マルクス・ガブリエル著「倫理資本主義」(2024年9月16~20日)

2024.09.20教養講座

*** 今週の教養 (倫理資本主義①)

今週はマルクス・ガブリエル(1980~)の著書「倫理資本主義の時代」(2024、ハヤカワ新書)を紹介する。ドイツ・ボンで生まれた著者は「新しい実在論」を提唱し、「哲学界のロックスター」として世界的に注目されている。本書は今年6月、まず日本語で出版された。「はじめに」から一部紹介するが、詳しくは本文を読んで欲しい。

◎世界の現状  私たちは先例のない危機の時代に生きている。新型コロナウイルスが世界を襲い、あちこちで戦争が頻発している。多くの国々は急速な軍備増強に資金をつぎ込んでおり、それは新たな対立につながるだろう。世界が平和的に共存することは、ますます不可能になっているようだ。

国内的にも国際的にも経済格差が拡大している。異常気象や急激な自然環境の悪化という形で生態学的危機が表面化している。すべてが大規模な移民発生につながっており、政治的混乱を引き起こしている。一方、科学技術の発達によって人工知能システムを筆頭にデジタル技術が社会に浸透している。それは富と雇用を生み出すだけでなく、自動化による雇用創出や私たちを取り巻く社会的世界のさらなる加速化を引き起こしている。社会の変化があまりに速くなっているため、メディア、政治、市民社会は世界全体で何が起きているのかもはや把握できなくなっている。誰もが夢遊病者のように世界的大惨事に向かってふらふらと歩いているようだ。

多くの危機は、およそ人間にはコントロールできないかのようで、近代という文明モデルは重圧にさらされている。このモデルは簡単に言うと、科学技術の進歩と経済的進歩を組み合わせれば、誰もがより良い生活を送ることができるという発想に基づいている。できるだけ多くの人のための富の創造と自由民主主義社会を組み合わせれば、平和と幸福が訪れると。

現状を見る限りこの約束は果たされていない。このモデルの巻き添え被害と欠点は、恩恵を上回る。だから今多くの思想家や政治家らが、全く新しい発想を求めている。本書で現代の問題に対処するためには、新たな社会契約が必要だと主張していく。私たちが身を置く危機の時代を乗り越えるには、「新しい啓蒙」が必要なのだ。新しい啓蒙は、道徳的な人間の進歩を、モノやサービスの社会経済的生産手段と、豊かさや繁栄と早急に再統合しなければならないという考えを出発点とする。

*** 今週の教養 (倫理資本主義②)

◎企業の目的は善行である  新しい社会をつくるには、全面的な革命や社会の体制変更は必要ない。必要なことは、「善」に関する全く新しいビジョンを掲げ、社会のあらゆる部分で大胆なイノベーション起こしていくことだ。新たな善のビジョンは、現実的でありながら理想主義的で、実際の社会活動に即してより良い未来を目指すものでなければならない。新たな秩序は、現状の良い部分を維持しつつ、進歩という発想に照らして改良しなければならない。進歩は前向きな社会的変化だ。前向きな変化は、万人が拘束力のある善のビジョンを共有した時に初めて実現する。そのようなビジョンを大至急生み出す必要がある。

現代社会において、安定と良い生活の条件を生み出す上で、経済は重要な役割を果たす。企業の経済的成功の鍵を握るのは善行であるという発想を、ビジネスモデルの土台としなければならない。ノーベル賞経済学者フリードマンの「企業の目的は利益追求である」というキャッチフレーズに背を向け、ギアチェンジする時だ。企業の目的は善行によって利益を得ることである、と。この基本的論拠はとても単純だ。売り上げがほぼ同じ会社が二つあるとして、環境に悪影響を及ぼし、従業員を搾取し、有害な職場を生み出している企業と、反対の企業では、後者のほうが良い会社だと誰もが考える。利益は善行やお互いの尊重で生み出される方が好ましいことを示す極めてシンプルな思考実験だ。

カントが「最高善」と呼んだ概念を使いながら説明していく。オックスフォード大学のメイヤー名誉教授は最近、そのような原理、彼の言葉で言えば「道徳律」に基づいて資本主義を改革できると主張している。市場メカニズムによって人間の諸問題を解決するのに役立つというのが資本主義の約束だった。資本主義が機能しているか否かは、個人的および集団的道徳原理、倫理生活によって判断すべきである。企業の目的は善行であるというスローガンは、倫理資本主義という提案につながる。それは単なる夢想ではない。

*** 今週の教養 (倫理資本主義③)

◎SNSの問題   SNS産業は、ビジネスモデルとして成功しているように見えるが、同時に民主主義の大幅な後退を引き起こしている。極悪な国家や民間組織が陰謀論を拡散し、選挙を不正に操作することで、間接的に地政学的対立を引き起こしてきた。SNSが経済的成功をおさめたのは、倫理的ビジョンがあったためだ。SNSは人と人を結びつけ、情報を共有して世界をより自由な場所にすることを約束していた。だが、それが果たされていない。規制を受けない社会的接続性が何をもたらすかは、予測不可能、制御不可能だ。SNSが自らの技術的経済的手段を使って、道徳的進歩と法的監視を実現する戦略を考えなければ、遅かれ早かれ終焉を迎えるだろう。

私はかねてフェイスブックとツイッターの終焉を予測していたが、実際には考えていたよりも早く実現したと考えている。ツイッターは進歩的思想、ジャーナリズム、国家機関が有能な情報を共有したり収集したりできるプラットフォームだという認識が広まっていた。しかし、知名度が高まったのはトランプ氏が活用したからだ。ツイッターはフィルターバブル現象や確証バイアスを生み出す典型だ。ツイッターを使っていると、ニュースや現実と接しているような気になるが、実際には自分が生み出した現実、自分の社会的政治的信念の幻影を見ているにすぎない。

