東南アジア紙で読む8.15(2024年7月22~26日)

2024.07.26教養講座

*** 今週の教養 (東南アジア新聞で読む8.15①)

「8月ジャーナリズム」という言葉がある。メディアが8月15日を中心に戦争を集中的に取り上げる意味だが、「8月しか報道しない」と批判的なニュアンスもある。世界で戦争が起きている今、今後3週間は戦争の教養を特集する。初回は太平洋戦争をめぐるアジア各国の視線。戦後50年の1995年、村山富市首相(自社さ政権、社会党出身)は、公式に謝罪する「村山談話」を発表した。中国、韓国など東アジア各国に比べれば親日度の高い東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国は、どう反応したのだろうか。「アジアの新聞で読む50年目の8月15日」(ダイヤモンド社、1995年)から紹介する。今も当時と変わらぬ厳しさがあると考えていいだろう。

◎「村山首相の謝罪」(インクワイヤラー紙社説=フィリピン大手全国紙)

村山富市首相は、戦時の日本の行為について、率直な謝罪を行なった。戦後初めての公式謝罪となった。6月の国会決議をさらに一歩踏み込んだものであった。国会決議は日本の侵略や残虐行為に対して、単に深い憂慮の念を表明するものにとどまっていた。村山首相は声明の中で「未来に過ちを繰り返さないためにも、私は日本が戦時に果たした役割についての疑う余地のない歴史の真実を受け入れるものであります。改めて深い反省と心からの謝罪を表すものであります」と述べた。

村山首相の謝罪にもかかわらず、50周年記念の式典には、戦争犯罪をめぐる日本の曖昧な姿勢が刻印されている。村山首相は謝罪が戦争犠牲者の補償要求に応じることを意味するものではないと述べている。日本の政治家がこれまでとってきた「深い反省と心からの哀悼」というお定まりの表現を用いるだけであった。国内向けのもので、戦争はヨーロッパの植民地主義からアジアを解放するために出されたという日本に根強く残存する保守的意見を配慮しているものであった。

社会主義政党の出身である村山首相の謝罪は、2つの要因が働いて可能となった。1つは、日本社会党が平和主義的な方針を保持してきたこと。2つは、日本の政治を40年近く牛耳ってきた自由民主党政権が2年前に崩壊したことである。日本の謝罪に向けての慎重で、遅々としたあゆみ自体が、日本人の良心を深く苦しめてきた問題、つまり戦争犯罪をめぐる国内の2分された意見を反映している。

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*** 今週の教養 (東南アジア新聞で読む8.15②)

◎「謝罪すると同時に賠償も」(南洋商報社説=マレーシア)  村山富市首相は謝罪したが、被害国にとっては、傷を治療する最良の薬は行動であって、言葉だけではない。声明は村山首相の心からの反省の表れと判断できる。もし声明の中の謝罪に関する文面が「私は謹んで政府と全国民を代表して、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明致します」とされていれば、被害を受けた隣国をさらに満足させたと信じる。村山首相は日本のこれまでの禁忌を打ち破った初めての首相である。

日本の歴代首相はこの問題について、「懺悔」「遺憾」そして「反省」の間を行ったり来たりし、「お詫び」という言葉にまでは至らなかった。戦死した日本軍人への不敬を恐れているようだ。村山首相が謝罪した当日、日本の内閣の半数の閣僚が、東京の靖国神社において、A級戦犯東条英機を含む戦没者の慰霊を参拝した。この矛盾する現象は、日本の政界の中に第二次世界大戦について誤った見解を持つものが少なくないことのあらわれである。

日本が敗戦から50年も経った今日になって初めて「お詫び」という三文字を言い出したこと自体、日本がこの三文字の重さを充分承知していたことを表している。従って謝罪した後の行動が特に重要で、注目に値する。日本の今後の努力目標は、過去の歴史の誤りを真剣に清算し、正しい歴史観を打ち立てることである。もし、これができなかったら、村山首相の謝罪声明は、空文に他ならない。

戦争賠償問題を日本政府は回避してはならない。村山首相は謝罪をしたが、直ちに賠償の門を閉じた。しかし、賠償を要求する民間団体や個人は努力し続けるであろう。日本政策が戦争賠償をして初めて、すべての人の意思に適合し、戦争に対して罪滅ぼしをする具体的なあらわれとなる、といえる。隣国に過去を忘れさせるには、まず歴史事実を認めることである。村山首相は難しい第一歩を歩き出した以上、誓いの言葉を最後まで貫徹しなければならない。これはアジアの隣国が、日本の指導者に寄せる期待である。

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*** 今週の教養(東南アジア新聞で読む8.15③)

◎「歴史認識を深め、アジアへの共通認識を強めよう」(聯合早報社説=シンガポール)  村山首相は声明を発表し、第二次世界大戦中の日本の行為に対して、明確なお詫びを発言した。社会党人として、歴代の日本首相がなしえなかった行為を行ったことは、とても素晴らしいことであった。しかし、アジア各国の反応は、一歩進んだがまだ足りない、というものだった。一部の国は遠慮なくこう発言した。「日本が過去の歴史を正確に自国民に教えるまで、かつて日本の占領と蹂躙を受けたアジア各民族は、自らの深刻な感情を追い払うことができない」。これはアジア各国の被害者の真意であり、日本の政府の要人によって繰り返される戦争の罪と責任の支援に対する最低限の要求である。

