ソーシャル・シンキングⅡ(2024年3月25~29日)

2024.03.29教養講座

*** きょうの教養 (ソーシャル・シンキング⑥) 

今週は前々週に続いて、拙著「ソーシャル・シンキング」の後半部分を紹介する。第6章から第10章のポイントを説明する。

◎第5章「東洋と西洋 構想力を鍛える」

グローバル・ビジネスをする場合、東洋と西洋の違いや共通点を理解する必要がある。この点を深く考えた哲学者の梅原猛は、西洋文化の起源はデカルトと指摘した。デカルトは哲学史上有名な「炉部屋の思索」で、学問の方法として、明晰、分析、総合、枚挙の4つをあげ、科学技術の発達につながった。日本文化のキーワードは「草木国土悉皆成仏」(そうもく・こくど・しっかい・じょうぶつ)で、すべてに仏性があり、自然は生きていると考えた。こうした違いは多くの局面で生まれている。

今は米中対立が大きな問題になっている。西洋と東洋の対決といえるし、覇権をめぐる対決とも言える。覇権は嫉妬の感情が絡んでいる。日本では台湾有事も語られるが、米国に追従して事態を見るのではなく、米中対立を相対化したい。日中の武力衝突は過去4回あるが、漢民族との戦いは663年の白村江の戦いしかない。1937年からの日中戦争は主に漢民族との戦いだが、対立というより日本の一方的な攻撃だった。中国には18世紀のアヘン戦争以後、欧米に侵略された厳しい記憶がある。経済成長で自信を持ち始め、米国と覇権を争うようになったが、中国には米国への留学者も多く、多元的な社会だ。日本も中国を多元的に見る必要がある。

日本は明治維新で西洋と出会い、文明開化を図ったが、教育は例外だった。自由民権運動の台頭を恐れた明治政府は、天皇中心の国家体制を強化し、教育勅語を制定した。上意下達、暗記優位の教育になり、自由で合理的な思考は広まらなかった。西洋と出会った合理主義者として、平民宰相の原敬、言論人で戦後首相になった石橋湛山、評論家の清沢洌がいる。いずれも現実を合理的に判断し、実践した。

日本人は忖度が過ぎるといわれる。19世紀のアメリカの思想家エマソンは著書「自己信頼」で個人の思想や意見の貴重さを説いたが、キリスト教を深く学び、東洋思想にも通じていた。東洋と西洋という潮流をよく観察し、よりよき世界につなげる思考が必要だ。

*** きょうの教養 (ソーシャル・シンキング⑦) 

◎第6章「東京と地方」

「東京と地方」の意味は2つある。「都会と田舎」と「国家と地域」で、両者のメカニズムに目を凝らすことが必要だ。長塚節の「土」という小説がある。舞台は茨城・常総地域で、農民の悲惨な生活と豊かな自然を描いた。農民が初めて主人公となった農民文学のさきがけだが、都会の中産階級が主流だった文壇では「読む必要はない」という批評もあった。夏目漱石は「帝都の近くにあるこうした状態を知る利益はある」と推薦した。都会人には地方に疎い人もいるが、社会には貧困や差別があり、誰もが知っておく必要はある。富裕層に目がいきがちな企業人はなおさらだ。

文芸評論家の斎藤美奈子さんは、過酷なトヨタ工場の体験記「自動車絶望工場」(鎌田慧著)や部落差別を描いた「橋のない川」(住井すゑ著)を高く評価する。米国の政治学者リンドは、大都市エリートと土着国民の分断が深まっているという本を書いた。大統領選でトランプ氏が勢力を伸ばす背景である。都会と田舎の構図は社会を見る一つの視点だ。

「国家と地域」の関係も考えたい。両者は時に同じ方向を向き、時に対立する。「中央政府と個人」とも言えるが、個人は地域で生きている。一方、中央政府は政権の意志を形にした組織であり、ある意味、虚構だ。地域の平穏を乱す国家・中央政府の動きがあると、両者は対立する。辺野古基地や原発は代表例だ。対極にある個人主義と国家ナショナリズムが結びつくと、極端な排外主義になりかねない。ファシズムは典型だった。日本は戦前、国家と教育が結びついて自由に考える力を抑圧し、今もその傾向は残る。国家と地域の特性を知り、健全な関係を築きたい。ロシアのウクライナ侵攻は、国家が地域の平穏を犯した極端な例である。国境を超えた地域が、国家の功罪を見抜き、地域同士の交流によって、戦争のような災厄を回避・排除する動きが求められる。

*** きょうの教養 (ソーシャル・シンキング⑧) 

◎第7章「キャリア形成 自律力で生きる」

人生100年時代になった。いきいきと長く暮らすには、80歳くらいまで働く必要性が高まっている。生きがい、健康、資金を自分なりに考えて確保しなければならない。知識やノウハウも必要だが、最初の一歩はマインドがもっとも重要になる。自分らしさをどう追求するかが問われている。シニアだけでなく、若い人も自分の将来を自分で設計する時代になっている。米国では一生を設計するキャリア理論が研究されている。誰にでも厳しい転機が訪れる。その時、どう考え、どう行動すればいいか、などを幅広く研究している。コンサルティングも盛んだ。悩みをしっかり聞いてもらうことで、相談者は多くの気づきを得る。キャリアを考えるカギは本人の内省にある。

