東大の式辞(2024年3月4~8日)

2024.03.08教養講座

*** きょうの教養 (東大の式辞①明治・大正・昭和初期) 

国立大学は広義の政府の一機関である。「大学の自治」を掲げるが、国策の制約も受ける。国立大学でもっとも歴史が古く、頂点に立つ東京大学の総長は何を語ってきたのか。「東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉」(石井洋次郎著、新潮新書・2023年)から紹介する。その当時の歴史がくっきり現れている。一部は現代訳にし、解説は同書から抜粋した。初回は明治から昭和初期をとりあげる。

◎1895(明治28)年7月の卒業式=第3代総長・浜尾新(文部行政官) 「学術技芸は近世文明の要素にして、その進むか否かは国力の伸展に関すること甚だ大なり。帝国は未曾有の隆盛に際し、世界の大国と対峙し文明を競い、富強を実現するには、武備とともに文備を充足し、ますます学術技芸の進歩を図るべきだ」 (解説:学問を修めることは国力増強のためという思想が出ている)

◎1913(大正2)年10月の入学式=6代・山川健太郎(物理学者) 「国家が大学を設けて教育するのは、国家に欠かせない人材を養成するためである。諸君は国家のために学問をするものであって、自己のためにするものではない。いったん志を決して帝国大学に入学した上は、身を国家に献ずる覚悟がなくてはならないと思う」 (解説:山川は会津藩士に生まれ、白虎隊で明治政府と戦った。藩への忠誠心が国家への愛国思想へとつながったようだ)

◎1935(昭和10)年3月卒業式=12代・長与又郎(病理学者) 「人格修養の方法については各人の工夫に待つが、教育勅語の趣旨を文字通り実行することが大切であると信じます」/1938年(昭和13年)3月卒業式=長与又郎 「我が国は未曾有の非常時局に直面しております。我が国民は困難に遭遇するたびに殉国奉公の精神を遺憾なく発揮して、国運の発展に寄与してきたことは歴史の明示するところであります」 (解説:在任中に天皇機関説事件や2.26事件があり、軍部が政治への介入を強め、戦争一色になる時代だった)

*** きょうの教養 (東大の式辞②昭和中期) 

◎1939(昭和14)年3月卒業式=13代・平賀譲(造船学者) 「わが国は今や敢然として、国家の基礎を一層確立するのみならず、さらに世界平和のために、東亜新秩序の建設に着手したのであります。この大業こそは、わが国民が万難を克服して成就しなければならぬところであります」

◎1943年(昭和18年)9月卒業式=第14代・内田祥三(建築学者) 「今ここに卒業証書を授けられるに至りましたことは、ひとえに聖恩(天皇の恵み)の鴻大無辺(果てしなく大きなもの)によるものでありまして、ただただ感泣のほかなく、誓って一身を君国に捧げる覚悟を一層新たにせられたことと確信いたします」/(ここから戦後)1945(昭和20)年9月入学式=内田祥三 「新しき栄えある日本の建設に渾身の努力を尽くすべき秋であります。新しき日本の行くべき道は自ら明らかで、道義を篤くし、教養を高め、科学を振興し、世界文化の進展に寄与する以外に道はないのであります」(解説:同じ総長だが、戦中と戦後で表現が一変した。「世界文化の進運に寄与する」という大学本来の姿を初めて訴えられるようになった)

◎1946(昭和21)年5月入学式=15代・南原繁(内務省から政治学者。キリスト教者としても知られる) 「戦いに敗れたそのことは必ずしも不幸であるのではない。国の将来は国民がこの運命的事件をいかに転回し、いかなる理想に向かって突き進むかにあると同じく、個人の未来もこれを転機として、いかなる新生を欲して立ち上がるかにかかっていると思う」/1949(昭和24)年4月入学式=南原繁 「大学をその本来の精神に復すにはいかにすべきであるか。個々の科学や技術を相互に関連させ、意義を総合的な立場で理解することである。我々の時代が到達した知識の体系を知り、我々の世代が共有する文化と文明の全体の構造と意味、世界と人間と社会についての理念を把握することである」(解説:歴代総長の中で最も知名度の高い一人。軍国主義を強く批判し、真理の探求、教養や創造力の重要性を訴えた。中ソを含む全面講和を主張し、米国中心の単独講和の吉田茂首相から「曲学阿世の徒」と批判された逸話は有名)

*** きょうの教養 (東大の式辞③戦後・高度成長期) 

◎1952(昭和27)年3月卒業式=16代・矢内原忠雄(経済学者。戦前、軍国主義批判を理由に辞職に追い込まれ、戦後復帰)  「警察権との関連で本学に起こった事件について、学問の自由、大学の自治、日本社会における言論、思想の自由が特高警察的活動によっておびやかされることのなきよう、我々が学問自由の一線を強く守るために努力していることは、諸君の知るところである」 (解説:事件とは、国鉄の松川事件をテーマにしたポポロ劇団の公演に私服警察官が混じっていたことをきっかけに東大生が逮捕された一件。矢内原は平和主義とデモクラシーを掲げ、南原繁とともに戦後の東大を学問の府へとけん引した)

