漢詩を味わう(2025年2月3~7日)

*** 今週の教養 (漢詩を味わう①)
今週は漢詩を味わってみたい。参考文献は「中国名言・名詞」(河田聡美著、幻冬舎、2006)。著者によると、「漢詩には『世界の中心で正義を叫ぶ』といった感じの、日本文学にはない小気味よさがある」という。第2章「好きなように生きてみたい」から5つ選ぶ。どれもおおらかな気分になれる。原文、読み方、意味、解説を紹介する。
◎李白「将進酒」より
原文: 「天生我材必有用 千金散尽環復来」
読み方:「天 我が材を生ず 必ず用有り 千金散じ尽くすも 環た復た来たらん」(てん、わがざいをしょうず、かならずようあり、せんきんさんじつくしも、またまたきたらん)
意味:「天が私を必要としたから、私はこの世に生まれたのだ。だから金など、使いたいだけ使ってしまえばよいのだ。どうせいずれは私のもとへ戻ってくるのだから」「自信を持って生きていこう!金など後からついてくる」
解説:どうせ短い人生ならば、お金のことなど気にせず、好きな酒でも飲みながらパーッと楽しくやろうじゃないかと、唐代一の酒飲み詩人、李白は誘います。「天 我が材を生ず 必ず用有り」などと人前で言えば、普通は、鼻持ちならない自信家として敬遠されますが、李白がいうと、そうしたいや味が少しも感じられないばかりか、むしろ「よく言った」と快哉を叫びたくなるから不思議です。
お金がなくて困るのは、お金で武装しなければ怖くて外にも出られない臆病者だけのこと。李白の様に、自分がこの世に生まれた意味を、何のてらいもなくストンと素直に受け止められる健康な精神をもっていれば、お金などなくとも案外、楽しく暮らせるものなのかもしれません。事実、李白はお金のあるときは思いっきり使い、お金のないときは友人に酒をご馳走になりながら、いかなる時も李白らしく、自由闊達に生きて、その生涯を閉じました。なんともうらやましい生き方です。
*** 今週の教養 (漢詩を味わう②)
◎杜甫 「曲江 二首」より
原文:「酒債尋常行処有 人生七十古来稀」
読み方:「酒債 尋常 行く処に有り 人生 七十 古来稀なり」(しゅさい、じんじょう、ゆくところにあり、じんせい、しちじゅう、こらいまれなり)
意味:「飲み屋のツケはいつも、私の行く先々にあるが、昔から70歳まで長生きした人などめったにいないから、借金など気にならない。借金が何だ」
解説:杜甫は46歳の時、苦労の末に「左拾遣」(さしゅうい)という、皇帝の誤りを正す官に就きましたが、張り切りすぎたのか、着任早々出過ぎた発言をして皇帝ににらまれ、朝廷内で孤立してしまいました。鬱屈した杜甫は、朝廷での仕事を終えると、服を質に入れて金を借り、湖の岸辺で酒を飲んでは酔っぱらって家に帰るという日々を送っていました。孔子は「70にして心の欲するところに従い、のりをこえず」(私は70歳でようやく、心のままに行動しても道を踏み外さなくなった)と語っていますが、杜甫は70歳まで長生きできる人間などほとんどいないと反論します。
そして、どうせ人間的に未熟なまま死ぬ運命なら、借金など気にせず酒でも飲んで人生を楽しもうと決意しました。生真面目な杜甫にしては珍しい自棄的な言葉ですが、この数ヶ月後には左遷される運命が待ち受けていたことを思えば、さすがの杜甫も酒に逃げずにはいられなかったのでしょう。ちなみに、70歳を指す「古希」はこの詩句から生まれた言葉です。(注:酒債は酒の借金。尋常は普通、当たり前)
*** 今週の教養 (漢詩を味わう③)
◎李白 「春日酔より起きて志を言う」より
原文:「処世若大夢 胡為労其生 所以終日酔 頽善臥前楹」
読み方:「世に処るは大夢の若し 胡為ぞ其の生を労する 所以に終日酔い 頽然として前楹に臥す」(よにおるはたいむのごとし、なんすれぞそのせいをろうする、ゆえにしゅうじつよい、たいぜんとしてぜんえいにふす)
意味:「私は今、夢の中で李白という人間の人生を生きているのかもしれない。もしこの人生が夢なら、何も苦労して日々を生きる必要などないではないか。そう思った私は、夢の中の人生を大いに楽しむために、一日中酔っ払い、日当たりのいい家の南側で寝転んでいることにした。人生は夢のようなものだ。苦労からはいち抜けた」
