岡倉天心著「茶の本」(2024年9月30~10月4日)

2024.10.04教養講座

*** 今週の教養 (茶の本①)

今週は、日本近代美術の父と言われ、20世紀初頭に日本を世界に紹介した岡倉天心(1863~1913)の思想に触れる。「茶の本 日本の覚醒 矜持の深奥」(道添進編訳、日本能率協会マネジメントセンター、2021)から紹介する。

【概説】 天心は越前藩の下級武士の子どもとして生まれた。父は外国貿易の最前線で活躍していた。設立されたばかりの東京大学の1期生となり、お雇い外国人として来日した東洋美術史家の米国人アーネスト・フェノロサと出会う。10代で文部省に入って行政を切り盛りし、禁断の法隆寺夢殿を開帳した。フェノロサと欧米視察に向かい、1890年に28歳で東京美術学校(現東京芸大)校長に就任した。中国にも視察旅行に出かけたが、帰国後に黒田清輝ら西洋美術派が勢力を増し、校長を辞任。その後、インドに旅行し、詩人のタゴールらと親交を深めた。気晴らしを兼ねて出かけた茨城県の五浦の海岸を気に入り、土地を購入して日本美術院の創作の場とした。弟子では横山大観らが著名だ。

「茶の本」は1906年、「日本の覚醒」は1904年に書かれた。1903年の「東洋の思想」とともに「天心3部作」と言われる。当時は日清戦争から日露戦争の時代で、日本がアジアの新興国として台頭した時代だった。西洋列強から注目を集め始めていたが、日本に関する情報は乏しく、警戒感も高まっていた。1900年に新渡戸稲造の「武士道」が英語で出版され関心を読んだ。天心はすばらしい本だと思ったが、サムライを強調するあまり、日本のよさを見失わせていないか、武士道よりもっと奥深い文化が息づいていると感じ、着目したのが茶の文化だった。3部作には、茶は人を戦いへと赴かせるものではなく、平穏と生へと導いてくれるというメッセージを込めている。背景には、老荘思想、道教、仏教、禅の影響がある。

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*** 今週の教養 (茶の本②)

「茶の本」と「日本の覚醒」から代表的なフレーズと編訳者の解説を紹介する。

【茶の本 第1章】  ◎「茶は日本で芸術の域に高められた」=茶は8世紀の中国で優雅な遊びとなった。それはやがて15世紀の日本で、美を極めようとする宗教のような存在、すなわち茶道へと高められていった。◎「陶磁器、漆器、絵画、さらにはまさに文学までもが、ことごとく茶道の影響を受けている」=茶から枝分かれして茶道が発展した。陶芸や絵も茶人のインスピレーションがなかったら、あれほど洗練された水準には達しなかっただろう。さらに私たちの住まい、庭園づくり、装い、食事まで、その影響は行き渡っている。

◎「茶道の本質は不完全であることを至上とする姿勢だ」=物事には完全などということはない。お茶はそれでもなお、この世の中で何かを成し遂げようとする心優しい試みである。真の美とは、不完全なものを完全にしようとする精神の動きの中に見られるものだ。◎「自分こそ偉大だと信じ切っている者は、実は自分がちっぽけなものにすぎないということをわからない」=そういう人間に限って、ちっぽけだと軽んじている他人がどんなに偉大かわからないものだ。

◎「もし、文明国と見なされるためには、血なまぐさい戦争の名誉を上げなければならないとするなら、むしろいつまでも野蛮に甘んじたい」=日本人が平和で穏やかに暮らしていると、西洋人はそれを野蛮と見なした。ところが、満州で大規模な殺戮を始めると、日本のことを「文明化された」と叫ぶようになった。私たちは、自らの芸術や理想が、しかるべき尊敬の念を払われる時期が来るまで、喜んで待とうではないか。◎「茶道とは、美を見出してもそれを隠しておくたしなみだ」=美の奥義はあからさまに表現するのではなく、それをほのめかすことだ。万物に宿る生命は、外に現われた時よりも、内に隠された時こそ美しく、一層深みがあるのだ。

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*** 今週の教養 (茶の本③)

【茶の本 第2章】 ◎「面白いと感じることは、その行為そのものではなく、その行為に至る過程にある」=本当に重要なことは、完成そのものではなく、完成させようとする営みだ。

【茶の本 第3章】 ◎「虚には無限の可能性がある」=すき家とも書く茶室は、ごく簡素な空間だ。「虚」は全てを受け止めるから万能だ。柔術で、無抵抗によって相手の力を引き出し、消耗させるのと同じだ。◎「作品の中であえて何かを表現せず、空白のまま残しておく」=これは余白の美と言われるもので、「空」や「無」といった禅の思想に通じるものだ。鑑賞する側はその空白を自分流に補って、最終的には作品内容を仕上げる機会を与えられることになる。◎「芸術作品は作家と鑑賞者との共同作業だ」=虚は鑑賞者を引き込む。あたかもそこに何かが描かれているかのように鑑賞者がイメージし、作家と鑑賞者とで作品を作り上げようとするのだ。

