報徳思想と現代(2024年3月18~22日)

2024.03.23教養講座

*** きょうの教養 (報徳思想と現代①) 

現代日本では欧米の思想が優位に語られがちだが、日本発の思想も忘れてはならない。二宮尊徳に起源を持つ報徳思想もその一つ。大日本報徳社の鷲山恭彦社長(元東京芸大学長)が、昨年11月の全国報徳サミットで話した基調講演から紹介する。今日の諸問題を解決していく上で示唆を与えている。なお、大谷翔平選手らが卒業した花巻東高校は報徳思想を教育理念の一つにしており、スタンフォード大学に進む佐々木麟太郎選手は二宮金次郎像の前で取材を受けた。センバツ高校野球に出場する報徳学園(兵庫)も校名通り、報徳思想の学校だ。

◎尊徳・渋沢・栗山

報徳思想の威力を一番よく知っていたのが渋沢栄一で、彼の言葉を集めたのが「論語と算盤」だ。尊徳は「経済のない道徳は寝言、道徳のない経済は犯罪」という意味の言葉を残しているが、渋沢は道徳と経済のはざまに立志、企業、持続、成功、義侠、無私、忍耐などを位置づけ、経営の奥義を語っている。尊徳の思想は「富国安民」だが、日本は戦前、「富国強兵」の道を歩み、戦争で悲惨な結末を招いた。渋沢は満州事変のあった1931年に亡くなったが、中国や東南アジアへの侵略を「是」としていなかっただろう。

WBCで優勝監督となった栗山英樹さんと対談した。日本ハムの監督時代、選手たちに渋沢の「論語と算盤」を読んでもらっていたという。誠実な道徳的振る舞いと、自分だけでなく他者の利益も考える渋沢の経営論が選手の育成、組織作りにつながる人間教育の精髄を見ていた。技術面も大切だが、心を耕すことも重要だ。尊徳は「新田開発」を奨励したが、より大切にしたのは「心田開発」で、人の心を大切にした。江戸時代の尊徳の思想が渋沢、栗山に受け継がれている。報徳思想の強い生命力を感じる。

尊徳の思想は実践的な挑発力を持っている。「道徳と経済」「新田と心田」「天道と人道」といった二項対立から中点を求める思想が提起されている。考え方の基盤は「万象具徳」「以徳報徳」「積小為大」「一円融合」と四文字熟語で言い表すことができる。あらゆるものに徳が備わり、徳には徳で報いる。すべてに徳があるという考え方は神道から来ている。八百万の神々から出たもので、キリスト教イスラム教のような一神教からは出てこない。一神教は自分以外の正しさを認めないから、弾圧や排除を生む。「万象具徳」の世界は価値の多様性を前提とし、極めて民主主義的な考え方だ。「徳」は、実践や体験から自然と醸し出される人生のエキスのようなものではないか。学び、実践し、身を修めてことが、徳に近づいていく道なのだろう。

*** きょうの教養 (報徳思想と現代②) 

◎積小為大・一円融合

「積小為大」(せきしょう・いだい)は、小さいものを積み重ねると大きくなるという意味である。量の蓄積が新しい質を生む。歌人の佐々木幸綱さんによると、和歌を苦労してたくさん作り、仕組みがわかってくると、思いがけない名歌が生まれる。大谷翔平選手が卒業した花巻東高校は報徳が校是で、積小為大を実践していると思っている。人間の能力に深い信頼を置き、力を無限に発展させる哲学といえる。一円融合は、対立を必ず円の中に入れて考えようという思想だ。すぐに一致点が見出せなくても、円の中に入れておけば敵対的にはならない。円の中で熟議を重ね、知恵を絞って一致点を見出せたなら、素晴らしい創意工夫になり、新しい発展の基盤になる。世界を考える重要な観点を示している。