解説:中国には紀元前4世紀頃からすでに、人生を夢だととらえる考え方がありました。ある日、蝶となって楽しく暮らす夢を見た荘子は、夢からさめた後、「人間である自分が蝶になった夢を見たのか、それとも蝶である自分が今、荘子として生きている夢を見ているのか、一体どちらが真実なんだろう」と考えました。俗に「胡蝶の夢」と呼ばれるこの考え方が、この時、李白の脳裏をよぎったのでしょう。
日々もがき苦しみながら生きているこの人生が、もしも誰かの見ている夢にすぎないのだとしたら。そう考えると、歯を食いしばって生きているのが、なんだか馬鹿らしくなってきます。そこで李白は「いち抜けた!」と宣言し、好きな酒をたらふく飲み、日向ぼっこでもしながら、この壮大な夢の中の人生を思いっきり楽しもうと決意しました。人生を夢だと思い定めた時、もしも今と違った生き方をしたいと思ったなら、あるいはそれが、自分の最も望む生き方なのかもしれません。(注:前楹は、家屋の南側にある柱)
*** 今週の教養 (漢詩を味わう④)
◎白居易 「放言 五首」より
原文:「松樹千年終是朽 槿花一日自為栄」
読み方:「松樹は千年なるも 終に是れ朽ち 槿花は一日なるも 自ら栄を為す」(しょうじゅはせんねんなるも ついにこれくち きんかはいちじつなるも みずからえいをなす)
意味:「松は千年の長寿だが、必ず枯れる時が来る。ムクゲの花の命は1日だけだが、美しさという栄光がある。人と比べるなんて愚かなことさ」
解説:松の木には千年の寿命がありますが、それでもいつかは枯れる時が来ます。ムクゲの花には、朝開いて夜にはしぼむ、1日だけの命しかありませんが、人々に美しいと愛でられる栄光の瞬間があります。松には、地味だけど長寿であるという短所と長所があり、ムクゲの花には、美しいけれども短命であるという長所と短所があるように、誰の人生も喜びと悲しみは同じだけあり、人と比べて、どちらが幸せかなどと考えるのは、愚かなことだと白居易は言います。
長安で政界の重鎮を狙った凶悪事件が起きた時、正義感に燃える白居易は、犯人の早期逮捕を皇帝に進言しました。しかし、白居易の行為は越権行為であるとの非難の声が上がり、彼は地方へ左遷されてしまいました。この詩には、左遷の憂き目にあった44歳の白居易が、苦悶の末にたどり着いた人生の真実がつまっています。(注:槿花は、ムクゲの花。朝開いて、夜しぼむ)
*** 今週の教養 (漢詩を味わう⑤)
◎孟浩然 「春暁」より
原文:「春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少」
読み方:「春眠 暁を覚えず 処処に啼鳥を聞く 夜来 風雨の声 花落つること知る多少」(しゅんみん あかつきをおぼえず しょしょにていちょうをきく やらい ふううのこえ はなおつることしるたしょう)
意味:「春の眠りは気持ちがよすぎて、夜が明けたのにも気づかなかった。あちこちから小鳥のさえずりが聞こえてくる。昨夜は風雨の音がしていたが、庭の花はどのくらい散っただろう。負け組もまた楽し」
解説:春の暖かな日差しを浴びていると、ついうとうとしてしまい、なかなか目が覚めない。そんな気持ちでいたのは、1200年前の中国人も同じでした。ぽかぽかとした春の眠りがあまりに心地よかったので、つい寝過ごしてしまった孟浩然は、窓の外から聞こえて来る鳥たちの声で目を覚ましました。庭の小鳥たちは、雨上がりの空のもと、ピーピーと可憐な声で鳴き交わしながら、朝のあいさつをしています。
「そういえば、昨夜は雨や風の音がしていたけれど、庭の満開の花々はどのくらい散っただろうか」と温かなふとんにくるまったまま、のんきに花の心配をする孟浩然でした。40歳で科挙受験に失敗し、故郷へ帰って隠遁生活を送りました。眠りたい時に眠り、起きたい時に起きる生活は、孟浩然が官界での出世という男子一生の夢と引き換えに手に入れた、貴重な自由でした。(注:処処はあちこち。多少は、どのくらい。数量を尋ねる疑問詞)