戦後50年、なぜ日本政府はもたつき、終始一貫、真面目に歴史に向き合い、その罪責問題を解決したがらないのだろうか。日本経済の急速な発展が、アジアの国々に対するおごりとなり、西側の一員と自ら任ずることにより、アジアの感情を理解せず、したがらない行動につながっているのかもしれない。しかし、東アジア経済全体は台頭しつつあり、日本は現実を直視しなければ、アジアから孤立させられる恐れもあるだろう。

日本の例は、先進国入りする我が国にとっても一つの教訓になる。我が国は多民族国家であり、先進国の科学技術を吸収するため、英語を実用語に採用している。若い世代は、直接に西洋の意識を受け入れ、価値判断も西洋の基準を優先し、西洋の虜になってしまう恐れがある。西洋の国々が様々な社会問題に悩まされている今日、いかに西洋からの不必要な汚染を避けるのかが、当面の緊急課題であろう。我々は若い世代のアジア意識を強め、アジア人としての誇りを持たせることにより、日本の「脱亜入欧」の後塵を拝することを避ける方策を考えるべきだ。わが国が今後、東アジア各国と緊密な協力関係を保ち、経済発展による果実を享受することにとっても、極めて重要であり、アジア人としての栄光ある任務でもある。

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*** 今週の教養 (東南アジア新聞で読む8.15④)

◎「第二次大戦を眺める日本」(インドネシア・タイムズ社説=インドネシアの英字紙)  8月16日、日本は大騒ぎして第二次世界大戦における日本の歴史的謝罪に関する海外の評価と、その未来志向に自己満足しながら、自国敗戦50周年記念を振り返った。戦後日本における最初の社会主義党員である村山富市首相は、まさしく時の人である。日本のほとんどの新聞の社説は、日本の戦時中の行為に対して明言した彼の勇気を称賛した(彼の画期的な謝罪も円の下落に関するニュースと1面の紙面のスペースを争わなければならなかったが)。「我々は海外からの反応が出尽くしていないから、結論を言うには早すぎるが、謝罪については好意的に受け止められているようだ」とある日本政府高官を述べている。

第二次世界大戦終結50周年を記念する首相の公式談話の中で、村山首相は、率直で明白な謝罪を行なった。我々インドネシア人にとっては、村山首相の謝罪は日本とインドネシアをより緊密な関係へと変えた。インドネシア独立50周年は、インドネシアにとって特別な意味がある。この機会に日本は、インドネシアの発展に対する協力の歴史を振り返りながら、輝かしい20世紀を迎えるにあたり、文化面に重点を置き、人民のレベルで最も広範囲な相互理解を促進して友好的な関係を築き上げることを目的に「日本インドネシア友好祭」を企画した。

この企画は、インドネシアにおける日本人コミュニティの願望の現れである。日本大使館とジャカルタ日本クラブをオーガナイザーとし、インドネシア共和国政府による同意と協力によって、実現する運びとなった。インドネシアの独立宣言は、日本軍による占領に続く独立戦争という試練をへて行われたものであるが、現在はインドネシアが統一され、経済発展を積極的に推進している。

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*** 今週の教養(東南アジア系新聞で読む8.15①)

◎「日本首相のお詫びは良識と道徳観の表れ」(中央日報社説=台湾国民党機関紙)  8月15日が訪れる前、アジアや世界各国は、日本政府の態度を注目していた。中華民国のマスメディアの一員として、我々は村山首相が記者会見の中で、正式に日本を代表して当時の侵略行為に対し、「反省」と「お詫び」の気持ちを表明したことを喜んだ。首相の勇気は、日本に対する好ましい政治道徳のイメージを作り上げ、日本が50年来背負っていた良心の首かせをゆるめ、アジア人民の日本に対する不満と積もり積もった恨みは、ある程度和らげた。

談話の存在は、今後日本の政治屋たちが、これまで何回も繰り返した日本の第二次世界大戦における侵略行為の弁護、その罪の隠蔽の企てが不可能になったことを意味する。首相談話の「反省」と「お詫び」の言葉に表れた誠意を疑いたくはないが、残念ながら、「お詫び」はしたが賠償は断った。そのため大戦期間中、「日本に忠誠を誓い」、被害を受けた台湾籍皇軍とその家族は、受けるべき慰めと補償が得られなかった。人道上の観点から、この問題は依然として日本政府が考慮すべき事に値する。

日本とドイツという二つの敗戦国の戦後の態度と行為には、雲泥の差がある。ドイツ政府は、ナチスヒトラーが引き起こしたヨーロッパ戦争とユダヤ人虐殺の罪を引き受け、全力でナチスの残党を粛清した。教科書で民主精神を説き、ナチスの権威的文化の転換に成功した。ドイツ人の誠実さと勇気は日本と強烈な対比をなしている。一部の日本人は、歳月が流れ、記憶が薄れるにつれて、日本の罪を隠すことができると考えている。日本の政界が誤りを認める勇気を持たなければ、日本の歴史的責任について何度もアジア各国の議論と非難の矢面に立たされることになる。日本の若い世代が、真にアジア太平洋地域の平和と安全に対する責任を果たせるかどうかについて疑いを抱かせることになる。第二次世界大戦後、アジア各国がずっと日本を信頼してこなかったことは、この背景と深い関係がある。