ロシア・ウクライナ戦争は、侵略したロシアが悪いと誰しも思う。一円融合の観点から見ると様々な問題が見えてくる。米国とロシアは蜜月だったが、2008年に米国がウクライナなどのNATO加盟を提案したことが転機になる。独仏が反対して棚上げになったが、プーチンに不信と怒りを呼び起こし、追い込んだ。1989年ベルリンの壁崩壊で東欧社会主義国とワルシャワ条約機構はなくなったが、NATOは残り、加盟国を16か国から30か国に増やした。地政学上中立にしておくべきウクライナやジョージアのNATO加盟まで持ち出した。それがウクライナ・ロシア戦争を呼び起こした。軍事同盟の持つ深刻な問題がここにある。

一円融合を実践したのが、ドイツのメルケル首相で、ロシアとの友好関係に意を尽くした。第二次世界大戦でロシアを侵略して2000万人も殺した歴史があり、ロシア関係は慎重だった。意見が違っても円の中に入れ、共通点を見出す努力を続けた。メルケル退陣とともに戦争が始まった。ウクライナとロシアの国民は緊密な関係にあったが、戦争になれば、憎しみの連鎖が生まれる。今後、何百年も友好関係はないだろう。戦争の終わりも見えず、壊滅寸前まで行かないと決着はつかないようだ。メルケル政権が健在なら、戦争にならなければ、数十万の戦死者は皆生きており、1000万近い他国への亡命者もいない。最大の安全保障は敵をつくらないことだ。どんな場合も円に入れて考え、敵をつくらないという一円融合の教えは、現代においてこそ実践されるべき生きた思想である。

*** きょうの教養 (報徳思想と現代③) 

◎軍産学融合体

ウクライナ戦争で武器だけ供給しているアメリカは好況だといわれる。60年前、アメリカのアイゼンハワー大統領が退任演説で、アメリカに軍産学融合体ができつつあると警告した。学問が軍事に従属してゆがめられつつあり、学者は自由な知的探求心に沿って研究するのに政府の委託による研究が増え、軍事科学専門のエリートたちの発言が強化され、政策実行が秘密裏に行われている、と指摘した。融合体が一度できると、国家は武器を買わざるを得なくなり、どこかで戦争が起こっていないと国が持たなくなると懸念した。アイゼンハワーの懸念は当たったというべきだろう。ベトナム戦争を始め、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争、そしてウクライナと15年ごとに戦争をしている国になった。台湾有事もその延長線上だろうか。軍産学融合体が各国にできつつあり、日本でも武器輸出がいわれている。国防に名を借りた好戦的な動きが始まっている。

ドイツとフランスは二度の大戦の教訓から、ヨーロッパ共同体をつくった。私たちが目指すべきは東アジア共同体だろう。中国の間に尖閣列島問題があるが、田中角栄・周恩来会談で棚上げにし、40年間ずっと友好関係が続いていた。日本が一方的に国有化宣言したから発生した問題で、面子を潰されたのは中国だが、そう考える日本人はごく少数だ。公平に物事を見る一円融合の観点に立たない限り、理屈にあった解決はされない。そもそも尖閣列島でも竹島や北方四島でも、領有で争う意味があるのだろうか。日本の農村には昔から入会地という、共同で草や薪などを取る共有地があった。問題の島々は、国際入会地にして協議すれば済むことだ。

台湾問題は中国の国内問題と押さえておく必要がある。台湾有事と米国が判断した場合、沖縄が中国との戦争の最前線基地になる。日本が米国の先兵になって中国と戦うことになるのではないか。「安全保障条約」は日本国民にとって「安全破壊条約」になってしまう。ここでも軍事同盟の深刻な問題が浮かび上がる。一円融合の観点から物事を見ると、さまざまな問題が浮かび上がって、因果関係が見えてくる。

