「土」を求めて長塚節の生家へ 天声こども語紀行

2024.03.04コラム

2024年3月4日付・朝日小学生新聞1面コラム「天声こども語」

長塚節(1879~1915)は、現在の茨城県常総市で生まれた小説家です。貧しい農民を主人公にした「土」という作品が有名です。小説の主人公はそれまで都会の人が多く、初の農民文学とも言われています▼生家が残っているので行ってみました。関東平野の真ん中で鬼怒川が流れ筑波山も近くです。今でも農業が盛んで、外国人が多く働いているそうです。祖父が一代で富を築いたので、家は大きく立派な門もありました▼「土」には悲惨な生活がたくさん書かれていたので、「読む必要はない」という声が文壇にありました。しかし、文豪と呼ばれる夏目漱石は「私にも誰にも書けない。こうした事実を知ることは参考になる。娘が年頃になったら読ませたい」と評価しました▼どんな人でも知らないことはありますが、知る努力が大切です。知れば何かを感じ、考えます。「心」と「頭」が大きくなるといえそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長塚節は、茨城県岡田郡国生村で生まれました。今の常総市国生ですが、さてどうやって行くか。調べてみると、つくばエクスプレスの守谷駅から関東鉄道常総線に乗り換えて、石下駅で降りるルートのようです。駅からは4キロほどで、バスはありそうもありません。グーグルマップで駅を見たら、タクシーが写っていました。徒歩かタクシーか、降りた気分で決めることにしました。この2つの鉄道は乗ったことがなく、さぞ遠いかと思いましたが、都心から1時間半ほどで行けます。

長塚節と「土」については、今月発売した新著「ソーシャル・シンキング」でも触れました。第6章「東京と都会」の冒頭です。農民を本格的に初めて主人公にした農民文学のさきがけです。「土」は田舎と都会を分ける象徴的な物質であり、言葉です。美術の世界なら、農民画で知られるバルビゾン派のミレーのような存在です。農民はかつて生かさず殺さずといわれた人たち。「土」の主人公の妻は破傷風で亡くなりますが、原因は自分の手で堕胎した時の感染症のようです。多くの悲惨な現実が克明に描かれます。

生家前に立つ銅像。日本各地に旅をした時の衣装で、市内には同じ銅像が3つある

つくばエクスプレスは継ぎ目のないロングレールが採用され、快適な乗り心地です。隅田川、荒川、中川、江戸川、利根川など関東平野を流れる大きな川を次々と越えていきます。守谷駅周辺は新しい一戸建てが正確に並んでいて、数十年後に生まれるであろう同質な高齢化社会を心配してしまいました。関東鉄道は1時間に2本程度、乗ったのは1両のディーゼル車で快速でした。途中あった水海道は聞いたことがありますが、水海道市と石下町が合併して常総市になったと知りました。常陸国と下総国、今なら茨城県と千葉県が渾然一体とした土地のようです。石下駅にタクシーがいたので、乗りました。

「生家に行く人はたまにいるよ。月に1回必ず来る人もいる。バスなんかないから、呼んでくれれば帰りも来るよ」と運転手さん。「今も農業は盛んですか」と聞くと、「盛ん盛ん、何でもつくっている。外国人がたくさんいて。ミャンマーとかベトナムとか。彼らでもってますよ」と言いました。今でも農業の土地なのだ。首都圏から近いし、何と言っても土地が広い。関東平野にぽつんとそびえる筑波山を除けば、視界は180度。広い平野にありがちなどこか殺風景なたたずまいで、風も強そうでした。「土」にはそうした自然の描写もふんだんに出てきます。都会の作家たちには絶対に書けません。

生家の母屋。明治初期の建造という

生家は大きい。豪農の家です。4年ほど前までは内部を公開していましたが、今は外を見るだけです。土日だけ案内の人がいて、高齢の女性がていねいに案内してくれました。茨城県指定文化財ですが、修理などは行われず、周囲も竹やぶで手入れは不十分そうでした。長塚節は正岡子規に師事し、写実主義の正統的な後継者でした。茨城県尋常中学(現水戸一高)に入学しましたが、4年生の時に神経衰弱のため退学しました。その後、各地を旅行して体力をつけましたが、結核のため35歳で亡くなりました。今回、いろいろな資料を見て、真面目な人柄だったと知りました。「土」は農村の日常を構造的な背景を念頭に置きながら、豊かな人情や自然、風俗を交えながら写実的に描きました。長く生きていれば、どんな作品を描いただろうかと想像が膨らみました。

帰りは同じタクシー会社に電話して、同じ運転手が来ました。駅までの途中、鬼怒川を通りました。川幅はそれほど広くないので、見過ごしてしまいそうでした。そこでふと思い出しました。2015年9月、このあたりで洪水があったのではないか、と。「そうだよ。大変だったよ。このあたりでは8人亡くなった」と運転手さんが説明してくれました。その頃、テレビ朝日で研修をしていて、ちょうど暇な午後だったのでテレビを見ていました。孤立した人たちが助けを求める生々しい映像がヘリコプターから中継されました。「いくらいい映像を撮っても、災害になるとNHKの視聴率が高いんですよ」とテレビ朝日の社員が言っていました。一帯は古くから洪水が多く、闘いの歴史だったそうです。天竜川と闘った我が故郷と似た空気を感じました。