丸谷才一の「考えるコツ」(2024年7月1~5日)
*** 今週の教養 (丸谷才一・考えるコツ①)
今週は博識の小説家で知られた丸谷才一(1925~2012)の「考えるコツ」の要旨を紹介する。「思考のレッスン」(文藝春秋社、1999)に掲載された。
◎謎を育てる 考える上でまず大事なのは、いかに「良い問い」を立てるか、です。良い問いを得るには、かねがね持っている「不思議だなあ」という気持ちから出た謎が大事なのです。良い問いの条件の第1は、自分自身の発した謎だという点です。他人が発した出来合いの謎では、切実に迫ってこない。自分が痛切に「おかしいぞ。不思議だぞ」と思った時、良い問いになる。2番目は謎をいかにうまく育てるか。どんな謎でも最初は漠然としたものにすぎない。それを良い問いに孵化することが大切です。よく自分の疑問を他人に話す人がいますが、お勧めしません。他人に話したって相手にされず、自信をなくして疑問が育たないまま終わってしまう。
謎を自分の心に銘記して、常に「なぜだろう。どうしてだろう」と思い続け、明確化、意識化するのです。自分の中に他者を作って、もう一人の自分に謎を突き付けていく必要があります。他者と言えば世間のことですが、世間を相手にしてはならない。世間は謎を意識しないからです。いちいちこだわっていると成り立たないから、流行に従って暮らす。それが世間というものなんですね。
しかも世間は実に臆病です。いい例が戦前の天皇機関説でしょう。美濃部博士の学説は、大正8年から昭和10年まで日本政府公認だった。上は貴族院や衆議院の議員から下は巡査まで、みんな天皇機関説だった。ところが軍部によって天皇機関説がやり玉に挙げられると、たちまちみんな沈黙した。しかも世間は付和雷同型です。30年ぐらい前、当時創作劇が大事だという意見がにわかに高まった。そのうちそれに比べて翻訳劇はくだらない、けしからんという議論にエスカレートしていった。両方大事だが、真っ当な説を唱える人はいなくなった。この2つの例でわかるように、日本文化は臆病と付和雷同をくっつけたところがあります。その中でものを考えるのは大変難しい。
◆
*** 今週の教養 (丸谷才一・考えるコツ②)
◎定説に遠慮するな 学界の定説と言われると、偉いような気がします。謙虚さは生活面では美徳ですが、傲慢や謙虚はものを考えることとは関係がない。通説に対しては、その説が本当にいいものかどうかを検討してみることが大事です。歌舞伎の話をしましょう。勘九郎さんは「演技で大切なのは型である」といい、同時に「その型をする時になぜこういう演技になったのか考えることが大切だ」とも言っている。原点まで戻って考え、その上で学ぶわけです。先代仁左衛門さんは「役者ってものはみんな身長その他違うんだから、人の型なんか取り入れたって、あんまり意味がない」と言う。
2人の説は全く違ったことをいっているようですが、どちらも型と演技との根本的な関係を言っているわけです。大事なのは演技と心の関係であると。延長して言えば、型の生まれた理由、自分と型との関係を考えないで、ただ型をなぞるのは意味がない。通説に無批判に盲従していても意味はないということです。それは官僚主義というものです。日本の学者には官僚が実に多い。国文学者らは国文学の定説を管理する官僚になっている。そこからは新しいものは何も生まれません。
ものを考えようと思ったら、専門家に笑われてもいいと度胸を決めることが必要です。専門家といったって得手不得手がある。定説が学者たちの漠然とした、かなり無責任な世論にすぎないことはよくあることです。時代の風潮や歴史的条件のせいで、全体を見通せないとことがある。前の人に見えなかったことが、今の自分には見え始めたのかもしれない。文化的な大きな変動期には、いろんな条件が揺れて新しいものが見えてくることがあります。パラダイムの転換です。ものの見方や考え方の約束事が根底から変化するのです。
例を挙げましょう。戦後、文化人類学的思考が行き渡りました。柳田国男や折口信夫の仕事も戦後全集をみんなが読めるようになって、初めて広く知られるようになったんですね。戦前、柳田といえば随筆家、折口は歌人と思われていた。それが民俗学者としての業績が知られるようになり、学問の体系がそそり立って見えてきた。それによって日本文化を我々がわかるようになってきたわけです。
◆
*** 今週の教養 (丸谷才一・考えるコツ③)
◎慌てて本を読むべからず 通説と違っても構わないと度胸を決めて考える心構えはできた。次に大切なことは、じっと手を見ることです。自分の心の中を眺める、見渡す、調べることがまず大切なのであって、慌てて本を読んではならない。なぜ読まないか。もう本は今までかなり読んでいるんです。本を読んでなければ、「不思議だな」という謎は切実には迫ってこない。切実な謎として迫ってくるのは、人生を生きて、本もかなり読んだ、その収穫なんですね。その謎は一般論的ではない。かなり複雑な謎であって、解決してくれる本なんて簡単にはない。図書館やインターネットで検索したって、都合よく答えが出てくるはずはない。そんなことをする暇があったら、自分の心の中で謎と直面し、反芻する、ああでもない、こうでもないとひっくり返してみるほうが実は早いんです。