*** きょうの教養 (報徳思想と現代④) 

◎人類を危機に追いやる「四天王」

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、四天王は人を指したが、今は4つの事柄があると考えている。第一は米中露など大国の覇権主義、第二はNATOなどの軍事同盟、3つ目が各国にできつつある軍産学複合体、4つ目が格差を生む資本の論理だ。人類はこの課題に直面しており、しっかり目を凝らしていく必要がある。報徳訓の中に「田畑山林は人民の勤耕にあり」とある。現在、この田畑と山林が「大国の覇権主義、軍事同盟、軍産学融合体、資本の跋扈」によって荒らされている。これを人民の勤耕によっていかに是正していくか。そういう構図にある。

日本は個別的自衛権から集団的自衛権に移行したが、集団的自衛権は大変曲者だ。ある研究者によれば、米国とアフガニスタンの戦争で日本は敗戦国になっている。日本としては個別的自衛権に徹し、説得力豊かで自立した自主独立外交と通商を目指す。これが人民の勤耕に生きる私たちのとるべき道である。

人類を救ういろいろな教えがある。キリスト教は「愛」、仏教は「慈悲」、儒教は「仁」、報徳は「至誠」だ。天地人の客観的真理を誠の心によってしっかりと映し取って我が物にする。その道に従うところに、私たちの大きな発展がある。尊徳が私たちに求めるのは科学的精神である。気候変動が問題になっているが、人間の欲望によって人道がゆがめられ、ゆがんだ人道が天道までゆがめている。やはり現在、自然・人間・社会において、政治・経済・文化・国際関係のあらゆる面において、根本から考え直さないと進んでいけない時代に入っている。報徳思想は私たちに根源的な思考を強く促している。

*** きょうの教養 (報徳思想⑤と現代) 

◎国民意識の変化と「いもこじ」

高度経済成長が終わった1970年代以降、日本人の価値観は大きく変わる。みんな都会に出て、自由恋愛で結婚し、ニューファミリーをつくった。自由な個人が人生を決める戦後民主主義が花開いた。大らかな市民精神が発展するかと思ったが、豊さと便利さの中で、私生活中心の小市民的メンタリティーが醸成された。個人主義から利己主義になり、人と人との結びつきが希薄になった。孤立化、密室化という事態が生まれてきている。

学校では70年代に校内暴力、80年代はいじめや生徒の自殺、90年代は不登校や学級崩壊といった問題が噴出した。21世紀に入って市場原理主義が広がり、競争的な成果主義、能力主義、数値主義が力を振るい、終身雇用や年功序列の日本型雇用が潰れていく。代わって派遣労働による長時間、過密、低賃金の不安定労働が増え、定職が得にくくなる。格差社会の到来だ。

次いで国家中心主義が現れる。国会の議論は軽視され、閣議決定が優先される。社会的な合意形成よりも政府による国会意志の貫徹だ。徹底的に議論されることなく、数の力で集団的自衛権、安保関連法、秘密保護法、共謀罪法が通っていく。内閣人事局への権力集中は官僚統制の強化となり、忖度政治がはびこりはじめた。ドイツの哲学者ヘーゲルは「政治的国家と市民社会の分裂は近代の特徴」と言っている。政治的国家と市民社会、つまり国家と社会は二元的に分かれているのが近代社会の特質である、という意味だ。近代社会では、国家と社会は分かれていないと健全ではないということだ。

国家中心の態勢を保障しているのは小選挙区制だろう。中選挙区なら、志のある人は自由に名乗り出て、同じ政党で2~ 3人当選できた。いま、政党中枢が決める候補者は、無難な高学歴の官僚経験者、二世・三世議員、タレントらだ。3割に満たない得票で7割の議席が占められる。報徳には「いもこじ」という考え方がある。たらいの中でごしごしイモを洗っていくと、イモの個性が輝き出る。今風の言葉なら「熟議」だろうか。話し合うことによって、それぞれの個性も共有でき、合意形成もできる。少数意見も後で正しかったかもしれないと検討の余地を残す。このように徹底民主主義が息づいている尊徳の考え方は重要だ。