アカデミー賞の想像力 (異空間試論)

2024.03.15コラム

新著「ソーシャル・シンキング」は、日本の企業人の奮起を願って書いた。日本の企業人は視野が狭く、教養がないと指摘される。「もっと視野を広げよう」「自分の頭で考えよう」がメッセージだ。人によって違うから、すべて断定するのは乱暴だが、断定できないからと言って何も考えないのは怠慢だ。言いっぱなしはよくないので、「頭の中に仕事とは別の空間を創れ」と提案してみた。題材を見つけながら、異空間を創造する理論を考えてみたい。

2024年3月15日付の日経新聞文化面に第96回アカデミー賞を評論する古賀茂樹編集委員の記事が載っていた。約1万人の映画人の投票で決まったが、背景に戦争の時代へのメッセージがあるとして、各受賞作を批評していた。いい言葉がいくつかあった。

作品賞を受賞した「オッペンハイマー」の主人公となった原爆の父について、「語学の達人で文学の造詣も深いが、実験は苦手。自由に思索するが、感情的に未熟。天才的な洞察力と率直さは多くの人を魅了するが、敵もつくる」。優秀だが、どこか地に足のついていない人間像だ。「マクナマラの誤謬」という言葉を思い出した。秀才の誉れ高く、フォード社長からケネディ政権に請われて国務長官になったが、ベトナム戦争の泥沼にはまった。数字だけを重視する人間でベトナム人の心情や強固なナショナリズムを理解できなかったと評される。

国際長編映画賞を受賞したのが、ユダヤ人監督の「関心領域」。古賀編集委員は「強制収容所の隣の官舎で優雅に暮らすナチスの所長家族を描き、壁の向こう側への想像力の欠如を暴いた」と書いた。日本のビジネスパーソンは次のように言われることがある。「関心領域は机の周り5メートル。夜は酒浸り」。ナチスと比べる気は毛頭ないが、この文を読んで「私たちは十分な想像力を持っているだろうか」と自問した。

日本の作品の受賞も話題となった。宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」について「主人公の少年は軍需工場を営む素封家の息子。疎開先で不思議な異空間に迷い込み、秩序と破壊、人間存在の意味について思い悩む」と評した。まさに「異空間」という言葉が登場している。視覚効果賞の「ゴジラ-1.0」は「特攻隊で生き残った気弱な青年が戦後の日本に現れたゴジラと闘う」物語で、特攻隊から戦後へと異空間をまたぐ。

映画はビジネスパーソンに異なる空間を手軽に与えてくれる。ダイバーシティの重要性が叫ばれ、外国人や女性ら多様な人達を巻き込んだ経営がイノベーションにつながると関心を集めている。新たな気づきには価値観の違う人たちとの知的交流が重要だ。しかし、多様な人が周りにいるとは限らない。

「イントラパーソナル・ダイバーシティ」という言葉がある。個人の中に多様な視点や役割を持つ意味で、これなら心がけ次第でできそうだ。「きょうは違う駅で降りてみる」「本屋で目をつぶって選び、最後まで読み切る」。そんなことでも、いいらしい。ささやかな一歩を踏み出そう。