SNS会社は、自らのビジネスモデルが引き起こす可能性のある巻き添え被害や影響を研究するのに相当な資金を投資すると想像してみよう。収益を拡大させるだけでなく、よりよい社会や世界を生み出すはずだ。人間は自分自身と集団が幸福になることに強い関心を抱いている。富が善行によって生み出され、企業のリーダーが世界を良くすることを目標にしている世界が望ましいと思っている。

新しいSNSを作ることもできるだろう。自己規制がしっかりしていて、ヘイトスピーチを監視して削除したり、ユーザーがマナーを守って投稿できるようネット上でAIを使ってサポートしたりする。既存の報道機関と協力して質の高い情報を共有する。最大の目的は、デジタルツールを使って民主的な公的領域の質を高めることだ。政治学者、文化評論家、倫理学者らを採用し、ソフトウェア技術者と共に自社のデジタルインフラを開発し、常に更新していく役割を担わせる必要がある。現在のSNSの失敗に関する研究を踏まえて構築すれば、暗黒時代に道徳的進歩を実現する確かな貢献ができるだろう。

*** 今週の教養 (倫理資本主義④)

◎必要なことは革命ではなく、大胆な改革  自由民主主義という文明のモデルと、よりよい生活の条件を整える手段としての市場経済が、内部からも外部からも攻撃を受けている。生き延びるためには、一連の倫理的改革が必要だ。人類は、核戦争社会、スーパーインテリジェントなAIシステム、ウイルスや細菌、環境破壊など存続の脅威や自滅につながりかねない状況に直面している。前向きなビジョンが必要だ。

現行システムで取り組むべき最初の大胆な改革は、その長所を認めることだ。過去200年の間に人類が実現したものの価値をしっかり認める必要がある。極度の貧困を抜け出した豊かな社会があり、産業革命の過ちや戦争について、道徳的な洞察を得ることもできる。資本主義が引き起こした労働者の搾取、植民地、ジェンダー格差をはじめとするさまざまな差別を批判できるのは、近代の文明化のおかげである。

企業は国連が作成した「持続可能な開発目標(SDGs)」を達成できるように自らを律する責任がある。「貧困をなくそう」「ジェンダー平等を実現しよう」「働きがいも経済成長も」「平和と公正をすべての人に」、さらには「海の豊かさを守ろう」「陸の豊かさを守ろう」といった人間以外の生物の命への配慮も含めた高尚な価値観や理想が含まれている。

AIの新たな倫理についての考え方も示す。前向きな社会変革、道徳的進歩に寄与するAIシステムを開発すべきだ。中立的な価値観を掲げるが、実際には社会システムを崩壊させる既存のAIとは違うものをデザインすることは可能だ。異なる文化、社会領域の人間たちがどのようにものを考え行動し生活するかを理解し、人類共通の何かを見つけるのに役立つAIシステムを研究し開発することは可能である。そのためには産業界を改革し、人文科学、社会科学、文化研究そして何より哲学や倫理学の専門家を招集し、企業活動の中で善行によって社会を改善して行く方法を見つける必要がある。現実の人間のニーズを満たし、道徳的に進歩した未来の社会の要請に適用するように、経済をボトムアップで規制するような新たな倫理を生み出し、実行していくことだ。

*** 今週の教養 (倫理資本主義⑤)

◎子どもの投票権と公的領域  本書では子どもへの投票権の付与を含めた真に普遍的な選挙権についての思考実験を示す。世界人権宣言によると、あらゆる人には自分が統治される方法に貢献する権利がある。政府の正当性を支えるのは普遍的で平等な選挙権だ。しかし、18歳あるいは16歳未満は、まだ大人ではなく、完全な合理性を身に着けていないというパターナリズム的な子どもに対する理解がある。どうしたら彼らを民主的代議制に含めることができるだろうか。まず若者を、それから子どもたちを、どうすれば社会経済的、政治的により良い未来の創造に本当の意味で参画させられるだろうか。人文科学と社会科学の研究成果を組み合わせながら、子どもたちの選挙権を実現するための具体的ビジョンを策定する必要がある。

倫理資本主義というビジョンによって、自由民主主義を救うだけでなく、もっと良いものにしたいと本気で思っている。本書は一般読者の方に主張を理解していただけるようにわかりにくい哲学用語や技術用語は使わないようにした。「新しい啓蒙」というビジョンには公的領域という概念が含まれている。政治的意思決定の中心に誰もがその人ならではのローカルな知識を持ち寄るという考えだ。だから、社会、政治、経済と密接に関わり、できるだけ平易な言葉で語る新しいタイプの哲学が必要なのだ。そうすることで初めて私たちは集団として思考の質を高めていくことができる。

本書はまず日本語で出版することにした。2013年に初めて来日して以来、多くの西洋人と同じように、私は日本の伝統文化、現代文化の素晴らしさに深い感銘を受けてきた。日本が乗り越えてきたいくつもの近代化の波は、日本経済に世界有数の生産性をもたらした。日本の高い生産性と創造性は、活発な倫理的思考を伴っている。日本の多層的社会(東アジア地域特有のマインドセットという中核をさまざまなレベルの近代化や西洋との統合が進んでいる)のありようから多くを学んできたこともあり、まず日本の読者に向けて語ることにした。