8月4~8日(教養講座:非戦・反戦の系譜 国内編)

~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年8月4日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(1~3日)
◎トランプ大統領 雇用統計の担当局長解任 専門家から批判相次ぐ | NHK | 雇用統計 アメリカ FRB クグラー理事が任期途中の8月8日で辞任 トランプ大統領が後任を指名へ | NHK | アメリカ →トランプ大統領が、自分に都合の悪い統計を発表したとして労働省の担当局長を解任した。理由を示しておらず、横暴な人事だ。FRBの理事がなぜか任期途中で辞任することになった。後任はトランプ大統領が指名できるが、利下げ派の起用は確実。トランプ氏にいま待ったをかけられるのは、金融市場と来年の中間選挙だけ。マーケットと米国民は目を凝らしているだろうか。
◎ゴルフ 全英女子オープン 山下美夢有 優勝 海外メジャー初制覇 | NHK | #ゴルフ(女子) →山下美夢有がゴルフ全英女子オープンで優勝した。大阪桐蔭高出身の24歳。2022、23年と年間賞金女王だった。女子のメジャー制覇は6人目。最初は1977年の樋口久子、2人目は2019年の渋野日向子で、それ以降に集中して誕生している。女子ゴルフの躍進が目立つ。
◎花巻東など春夏連続出場4校が並ぶ激戦区も 甲子園各ゾーンみどころ – 高校野球:朝日新聞 →5日に開幕する夏の甲子園の組み合わせが決まった。松坂以来の春夏連覇を狙う横浜は、敦賀気比と対戦。他に関東大会で横浜を破った健大高崎、春準優勝の智弁和歌山、近畿で負け知らずの東洋大姫路が有力と言われる。しかし、本番でどうなるかわからないのが甲子園。暑さも不確定要素だ。
◎埼玉 行田 4人死亡事故 はじめに転落男性 はしご降りる最中か | NHK | 埼玉県 →埼玉県行田市で下水道管の点検をしていた4人がマンホールに転落し、死亡した。同県八潮市で起きた陥没事故をきっかけにした点検作業だった。原因は硫化水素とみられる。点検は全国に指示をしており、同様の事件が起きる可能性がある。再発防止策が急がれる。
◎前川さん無罪確定 検察上告見送り「厳粛に受け止め」―福井中3殺害、逮捕から38年:時事ドットコム →再審無罪判決が出た福井市の中学生殺人事件で、検察が上告を断念した。名古屋高検、福井県警が記者会見をしたのはいいが、謝罪はなし。司法というより役所の論理。役所が無謬とは誰も思っていない。「過ちを改むるにはばかることなかれ」。孔子や市民社会の常識に学ぶべきだ。
◎萩生田氏秘書の略式起訴検討 検審「起訴相当」議決受け―自民党裏金事件・東京地検:時事ドットコム →裏金問題で萩生田氏の秘書が略式起訴される見通しとなった。2290万円の不記載で告発され、東京地検特捜部は昨年12月に不起訴としたが、検察審査会が今年6月、「これで不起訴なら虚偽記載はなくならない」と起訴相当を議決。地検特捜部がスピード起訴する。当然だろう。
*** 「今日の名言」
◎松本清張(小説家。1992年8月4日死去、82歳)
「人間、どんなときにも、何か心のより所をもつことが大切だ」 「私の学歴は小学校卒である。だが人生には、卒業学校名の記入欄などないのだ」 「自分は努力だけはしてきた。努力が好きだったからだ。思うように成果はなかったけれども、80歳になってもなお働くことができたのは有難い」 「好奇心の根源は、疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる」 「空白の部分を考える、それが私の喜び」 「人間には先入観が気づかぬうちに働きまして、そんなことはわかりきったことだと素通りすることがあります。これが怖いのです」 「表紙の切れた岩波文庫が私の絶望を救った。文学書を読むことによって、自分が救われたと信じている」 「作家になるには、24時間、机の前に座っていられる性格であればいい」 「三島由紀夫があんなふうに最後に、右翼だとか、国家主義者だとか言われているのは、皮相な観察だと私は思う。彼は題材を求めてそこに流されていったと思うんです」
*** 今週の教養講座(非戦・反戦の系譜 国内編①)
反戦・非戦を唱えた人は、日本にもたくさんいる。思想家、政治家、言論人、文学者、編集者ら生き方は様々だ。スタイルも幅広く、積極的に非戦を訴える人もいれば、静かに祈ったり、日常の暮らしに根ざして考えたりした人もいた。根底に流れているのは、人間同士が殺し合うことのむなしさであり、穏やかな暮らしの大切さである。先週の海外編に続いて国内編を特集する。
内村鑑三──信仰と良心に生きた非戦の思想家 内村鑑三(1861–1930)は、明治期の日本でキリスト教信仰を柱に生き、国家的熱狂の時代に「非戦」を唱えた思想家である。その生き方と信念は、後の戦争抵抗者や平和主義者に深い影響を与えた。
札幌農学校でクラーク博士からキリスト教の精神を学んだ内村は、神と祖国のはざまで悩みながら、「無教会主義」という独自の信仰実践にたどりついた。教会という制度ではなく、個人の内なる良心と神との直接的な関係を重視するこの立場は、やがて彼の非戦思想に結びついていく。日清・日露戦争を経て、日本は帝国主義的拡張を進めていた。戦勝に沸く国内世論のなか、内村はあえて逆風の中へ足を踏み出した。1901年に発表した『非戦論』において、彼は明確に述べる。「たとえ国家の命令であっても、人を殺すことは神の掟に背く行為である」。この信念は、戦争の正義を叫ぶ当時の社会にとっては、許されざる「非国民的」言説だった。
日露戦争が始まると、彼の反戦姿勢はさらに明確になる。「この戦争は勝ってはならぬ戦争だ」とまで語った内村に対し、激しい批判が寄せられ、雑誌は廃刊、講演も中止となった。だが、彼は沈黙しなかった。戦争が正当化されるときこそ、個人が自らの道徳的判断を貫くことが、真の愛国であると彼は信じていた。
