済界が自民党に気を使う傾向が強まっている。政権交代が頻繁にあれば、もっと透明な関係になるが、そうなっていない。自民党も経済界も30年前に比べると、政治改革への活力や熱気がはるかに落ちている。今回、選挙権の観点から企業団体献金の根源的な問題が語られていないのも不思議だ。「落日ニッポン」を象徴する姿でもある。