反東大の思想(2025年7月21~25日)

*** 今週の教養講座(反東大の思想①)
東京大学とは何だろう。今週は「『反・東大』の思想史」(尾原宏之著、新潮選書、2024)を紹介する。1886(明治19)年、国家的使命を担って初めての帝国大学として設立され、私学・その他官学が対抗してきた。学問を追求する教育機関が、国家の一翼を担ったところに、東大の可能性と制約がある。同書の「はじめに」を中心に掲載する。著者の尾原氏は、早大政経学部卒、NHK勤務を経て、甲南大法学部教授。
はじめに 最後に残された偏見 日本近現代史上、ここまであからさまに「低学歴」への侮蔑と「高学歴」への称賛が語られる時代は、実は現在が初めてではないだろうか。ネット上の各種の論争でも、他人の学歴に対する揶揄はごくごく当たり前である。ユーチューバーたちは大学ランクや偏差値に関する話題、超難関大学に合格した秀才エピソードを毎日のように面白おかしく提供してくれている。
人々の本音がむき出しになるインターネット界隈だけでなく、表向きは学歴差別を批判するリベラルなメディアも、難関中高校合格や国立大医学部合格、アイビーリーグ留学、お受験ママの奮闘などについては、賞賛と奨励を惜しまない。学歴に関することを大っぴらに話すのは浅ましいことだ、というかつては多少あったはずの良識めいたものも、消滅してしまったかのように見える。
米国の政治学者マイケル・サンデルは、ベストセラー「実力も運のうち 能力主義は正義か」の中で、「人種差別や性差別が嫌われている時代にあって、学歴偏重主義は容認されている最後の偏見なのだ」と語った。日本でも女性差別やマイノリティ差別はかつてに比べれば、はばかられるものになっている。だが、入学難易度の低い大学の出身者や、そもそも大学に進学できなかった人々への揶揄、その反面の難関大学合格者に対する賞賛は、社会のいたるところで目につくようになった。
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*** 今週の教養講座(反東大の思想②)
「東大出」の酒の味 政治学者のマイケル・サンデルも指摘するように、生まれつきの属性は個人の努力ではどうにもならないが、受験の結果は本人の努力や怠慢の結果、つまり自己責任だと一般的に考えられているから、差別する側の心理的ハードルは低い。もちろん日本においても現実は単純ではなく、子どもの進路が家庭環境や親の学歴に大きく依存することは、これまで教育社会学の研究が明らかにしてきたことである。
サンデルが著書で紹介した研究が示すように、「低学歴」に対する低評価、「高学歴」に対する高評価は、学歴を持たない人々でさえ内面化しがちである。日本でも、自身の学歴に対する卑下や難関大学出身者に対する過剰な敬意などが随所で観察できる。
私の見聞でも次のようなことがある。著者は数年前まである都市に存在したバーに足しげく通っていた。そのバーの店主は俗に日本一と呼ばれる中学高校から東京大学法学部に進み、大企業で課長まで昇進するも、退社したのちに夜の店の経営を始めた。
不思議だったのは、夜の街の同業者や多くの客がこの店について語るとき、店そのものの良し悪しよりも、「◯高出身」「東大出」という点を必ずと言っていいほど強調、連呼したことである。灘や開成、東大の出身だと酒の味がよくなるなら別だが、脱サラして苦闘する店主に対してやや失礼ではないか、とも思われた。
だが、よくよく見ると店主も東大を売りにしている気配がある。高学歴とは無縁な同業者や客からすれば、東大出の店主の仕事ぶりにあれこれ文句をつけ、からかえるところにこそ妙味があったのかもしれない。いずれにせよ、大学と縁の無い人でも東大には非常に大きな価値を感じている様子がよくわかった。
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*** 今週の教養講座(反東大の思想③)
「東大は日本そのもの」? 多くのエリート校が存在する米国とは異なり、日本の場合、サンデルのいう「学歴偏重主義」の頂点には常に東大が君臨し、人々のマインドを支配している。それは日本の近現代そのものが東大を頂点とするシステムによって生み出されたことと関係するだろう。ある研究会で、京都大学出身の社会学者が「要するに東大が日本そのものですよ」と語るのを聞いたことがある。これは言い得て妙のフレーズである。
歴史をさかのぼると、国家が作った大学である東大の使命とは、つまるところ日本の近代化を急速に推し進める人材を急速生産することにあった。つい最近までマゲを結った人々とその子息の中からエリートを急造し、民衆を統治させ、各方面の指導にあたらせる。明治維新から最初の対外戦争である日清戦争まで26年、日露戦争まで36年しか経っていない短期間で、巨大な機構を作り上げ、各方面に指導者を配置しようとするのだから、随所で大きな無理や摩擦が生じた。その無理や摩擦の吸収と克服を積み重ねて、現代に至る日本が形成されていく。
