足利探訪 関東小旅行編

2024.05.01コラム

関東周辺部に旅行する機会が多くなった。首都圏に長く住んでいるので、名前は知っているし、電車や車で通ったこともある。しかし、行ったことがないので、よく知らないのである。土地を歩き、山や川の自然を感じ、空気を吸えば、いろいろ感じる。

最初にこんなコラムを書く理由を説明したい。うまい文章を書こうとか、誰かに読んでもらおうと思っているわけではない。考えるきっかけにしたいと思っている。当塾の方針は「書くことは考えること」。書けば、いろいろな想念がわいてくる。それを整理するために書く。それが理由だ。

今回は栃木県足利市。東武鉄道の特急で通ったことはある。広く続く関東平野の北限で、小さな山が近いことを覚えている。今回は東北自動車道を北上した。埼玉県内は何の変化もなく退屈だが、利根川に近づくあたりから田んぼが増える。茨城、群馬、栃木の県境である。古河、佐野、館林など、聞いたことはあるが、位置関係はよくわからなかった。足利は栃木県の最南西にあることを実感した。

藤棚の下に大勢の人がいる

最初に行ったのが、「あしかがフラワーパーク」。てっきり市営かと思ったが、民間の施設だ。HPによると、早川農園として1968年に開園。以来 「250畳の大藤」 が愛され、都市開発のために1997年に現在地に移ってオープンした。湿地帯だったので、大量の炭を敷き詰め、土壌を浄化した。面積は現在10万平方メートル。四季折々、数多くの花々で彩られているが、春の大きな藤が有名だ。

後ろの森が絶好の借景だ

たしかにすごい。こんな藤を見たのは初めてだ。棚があったり、なかったり、いくつかの見どころがある。平日だが、GWとあって人もすごい。女性が多いようだ。インバウンド客も多く、売店はごったがえしている。駐車場で整理している人も多い。両毛線の駅に隣接し、一大観光地だ。

続いて足利学校に行った。「足利と言えば、足利学校」だが、何の学校かは恥ずかしながら「?」だった。行ってわかった。起源について、いろいろな説がある。奈良時代、地方に置かれた学校である「国学」説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説・・・。はっきりしているのは、室町時代に上杉憲実が現在国宝に指定されている書籍を寄進したことだ。1549年にフランシスコ・ザビエル、1587年にルイス・フロイスが「坂東の大学」と世界に紹介し、国際的な名声が高まった、となる。

有名な入口の「学校」の書

内部はよく整備されている。市の教育委員会の管轄で、1982年から整備してきた。快適な空間だ。教えてきたのは孔子の儒学である。1686年にできた孔子廟がある。易学や兵学も盛んだった。中心的な建物である方丈は、廊下に座ってゆっくり庭園を見ることができる。講義をしてきた施設で、池や広い空を見ながら、数百年の昔の学生たちを夢想する。

孔子廟の入口(きょうだん)

北関東は今でこそ東京から1~2時間で来ることができるが、近いわけではない。京都に都があった時代、はるか辺境ではなかったか。坂東の文化程度が高いという言説はあまり聞かないが、足利の町のたたずまいや空気は上質感があった。足利学校を支え、保存してきた精神が土地に根づいているのだろう。日帰り旅行で見ただけではとてもわからない。土地の人に聞かないとだめだ。宿題としよう。