◎1964(昭和39)年3月卒業式=第18代総長・大河内一男(経済学者)  「自分の信念を貫くことによって人生の出世街道から外れたとしても、悲観してはいけません。東京大学は声援を送ります。J・Sミルは『太った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります。節を曲げて社会のひずみから目を覆うことによってやせ細っても、信念に生きることが人間らしいのであります。諸君が痩せたソクラテスになる決意したとき、日本は本当にいい国になるでしょう」 (解説:「太った豚より痩せたソクラテス」は有名な一節だが、式では読み飛ばし、後で披露して広まった)

◎1981(昭和56)年4月入学式=22代・平野龍一(刑法学者)  「大学では自分で考え、自分で結論を見つける訓練を何らかの形で積まなければなりません。他人の考えをそのまま受け入れるのではなく、一度疑い、自分で考えなおす態度が必要です。疑い切れなかったものだけが本当に自分の知識になるのであり、迷い苦しむことで初めて創造的な個性が育てられ、独自の判断基準が確立してゆくのです。社会に役に立ち、尊重されるのは、知識よりこのような態度から生まれたたくましい批判的精神だと言っていいでしょう」 

*** きょうの教養 (東大の式辞④平成) 

◎1991(平成3)年3月卒業式=24代・有馬朗人(物理学者)  「一自然科学者として、湾岸戦争で航空機やミサイル戦車など戦争技術が格段の進歩したことを大変残念に思います。アインシュタインら科学者や技術者の平和への願いは、第二次世界大戦後の45年間に幾度か無残にも踏みにじられてまいりました。世界には高度技術を必要とする事柄がたくさんあります。環境問題への応用や、身体障がい者、高年齢者のための支援機器類こそ、早急に開発すべきものです。世界の人々は今や武器の高度技術化を図る代わりに、人類の福祉のためにこそ、科学や技術を発展させるべきだと思います」

◎1996(平成8)年4月入学式=25代・吉川弘之(工学者)  「大学紛争は、教育制度、教育の内容や方法、教育環境そのものへの不満やイデオロギーの対立、産学協同への反対などを課題としつつ、より根源的には、価値自由な学問の伝承という本来の教育への回帰を目標としていた」

◎1997(平成9)年4月入学式=26代・蓮実重彦(仏文学者、文芸評論家)  「東京大学が生きた120年は、近代の歴史と重なっており、そこに繰り広げられた様々な出来事は、多くの矛盾を露呈させ、時に混濁した構図に収まりかねません。近代の日本がそうであったように、東京大学も激動の時代にありがちな社会的な葛藤から完全に自由ではなく、少なからぬ過ちを犯しておりますし、できれば記憶から遠ざけておきたいと思うこともないではありません。だからといって、過去の錯誤をひたすら恥じて見せるのは愚かなことですが、そうした事実がこの120年間にまぎれもなく起こっていたことは、率直に認めざるを得ないでしょう」

*** きょうの教養 (東大の式辞⑤来賓祝辞) 

東大総長式辞を収録した「式辞告辞集」は2000年までしかまとめられていない。参考文献の「東京大学の式辞」はこれ以降、来賓祝辞を紹介している。

◎2008(平成20)年4月入学式=安藤忠雄(建築家)  「3000人強の学生は幸福な形で入学したのですが、この式に立ち会われている6000人を超える家族の方々、この日は巣立ちの日だと思って親子関係をしっかり考えてもらう方がいいと思います。親は子を切り離し、子は親を切り離せ。自立した個人を作るために、親は子を切ってほしい。個人の自立なくして、『独創力』や常識を疑う力はなかなか生まれないのではないでしょうか」

◎2018(平成30)年4月入学式=ロバート・キャンベル(文学者)  「教養とは、自分の経験から思いもよらない他者の言葉に触れたり、前時代に起きた事柄に対して思いを馳せ、知ったりする事で自らを変える力を蓄えることだと思います。自分ではない他者の痛みに思いをやる、つまり送り込むことによって、自分のことを振り返る、内省する、前に進む能力を培います。ひっくるめていうと共感、英語で言うエンパシーになります」

◎2019(平成31)年4月入学式=上野千鶴子(社会学者)「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください。そして強がらず自分の弱さを認め支え合って生きてください」

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現実の「大学の自治」や「学問の自由」は、絶対的な存在ではなく、時代と政権の制約を受ける。特に国立大学にとって政権による制約は私立大学よりはるかに強い。予算規模などで頂点に立つ東大は、象徴的な影響を受ける。戦前は国策の先兵的役割を担い、式辞にも反映している。憲法が変わった戦後は、政権も寛容で自由度は増した。しかし、2004年からの国立大学法人化で、形式上の独立性は強まっても予算その他で制約が増したという声は根強い。安保政策を転換させた安倍・菅政権は統制を強め、学術会議問題が起き、今も解決されていない。大学や学問の自由は、表現の自由と通底し将来の社会にも大きく影響する。国民のチェックや関心がもっと必要な領域だ。