サン=テグジュペリの世界(2024年4月8~12日)
*** 今週の教養 (サン=テグジュペリ①)
今週は「星の王子さま」で知られるサン=テグジュペリ(1900~44)を取り上げる。同書は大人も子どもも読む世界的ベストセラー。当時最先端だった飛行機操縦士だったので、空からの視点や生死の感覚を強く持ち、人間にとって大切なことを平易な表現で追い求めた。サハラ砂漠に不時着した友人を救出したり、本人もリビア砂漠に不時着したりした。最後は母国フランス軍の偵察飛行に従事し、ナチス・ドイツに撃墜されたとみられている。齋藤孝明治大教授著「天才伝 サン=テグジュペリ」から、一部訳文と斎藤教授の「読み方のポイント」を紹介する。
◎【星】 「ぼく、こんどは、どこの星を見物したら、いいでしょうかね」「地球の見物をしなさい。なかなか評判のいい星だ・・・」と地理学者が答えました。王子さまは、遠くに残してきた花のことを考えながら、そこに出かけました。(「星の王子さま」から)
いまでもわたしの眼の裏には、アルゼンチンで初めて飛行したときの光景が焼きついている。インクを流したような夜。そしてその無の世界で、星のようにぼんやりとまたたいている地上の人間の光。そのひとつひとつの星は、夜につつまれた地上で、人々が考え、読み、告白を続けていることを物語っていた。そのひとつひとつの星は、標識燈のように、人間の意識の存在を明かしていた。あの光の中ではきっと、人間の幸福や正義や平和について、瞑想にふけっているのであろう。(「人生の意味を」から)
★読み方のポイント: 夜間飛行を生涯続けることを望んだサン=テグジュペリにとって「星」とは、天空の星々だけを指すのではなく、地上の人間の灯りや地球そのものを指していました。天空の星には主に科学者としての視線を注ぎましたが、「地上の星」には、同胞への優しさと鋭い批判的精神に満ちた文学者としての視線を注ぎ、戦争と平和、そして生と死に思いをめぐらしていました。
*** 今週の教養 (サン=テグジュペリ②)
◎【花】 僕はあの時、何にもわからなかったんだよ。あの花の言うことなんか取り上げずに品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。僕はあの花のおかげで、いい匂いに包まれていた。明るい光の中にいた。だから、僕はどんなことになっても、花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。ずるそうな振る舞いはしているけど、根は優しいんだということをくみ取らなきゃいけなかったんだ。花のすることったら、本当にとんちんかんなんだから。だけど僕は、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことが、わからなかったんだ。(「星の王子さま」から)
「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね、そのバラの花のために、暇つぶししたからだよ」「僕が僕のバラの花を、とても大切に思っているのは・・・」と王子さまは忘れないように言いました。「人間っていうのは、この大切なことを忘れているんだよ。だけどあんたは、このことを忘れちゃいけない。面倒を見た相手には、いつまでも責任があるんだ。守らなきゃならないんだよ、バラの花の約束をね・・・」とキツネは言いました。「僕は、あのバラの花との約束を守らなきゃいけない・・・」と王子さまは、忘れないように繰り返しました。(同)
★読み方のポイント: 「星の王子さま」に登場するバラの花のモデルとして定説となっているのは、サン=テグジュペリの妻コンスエロです。2人はすれ違いつつも、確かな愛によって結ばれていました。バラの花とのけんかが原因で故郷の星を離れ、最後にまた彼女の元に戻っていく星の王子さまの姿から、妻を深く愛していたサン=テグジュペリ自身の姿を読み取ることができます。
*** 今週の教養 (サン=テグジュペリ③)
◎【絆】 「ちがう、友達探してるんだよ。飼いならすって、それ何のことだい?」「よく忘れられてることだがね。仲良くなるっていうことさ」「仲良くなる?」「うんそうだとも。俺の目から見ると、あんたはまだ、ほかの十万もの男の子と別に変わりない男の子なのさ。だから俺は、あんたがいなくなったっていいんだ。あんたもやっぱり、俺がいなくなったっていいんだ。あんたの目から見ると、俺は十万ものキツネと同じなんだ。だけどあんたが俺を飼いならすと、俺たちはもうお互いに離れちゃいられなくなるよ。あんたは俺にとってこの世でたった一人の人になるし、俺はあんたにとってかけがえのないものになるんだよ・・・」とキツネが言いました。(「星の王子さま」から)