◎「コミュニケーション 深耕力をつける」

コミュニケーションという言葉は、広く語られるようになった。「文化はコミュニケーションであり、コミュニケーションは文化だ」といわれる。共通の文化はシンボルを共有する。コミュニケーションには言語と非言語がある。言語は抽象的な思考や内省ができ、音声(話し言葉)と非音声(書き言葉、手話)がある。非言語にも音声(声色や声の性質)と非音声(外見、動作、においなど)がある。何気なくコミュニケーションをしているが、よく考えると深い。

文豪たちの文章論には学ぶ点も多い。日本で最初に書いたのは谷崎潤一郎で、名文は「記憶にとどまる深い印象を与え、読むほどに滋味が出る」という。三島由紀夫は「文体による現象の克服が文章の理想であり、気品と格調を目標にしている」と論じた。歴史学者のライシャワーは1986年、「日本人は意志疎通に熟達し、他国民との共同体意識を持つことが求められる」とコミュニケーション能力の欠如を指摘した。達成されているだろうか。

*** きょうの教養 (ソーシャル・シンキング⑨) 

◎第9章「ジェンダー平等 想像力を働かす」

最近、ジェンダー平等に関する認識は急激に変化している。個人や男女、世代で意識に差があり、無意識の偏見も残る。ジェンダー平等が求められる第1は、人間は平等という普遍的な人権問題だからだ。第2はどの国も社会をよくするのに女性の力を求められている。日本のジェンダー平等度は国際的な指標で低い。国会議員数や企業の役員数などで劣り、先進国では最低水準とされる。明治期にできた家父長制の影響も根強く、「働く夫と専業主婦」を前提とした税制や社会保障で制度の壁がある。

日本の歴史を振り返ると、古代は女帝も存在し祭事にも関わる男女平等の社会だった。武家政権ができると男尊女卑の傾向が出始め、江戸時代になって強まった。明治期の民法で男性、特に長男の地位が高くなった。戦後の民法改正で法律上は男女平等が基本になったが、実態は平等社会とは言えない。欧米もかつては日本と変わらなかったが、「クオータ制」を導入して女性の社会進出を促した。公的機関の女性を機械的に増やす制度で、大いに見習いたい。日本の企業も取り組む余地があり、最近は「DE&I」がキーワードになっている。「ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン」の略で、日本語では「多様性、公平・公正性、包摂性」となる。かつて「E」は「イクアリティ」で全員に同じ条件を提供する「平等性」だったが、個人の状況に応じて支援する「公平・公正性」に変わっている。

企業では男女の賃金格差、管理職の女性比率、採用に占める女性の割合を改善することが具体的な課題だ。女性だけを底上げするのではなく、男性の働きにくさ、非正規労働者の待遇も改善したい。誰にとっても働きやすい会社が求められており、働きやすい会社の業績がよいというデータもある。ジェンダー平等は人や立場によって考え方の違いが大きい。お互いが想像力を働かせながら対話し、暮らしやすい社会をつくる努力が求められている。

*** きょうの教養 (ソーシャル・シンキング⑩) 

◎第10章「メディア活用 教養力を上げる」

「日本の企業人は視野が狭い。教養が足りない」といわれる。教養をつけるには、広い意味でのメディアを活用するしかない。最適メディアは書籍であり、読書が教養の源泉になる。読書は受け身ではなく、主体的な読み方が大切だ。松岡正剛氏が所長を務める編集工学研究所は「探究型読書」と呼ぶ。「顕在化した課題解決が従来型の優等生とすれば、今は自分で問題を見つける人が有能な人材。見えていない課題を仮説ベースで提案し、解決策を探る時代」と位置づける。

ライフネット創業者の出口治明氏は「本、人、旅」をあげる。「古典を読めば昔の賢人と対話できる。面白い人と会えば、本と同じようにわくわくできる。旅は五感で情報を得られる」という。池上彰氏と佐藤優氏は共著が多いが、「世の中を知るには新聞が基本かつ最良のツール」という。新聞部数はデジタル情報の増加もあって減っているが、世界と日本で起きている情報をていねいにバランスよく報じている。全国紙は論調が違うので、最低2紙読みたい。保守的で自民党政権に好意的な新聞と、相対的に逆の立場にある新聞だ。ただ、論争になるのは政治的に意見が分かれるテーマで、全体から見ればそれほど多いわけではない。

最近は若い人を中心にネットでニュースを見る人も多いが、ネットは玉石混交でプロ向きのメディアという自覚が必要だ。新しいニュースがどんどん流れてくるので重要性を判断しにくい。その点、新聞の一覧性は貴重だ。価値判断された情報が読みやすいように並んでいる。関心のない情報が目に飛び込んできて、知見の幅が広がることもある。ネットの功罪を理解して接する必要がある。学校の教科書は必要な情報が良質に整理されているので、大変参考になる。

◎あとがき  何事も最後は「人」にかかっている。目先のことだけにとらわれず、脳と職場に新しい空間を創り、考え続ける人かどうかが問われている。