異空間理論(2024年5月6~10日)
*** 今週の教養 (異空間理論①)
新著「ソーシャル・シンキング」では、「脳と職場に異なる空間を創ろう」と提案した。日本企業の低迷の理由について、「日本のビジネスパーソンの視野が狭く、自分の机の周辺5メートルにとどまっていないか」「夜は仲間内で酒浸りになっていないか」という問題意識がある。視野を広げて飛躍を目指す考えを「異空間理論」と名付け、探求してみたい。
◎正解・点数・評価主義の弊害
日本企業の低迷はいろいろな観点から分析できるが、「人」が問題で、「社会全体を反映した教育のあり方」が関係していると感じる。明治維新後、日本は政治、法律、経営、文学、工学、造船、土木など分野ごとに西欧の長所を取り入れたが、教育だけは日本独自だった。天皇中心の富国強兵国家を作るにあたって国民の教化を重視し、教育勅語で上意下達の規範、高等教育機関として官吏養成の帝国大学(現東京大学)を設立した。西欧列強に対抗する意図に加え、国内的には政府批判を強める自由民権運動を恐れ、「官尊民卑」を徹底した。
この過程で日本独特の3つの気風が生まれたと考える。第一は「正解主義」だ。「物事には正解がある。正解を当てるのが教育」であり、正解は「官」が独占的に決める。「官の無謬性」の起源でもある。第二は「点数主義」。正解は点数で示せるものでなければいけない。定性的な回答は適さず、正否を簡単に決められる定量的な問題を考え、暗記が主流になる。第三が「評価主義」で、点数によってすべてを評価する。軍人や官僚の世界では公務員試験の順位が生涯つきまとった。若い時の1回の試験で将来を決めるのは不合理だが、まかり通った。
戦後、新しい憲法が制定されて社会の形は変わったが、教育の正解主義などはほとんど変わらず、受験地獄に突き進んだ。そうした教育を受けた日本人は、欧米企業に追いつけ追い越せの時代には力を発揮した。しかし、バブル崩壊で「正解のない時代」に入り、輝きを失った。「24時間働けますか」と頑張った結果、視野は狭くなり、新しいアイデアは生まれず、失敗には不寛容で、ずるずると後退した。海外企業ではアイデアを生み出す独自の取り組みがある。米国の事務用品・工業製品のスリーエム(3M)は、異空間創造に早くから取り組んだ企業として知られる。明日は同社の「15%ルール」を紹介する。
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*** 今週の教養 (異空間理論②)
◎3Mの「15%ルール」
3Mは、1902年に米国ミネソタ州で設立された。社名の起源は「ミネソタ・マイニング・マニュファクチュアリング」で、「M」が3つ並んでいることだ。工業製品メーカーだが、一般には「ポスト・イット」など事務用品で知られる。「15%ルール」は、勤務時間の85%は会社としてオーソライズした仕事に使い、15%は「スカンクワーク」と呼ばれる業務以外の仕事に使おうという取り組みだ。
歴史は粘着テープを開発した1925年にさかのぼる。発明したのはテープとは関係ない研磨剤の技術者。自動車の車体塗装をする際、色がかぶらないように貼っていたテープを剥がすと、跡が残るので何とかしたいと思った。上司は反対したが、自主的に研究を進めて開発し、ヒット商品となった。これ以来、3Mは、自主性を重んじる社風になった。ポスト・イットもこのルールの成果だ。
日経ビジネス電子版の今年1月のリポートによると、同社のカルチャーには3つの仕組みがある。第1は「ネットワークの創出」で、「社内の技術は全員のもの」という考えで技術情報を気軽に共有・連携できる。第2は「上司のあり方」。15%ルールの活動は上司に報告義務はなく、上司も口出しをしない。第3は「社員の活動の評価・認知」で、研究資金を提供する。アイデアを膨らませる初期段階、試作品をつくる実証実験の2段階で出す。研究のモチベーションを維持するためにも「カネ」は欠かせない。勤務時間の15%を厳密に管理しているわけではなく、柔軟で自由な発想を重視している。
日本でも採用する企業がある。丸紅は「2024人財戦略」で「社会・顧客に新しいソリューションを探求、発案しやすい環境をつくるため、社員個人の意思によって就業時間の最大15%を目安として、丸紅グループの価値向上につながる事業の創出に向けた活動に充てることができるようにした」としてい。米国企業ではグーグルの「20%ルール」が著名で、明日紹介する。
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*** 今週の教養 (異空間理論③)
◎「グーグルの20%ルール」
経営学者の名和高司氏は著書「成長企業の法則」で、グーグルの20%ルールについて、以下のように説明している。勤務時間の80%はコアビジネス、20%は全く新しいビジネスにあてる。1週間のうち1日は自分のコアビジネス以外の仕事をすることが義務付けられる。ルールを説明した文書には、「ムーンショット」と書いてある。グーグル社員がよく使う言葉で、「月に着陸するようなでかいことをやろう」という意味だ。「1000の花」という言葉もよく使う。グーグルは単なる広告代理店になるのではなく、周りに1000の花のような全く違う事業を咲かせようという意味だ。小さな花ではダメで、月に着陸するようなとてつもない花でなくてはいけない。結果的に月に届く事業は少しかもしれないが、それでいいとは言っていない。