明治の早いかなり早い時期から、東大の存在しない日本、東大に匹敵する対抗勢力がひしめく日本、東大を克服した日本の姿を構想する人々が、かなりのボリュームで現れた。東大が形成される過程と東大に抵抗する勢力が形成される過程は、実は同時代的である。
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*** 今週の教養講座(反東大の思想④)
「反・東大」の系譜 例えば明治国家が東大を作った時に最も大きな被害を受けることが予想されたのは、それまで日本の教育をリードしてきた私塾群、特に福沢諭吉の慶應義塾であった。福沢は早くから東京帝国大学批判を展開するが、その背後には明治日本の現実とは異なる社会構想がある。
明治14年の政変で政府から放逐された大隈重信を創設者とする後の早稲田大学は、「民衆的」であることを売り物にして「官」に対抗した。明治や法政などの私立法律学校の学生は、自分たちの学力は東大生に劣らないと主張し始めた。早くから有望な研究・教育分野に進出し、実際に東大に対する優位を誇る一橋のような学校も出てきた。
大正期には「個性の尊重」を呼号する私学が、一高・東大的な教育のあり方に異議を唱えた。肉体労働者は決起して東大出身労働運動家をつるし上げにした。昭和期には、東大は西洋盲従で「反日本」的だと叫ぶ集団もあらわれた。このような明治以来の流れの先に、戦後の意識が形成されたといってよい。
本書は、過去・現在・未来の東大における学問研究や改革を直接の対象とするものではない。東大から排除された、あるいは自分から背を向けた人々による抵抗と挑戦の歴史が主題である。現在の日本の国家と社会は東大の存在を抜きにして語ることはできないが、たとえ悲劇的または喜劇的な結末に終わったとしても、東大への挑戦を通して別の未来像を描いていた人々の苦闘も、これからの日本を語る上で多少なりとも意味があるのではないか、と考えている。
【目次】第1章「官尊民卑の打破――慶応義塾福沢諭吉の戦い」/第2章「民衆の中へ――レジャーとモラトリアムの早稲田大学」/第3章「帝大特権をはく奪せよ――私立法律学校の試験制度改正運動」/第4章「学問で東大を凌駕する――一橋大学の自負と倒錯」/第5章「詰め込み教育からの転換――同志社と私立7年制高校」/第6章「ライバル東大への対抗心――京都大学の空回り」/第7章「知識階級を排斥せよ――労働運動における反東大」/第8章「凶悪逆思想の元凶――右翼に狙われた東大法学部」/終章「反東大のゆくえ――東大の解体と自己変革」
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*** 今週の教養講座(反東大の思想⑤)
終章・倒幕運動を凌駕した東大の自己変革 帝国大学の創設年である1886(明治19)年を基点とすれば、すでに140年近くの間、日本社会は東大信仰とつき合い続けている。先行者であった慶応義塾などの私学、ライバル校として創設された京大をはじめ様々な挑戦者が現れた。大正期には、一高・東大的な教育のあり方に反旗を翻す学校群も出てきた。大正デモクラシーが、太平洋戦争が、戦後の東大闘争が、東大に危機をもたらした。だが、いずれも深刻な結果にはならず、かえって異質な要素を貪欲に取り組んで東大は東大たりえてきた。
かつて丸山眞男は、近代のテクノロジー化が進むにつれて分業がますます進行し、「部分人(パーシャルマン)」が大量に生産されると指摘した。学校に通っている時は何者でもないし、だからこそ何者にもなれる可能性だけはある。しかし、就職する時に様々な可能性は捨てられ、分業化に対応した特定職業に従事し、それが人生の大半を占めるようになる。そのうち、丸山が言ったように「総合的な人格がますます解体して、専門分野では非常に優れていても、一般的な総合的な判断力、例えば具体的な政治感覚とか、社会問題に対する感覚の仕方がほとんど子どものように低調」な、不均衡に精神状態が発達した人間になる。
東大生とて例外ではなく、何らかの職業人としてその後を生きる。だが、世の大方の「部分人」から見れば、まだ何者にもなってない東大生は、より「全体人」に近い存在ではある。その前提となる5教科ペーパーテストの成績は、あくまでも能力の擬似的な指標に過ぎないが、ここに東大への憧憬の原点があるように思われる。
かつて大宅壮一は、現代社会を徳川時代に置き換え、東大を幕府、その他の国立大学を親藩、早稲田や慶應を外様の大藩にたとえた。その伝で言えば、東大に対する挑戦者の闘いは、倒幕運動のようなものであった。そして現実にはほとんどの場合、「藩政改革」が倒幕運動を凌駕した。東大の打倒を企む勢力が勝利する時は、明治維新がそうであったように、それまでの日本が日本ではなくなることを意味する。260年続いた徳川幕府でさえ倒れたわけだから、その日がいつか来ないとも限らない。