もう一つ、謎を考えるためには頭の中にある程度の隙間を作っておかなければいけません。ところが慌てて本を読むと、その隙間が埋まってしまうんです。昔から散歩しながら考えるといいと言うでしょう。散歩をしている時は本を読むわけにはいかないからいいんです。アルキメデスはお風呂に入っていて原理を発見した。ガルシア・マルケスは、自動車を運転している最中に「百年の孤独」のアイデアを思いついた。湯川秀樹の素粒子論のアイデアは布団の中で浮かんだ。
今まで生きて、読んで、考えてきた。一応手持ちのカードはあるんです。その手持ちのカードをもういっぺん見ましょう。私は「日本文学史早わかり」という本を書きました。前々から日本文学史の本はみんなつまらないなぁと思っていたんです。日本文学史が大和時代、平安時代、鎌倉・室町時代と政治史をまともに受けて、首都の所在地によって時代を区分しているのがおかしいと思っていた。もっと文学的な基準があってしかるべきではないかと。勅撰和歌集など美しい詩文を集めた詞華集によって分ければ、文学中心の時代区分ができるのではないかと思ったわけです。そこでこれまでとは全く違う時代区分を提唱したわけです。石川啄木じゃないけど、じっと手を見る、それなんですね。
◆
*** 今週の教養 (丸谷才一・考えるコツ④)
◎大胆な仮説と名づけ 次に大事なのは仮説を立てることです。どんな定説であろうが、最初は仮説です。最初に仮説を立てる冒険をしなければ、事柄は進まない。直感と想像力を使って仮説を立てる。立てるにあたっては、大胆であること。みんながあっと驚くようなものを立てた方がいい。学者的手堅さより、芸術家的奔放さのほうが大事だと思う。自分の直感と想像力を信頼し、実証主義に遠慮してはならない。実証主義では単なる臆病、学問的官僚主義に陥ってしまう。人から悪口を言われないで無事に勤め上げるという消極的な態度は、ものを考える場合はまずい。
日本に西洋的な学問が輸入されたのは明治時代。当時の秀才青年たちがヨーロッパに留学して、西洋の学問を日本に持ち帰った。彼らが何を学んだかというと、当時の19世紀末の学風の中で定説となった安全なところだけだったんです。そのため日本では瑣末主義的ともいえるようなものが、学問的厳密さという風に受け取られたわけです。19世紀末は20世紀の学問が準備され始めた時期です。文化人類学や精神分析学の試みなどが、全く新しい学問として生まれ育った。それは露骨な物証を差し出すことができない学問だった。ところが明治の秀才たちはそういうものは学ばず、飽和状態になっていた実証主義を、「これぞ学問」と思って勉強したわけです。
うまい仮説を立てることができれば、傍証や補強材料は不思議なくらい次々と現れてくるんです。例えば柳田国男は平将門の祟りを恐れる民衆が作った将門塚、菅原道真を祀る天神信仰などをみて、「御霊信仰」であるとまとめた。折口信夫は松や杉、真木などの大木に神様が降りるという日本人の考え方から「依代」(よりしろ)を発見した。神の霊を一箇所に集中させる仕組みが必要であり、鏡や仏壇に祀るお像、位牌、写真、お盆の瓜や茄子・・・。これらをみんな依代と考えた。これはすごい洞察力です。
もう一つ大切なことがあります。型を発見したら名前をつけることです。フロイトは息子の母親に対する愛情を「オイディプス・コンプレックス」と名付けた。ユングは「集団的無意識」という言葉をつくった。本居宣長は日本人の恋愛好きを「もののあわれ」と要約した。名付けが大切なんです。
◆
*** 今週の教養 (丸谷才一・考えるコツ⑤)
◎詩的感覚 同種のものが別の外観で存在することを発見する、同類を見つけて同類項に入れる。他の言い方で言えば、「見立て」です。見立ては日本文化にとって非常に大事なものでした。我々の文化は日本のものを中国のものに見立てることによって始まっている。平家物語の最初のところで、「遠く異朝をとぶらえば」として、中国の逆臣や栄華を極めた悪人をずっと並べる。その後に平清盛を出す。源氏物語だって同じ。桐壺帝が桐壺の更衣に熱中した。これはまるで唐の玄宗皇帝が楊貴妃に溺れたようなものであると、人々が眉をひそめたという。そこから壮大な想像力が働き始めたわけです。乞食が後ろ向きで富士山を見ているのを見ると、まるで西行みたいだなと思って「富士見西行」といった例もある。
見立てることによって想像力が動いた。日本人の考え方にとって非常に大きな方法だった。見立ては距離のある2つのものに共通性を発見するアナロジーです。「富士見西行」のようにおかしいところがある。風流でもあるが、滑稽でもある。パロディだったり、批評だったりする。洒落っ気があり、ニヤリと笑う微笑くらいのようでもある。大事なのはそこにあるポエトリー、つまり詩とユーモアがごちゃごちゃになったような感覚、面白さ、それがアナロジーには必ずつきまとうということなんです。
詩情、詩的感覚が、ものを考えるときに大切だと僕は思う。えてして人は、「思考」というと、なんだかギクシャクして、堅苦しくて、大真面目で、窮屈なものだと思いがちです。詩と論理とは不思議な形で一致する。というよりも、詩と論理が互いに排斥しあうものだというのは昔気質な思い込みで、新しい詩学では論理を尊ぶ。人間がモノを考えるときには詩がつきまとう。ユーモア、アイロニー、軽み、極端に言えば滑稽感さえつきまとう。そういう風情を見落としてしまったとき、人間の考え方は堅苦しく面白く重苦しくなって、運動神経の美しさを失い、ぎこちなくなるんですね。遊び心がなくちゃいけない。当たり前ですよね。人間にとっての最高の遊びは、ものを考えることなんですから。