Gメールなど多くの新サービスが、このルールから生まれたといわれる。グーグルに勤務経験のある人は、「実態はコアの仕事に加えて好きなことをやるので『120%ルール』。しかし、好きなことをやるのに負担感はないので納得できた」と言っている。新事業開発は大きな成果だが、「本質はリスクヘッジだ」と指摘する。全員が同じ方向を見るのではなく、20%の中から別プランを生み出すことができ、組織としてリスクを回避できる。
20%ルールは機械的に勤務時間を割り振るのではなく、理念の共有が優先する。ビジネスに失敗はつき物だが、創業者のラリー・ページは「とびきり大きな発想をしていれば、完全な失敗に終わることはまずない」と話す。社内には失敗した社員を非難してはいけないルールもある。脳科学者の茂木健一郎氏は著書で20%ルールに触れて、「仕事に忙殺される日々を繰り返すことは、脳にも体にも良い影響を及ぼさない。仕事の時間を削ってでも心にゆとりの時間を与えることで、仕事のクオリティは格段にアップする。結果、大きな成果も得られるだろう」と書いている。異空間の効果は大きい。
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*** 今週の教養 (異空間理論④)
◎「両利きの経営」と「探索」
経営学で「両利きの経営」という言葉がある。右利きと左利きを使い分ける意味で、既存事業と新規事業をうまく両立させることを目指す。スタンフォード大学経営大学院のチャールズ・オライリー教授が提唱した。両者を両立するには、組織の中に異空間をあえて創り、全体のバランスを取りながら経営することが重要になる。
オライリー教授は、大企業でも倒産する理由は、既存事業と並行して新規事業を生み出せないからだと指摘する。両利きの経営には企業内の資源をうまく連携させる必要があり、経営者は3つのことをしなければならないという。1つ目は「アイデアの発見」で、デザイン思考やベンチャー企業とのオープンイノベーション、企業が運営するベンチャーキャピタルが大切になる。2つ目は成長の種を育てる「インキュベーション」。3つ目は新しい事業に既存の資源を投入して拡大することで、ここで多くの企業が苦労する。日本企業の成功例として、写真フイルムから医薬品や化粧品に転換した富士フイルムをあげている。
具体的なポイントを5つあげている。第1は会社を変身させるための経営陣の明確な戦略、第2が全社員によるビジョンと価値観の共有で、新旧事業のカルチャーの共存が重要になる。第3は新旧の事業に応じた組織、第4は社内資源を確保するための公平なアクセスで、新旧事業が社内で対立せず、協力する関係が不可欠だ。最後に経営陣による年数をかけたコミットをあげる。財政難に直面すると、資金を引き上げてしまう例があるが、これでは長続きしない。
既存事業は「深化」、新規事業は「探索」を求められるが、正解主義や点数主義が染み付いた日本人は探索が不得意といわれる。過去に経験した安易な方向に流れ、既存事業の引力が大きくなりがちだ。日本企業は日本人の特性を自覚し、自由な挑戦や試行錯誤を評価する仕組みや文化が不可欠だ。深化を担う組織と同じ厳密な管理・統制をすれば、新規事業はのびのびと育たない。日本人全体が問われている。
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*** 今週の教養 (異空間理論⑤)
◎日本企業の挑戦事例
日本で今、国際的に太刀打ちできるのは自動車産業だけだが、ホンダが早くから異空間を意識していた。ホンダの正式社名は「本田技研工業」で自動車は入っていない。先進技術で社会に貢献する狙いで、今はたまたま自動車が主力になっているといえる。耕運機や除雪機、発電機など幅広く生産しているのも同社の特徴だ。
1986年、技術部門を分社化した本田技術研究所に基礎研究を目的とした組織が作られた。開発テーマは、超軽量自動車、自動運転システム、航空機用ジェットエンジン、ロボット技術の4つ。極秘で研究した成果がその後、花開いていった。2000年に発表された二足歩行ロボット「アシモ」は、大きな話題を呼んだ。「鉄腕アトムを作る」のかけ声で開発が始まった。
ジェット機の開発はもっとも注目される。飛行機は創業である本田宗一郎の長年の夢でもあった。開発拠点を米国に置き、2003年に初飛行を成功させた。エンジンを主翼の上に配置する常識破りの設計が特徴。開発打ち切りの話が浮上したこともあるが、現場技術者が役員を説得した。ジェット機開発は航空当局から型式証明を得る必要がある特別な業界だ。三菱重工業は小型旅客機の開発を目指したが、型式証明の取得で挫折した。それだけにホンダの健闘は光る。今は電気自動車(EV)が主戦場だが、「空飛ぶクルマ」と呼ばれる電動垂直離着陸機(eVTOL)や人工衛星を搭載する小型ロケットにも力を入れている。
トヨタ自動車は自動車作りを4つの次元に分けて取り組んだ、と経営学者・名和高司氏は分析する。①価値観の整合性の高低②生産プロセスの整合性の高低に応じて4次元に分けると、成功したのは①で高く、②で低いハイブリッド車プリウスだった。ともに低いEVはテスラに出資したが失敗。ともに高いのは小型車ヴィッツで成功し、プリウスと逆の位置はトヨタらしくない馬車のような「WiLL」で頓挫した。トヨタなりの異空間への挑戦といえる。
異空間理論は多様性理論でもある。予測不能な「VUCAの時代」になり、柔軟でタフな思考と行動が求められている。多様な価値観や人に出会うため、企業も個人も異なった空間を求めて「ラビリンス」(迷宮)を楽しむマインドが必要だ。