王子さまは、もう一度バラの花を見に行きました。そしてこう言いました。「あんたたち、僕のバラの花とは、まるっきり違うよ。それじゃあ、ただ咲いているだけじゃないか」。バラの花たちは、たいそうきまり悪がりました。「あんたたちは美しいけど、ただ咲いているだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃあ、僕のバラの花も、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちと同じ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪の花が、僕にはあんたたちみんなよりも、大切なんだ。だって僕が水をかけた花なんだからね。覆いガラスもかけてやったんだからね。ついたてで風に当たらないようにしてやったんだからね。ケムシを殺してやった花なんだからね。不平も聞いてやったし、自慢話も聞いてやったし、黙っているならいるで、時にはどうしたのだろうと、聞き耳立ててやった花なんだからね。僕のものになった花なんだからね」(同)
★読み方のポイント:星の王子さまの中の「飼い慣らす」あるいは「仲良くする」という言葉は、友達のキツネや恋人のバラの花と、「かけがえのない」関係を築くことを意味するときに使われます。飼いならした相手には、責任が生まれます。その責任感がサン=テグジュペリにとって、不時着した砂漠や戦場から生還するための「生きる力」となったのです。
*** 今週の教養 (サン=テグジュペリ④)
◎【自由】 私はジュビー岬(サハラ砂漠の長距離飛行機のための中継基地)にいた時、カモシカを育てていた。この土地では誰でもカモシカを飼っている。カモシカには流水と風が必要なので、戸外に金網を張りめぐらして、そこに入れておくのである。これほど弱い動物はないといわれていた。それでも小さい時に生け捕りにされただけに、人間の手から物を食べるのだった。愛撫に身を任せながら、濡れた鼻面を手のひらのくぼみに突っ込んでくる。だから、すっかり飼い慣らしたようにすぐ思い込んでしまう。音もなくやってきて、その色つやを奪い、いかにも哀れなあの死をもたらす未知の悲しみから、カモシカを守ってやったように思い込んでしまう・・・。しかし、小さな角で砂漠に向かった柵をついているカモシカを見つけ出す日が、やがてやってくるだろう。何者かに惹かれているのだ。カモシカには自分が逃げようとしていることも分からない。相変わらず、運んで行った牛乳を空っぽにして、愛撫に身を任せながら、前よりももっと優しく鼻面を手のひらにこすりつけてくる・・・しかし手を離してやればすぐに、幸せそうに大きく跳躍するまねをしてから、金網の前に戻っていくのがみられるだろう。ほっておけば、べつだんその障害に挑みかかるわけでもなく、ただ首を下げて小さな角をそこに押しつけたまま、死ぬまでそうしていることだろう。さかりの時期だからか?それとも、息が切れるほど大きな跳躍をしてみたいという欲望のせいだろうか? だがそんなことを知っているはずはない。生け捕りにされたときには、眼もまだあいていなかった。砂漠の中の自由も、異性の臭いも、全く知ってはいないのだ。(「人生に意味を」から)
★読み方のポイント=空を飛ぶ情熱を生涯持ち続けていたサン=テグジュペリにとって、大空を飛びながら体感した生命に根源的な「自由」こそが「生きる」ということの本質でした。ナチスの独裁政権によって母国フランスが侵略されると軍に身を投じ、「戦う操縦士」として果敢に空に旅立ち、夢見る自由、愛する自由、行動する自由を守ろうと行動を起こしました。
*** 今週の教養 (サン=テグジュペリ⑤)
◎【戦争と平和】 私が敵に戦いを挑むなら、私はその敵を創り出す。私がそれを鍛え、強固ならしめるのだ。いたずらに未来の自由の名において束縛を強化しようとするなら、私が創りだすのは束縛に他ならない。人間は、生命に対して斜めに行くことはできぬからである。樹を欺くことはできない。自分の思う方向に人間はそれを育てる事はできぬからである。あとのことは、言葉の風に過ぎない。未来の世代の幸福のために今の世代を犠牲にしようとするなら、私が犠牲にするのは、ほかならぬ生ける我が民たちである。しかもこれらの者たちとか、あちら者たちとかではなく、我が民のすべてを。私は彼らをことごとく、単純直裁に不幸の中に閉じ込めることになるのだ。あとのことは言葉の風にすぎない。(「城塞」から)
各個人を通じて「人間」の権利を肯定する代わりに、私は「集団」の権利について語りはじめていた。「人間」をないがしろにする「集団」の道徳がこっそりと導き入れられるのを見てきた。その道徳は、何ゆえ個人は「共同体」のために自己を犠牲にしなければならないかを明確に説明するだろう。しかし、何ゆえ「共同体」はただひとりの人間のためにも己を犠牲にすべきかについては、言葉の作為なしにはもはや説明し得ないであろう。不正義の牢獄からただひとりの人間を救出するために千人が死ぬということが何ゆえ正当なのか? 私たちはまだその理由を覚えてはいるが、徐々に忘れ始めている。しかしながら、私たちを極めて明確に蟻塚から区別するこの原則の中にこそ、何よりもまず私たちの偉大さが存するのである。(「戦う操縦士」から)
★読み方のポイント=サン=テグジュペリにとって「戦争」は「大冒険」であり、自己のうちの内的な「王国」から「血なまぐさい供犠の世界へと出てゆき、彼を行動へと促す精神の炎の収穫へと向かわせるもの」でした(「サン=テグジュペリの生涯」山崎傭一郎著)。彼は戦争についての思索と戦闘への実際の参加を通して、人間の本質を見極めようとしていたのです。