◎「人生を劇に見立てるなら、登場人物がみんな調和を心がければ、もっとずっと面白くなるはずだ」=ものごとの釣り合いを保ち、自分の居場所は確保しながらも、他人に譲ることが、この人生劇を成功させる秘訣だ。◎「善だの悪だのと言ったところで、それは相対的なものでしかない」=道教において絶対という概念は、相対という概念に他ならない。この世に絶対などなく、万物は姿形を絶えず変化させている。◎「お茶の理念は何から何まで、暮らしの些事の中に偉大さが宿るという禅の考え方に由来している」=禅が東洋思想に貢献した点は、日々のありふれた暮らしが宗教儀礼と同じくらい重要であるという認識だ。極致を突き詰めようとする者は、自分自身の暮らしの中に内なる光の反映を見いだせなくてはならない。

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*** 今週の教養 (茶の本④)

【茶の本 第4章】 ◎「ギリシャ人が偉大だったのは、決して古代の遺物にならおうとしなかったからだ」=伝統や形式にただ従うのなら、創作活動における個人としての表現に足かせをはめてしまうことになる。いにしえを愛するのは良いけれど、模倣だけに終わってはいけない。◎「いくつもの音楽を同時に聞くことができないように、美というものは、何かしら主題となる要素を強調してこそ、本当にわかる」=茶会の席で、そのために用意した美術品が持ち込まれたとする。するとそれに合わせて、ほかの一切のものは、この主役の美しさを引き立てるように選んで配置される。◎「肉体自身ですら、荒野の中に建つ掘っ立て小屋のようなもの」=茶室の作りには、仏教の無常観が影響を及ぼしている。家とはつかの間の憩いの場所であり、私たちの肉体ですら、薄っぺらな隠れ家に過ぎない。

【茶の本 第6章】◎「原始人は思いを寄せる乙女に初めて花束を下げた瞬間に、獣ではなくなった」=花さえも役立つことを知った時、人間は芸術の世界へ足を踏み入れたのだ。◎「理想的な花の愛好者とは、自ら花が生まれ育つ場所へと尋ねていく人だ」=かつて文人たちは、朽ちた竹垣に座って野草と語り合ったり、湖のほとりの梅林をさまよったりした。花を蹂躙せず、その咲いている所へ身を運ぶことが、自然とともに生きることだ。◎「変化こそがたった一つの永遠のものだ」=古いものが解体されて初めて、再創造は可能となる。万物は流転し、たゆまず自分に立ち戻っては新しい姿へと形を変え、永遠に成長を続ける。

【茶の本 第7章】「それは審美主義の姿をした禅だ」=茶人たちは芸術そのものになろうと努めた。彼らは茶室で身につけた風流さをもとに、日本の暮らしを洗練されたものにしようとした。◎「美と一緒に生きた者だけが、美しく死ぬことができる」=自分自身を美しくしなければ、美しいものに近づく資格はない。それは日々の雑多な物事の中に潜む美を見出し、愛でる心だ。

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*** 今週の教養 (日本の覚醒)

【日本の覚醒】◎「私たちの魂の故郷はアジアといわねばならない」=西洋が教えてくれたことには、感謝しても感謝しきれない。それでも、私たちに古代の文明を伝え、再生するための種子をまいてくれたのはアジアだった。◎「形式主義が幅を利かせる風潮が蔓延し、本当の個性が息づく余地がなくなった」=管理しすぎると創意工夫は生まれない。江戸時代は文化が盆栽化してしまった。そこには平安時代のみなぎるエネルギーも、足利時代の深い思索もない。

◎「奉仕するということは愛情の最高表現だ」=東洋の社会秩序は、男子は国家に、子は親にそれぞれ身を捧げることで成り立ってきた。愛は受けるよりも、与える方が喜びを感じるからなのである。◎「草履は履きかえても旅は変わらない」=私たちはいかに多くの変革を経験しようとも、一貫して古来の理想を忘れ去ることはなかった。新しいものを取り入れても、本質は変わらない。◎「西洋は私たちに戦争を教えた。一体いつになったら、彼らは平和の恵みを学ぶのだろうか」=日本が一貫して平和を維持するよう願ってきたことは明白だろう。私たちを幾重にも包んでいた東洋の夜は明けた。けれども世界はまだ、人類の夜明け前である。