内村の非戦思想は、単なる理想論ではなく、キリスト教的信仰と倫理に根ざした実践的な思想だった。それは後に、思想家・教育者としての彼の影響を受けた人々へと受け継がれていく。たとえば、無教会派を継承した矢内原忠雄は戦時中に大学教授職を辞し、戦争協力を拒んだ。また、社会思想家の賀川豊彦や平和運動に参加した市川房枝らも、内村の信念と姿勢に学び、戦後日本の平和思想の源流を築いた。
内村の非戦論は、日本国憲法第9条の精神とも深く響き合う。国家の暴力を否定し、平和を国是とするこの条文に、内村のような個人の良心に基づく反戦の思想が、戦後日本の土壌として確かに根づいていた。彼の名は、今も無教会主義の文脈で語られることが多いが、その実像はより広く、信仰と道徳に根ざした良心的反戦の実践者であった。時代に逆らい、孤独に耐えながらも、真実と信念を守り続けた内村鑑三の生涯は、現代においてもなお、戦争と平和、国家と個人の関係を問う重要な指針となり続けている。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年8月5日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(4日)
◎最低賃金 過去最大63円引き上げへ 全国平均1118円 全都道府県で1000円超に | NHK | 厚生労働省 →最低賃金が過去最大となる63円引き上げられ、全都道府県で1000円を超える見通しになった。負担軽減策ばかり議論されているが、経済成長には企業の投資が最も有効だ。賃上げは人的投資の中核。大企業は内部留保も大きい。賃上げが苦しい中小企業には別枠で支援すればいい。
◎スーパーのコメ 平均価格3625円 前週より40円上昇 値上がりは10週ぶり | NHK | コメ 新米価格は上がる?どうなる? 各地や専門家の見通しは | NHK →スーパーのコメ価格が10週ぶりに値上がりした。備蓄米の供給が一巡し、関心は新米価格に移りつつある。猛暑による水不足で収穫量が減る予測もある。農政改革は政治の焦点で、首相はコメ増産・輸出拡大を目指す。コメ問題は引き続き関心事だ。
◎週刊新潮コラムに作家の深沢潮さんが抗議…新潮社がおわび「出版社としての力量不足と責任を痛感」 : 読売新聞 日本で広がる韓国文学 芥川賞作家 平野啓一郎さん語る魅力 | NHK →外国人問題が関心を集めているが、在日コリアン作家の藤沢潮さんが、元産経新聞記者が書いた週刊新潮のコラムで「日本名を名乗るな」と名指しされたとして抗議した。同社は謝罪した。一方、韓国文学の人気が広がっている現実もある。隣国とはお互い広い心で仲良くしないと。
◎セ・リーグDH制へ、甲子園で導入は「大きなインパクト」…大谷ルールも採用方針 : 読売新聞 →セ・リーグがDH(指名打者)制を採用する。パ・リーグはすでに導入しており、セパの実力格差の一因になっている可能性もある。高野連も来年から実施する。高校野球はタイブレーク制、夏の甲子園大会の2部制が導入され、7回制も議論している。野球が様変わりだ。
◎伊東市長の不信任案提出へ 市議会、早ければ今月中―静岡:時事ドットコム →追い続けるのも気が引けるニュースだが、兵庫県知事と似たような構図で、ワイドショーもずっと伝えている。コメンテーターも苦しそう。不信任案の可決は確実で、そうなれば、市長は議会を解散しそうだ。大学を卒業したかどうかのささいな問題が、観光シーズン真っ只中の温泉街を直撃している。
*** 「今日の名言」
◎本田宗一郎①(ホンダ創業者。1991年8月5日死去、84歳)
「苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感を持つかもしれない。私自身、その繰り返しだった」 「私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ」 「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない」 「伸びる時には、必ず抵抗がある」 「新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。だから寝る時間、食う時間を削って何度も何度もやる」 「進歩とは、反省の厳しさに正比例する」 「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。その代わり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない」 「人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ」 「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」
*** 今週の教養講座(非戦・反戦の系譜 国内②)
宮沢賢治──沈黙のうちに祈り続けた非戦の詩人 宮沢賢治(1896–1933)は、詩人・童話作家として知られるが、その作品世界の奥には、戦争を否定し、暴力を拒む深い倫理的精神が流れている。彼は「反戦」を叫んだわけではない。だが、その沈黙と祈りの文学は、誰よりも静かに、確かに「非戦」を語っていた。
岩手の農家に生まれ、自然と貧困に囲まれた少年時代を過ごした賢治は、やがて法華経に導かれ、自己犠牲と慈悲の精神を深く身に刻んでいく。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」――この言葉に象徴されるように、彼の理想は極めて高く、具体的であった。戦争に関して直接の言及は少ない。だが、詩や童話に表れる生きとし生けるものへの共感と連帯のまなざしは、戦争や暴力の否定に通じている。たとえば『グスコーブドリの伝記』では、飢饉の中で人々を救うために命を差し出す主人公の姿を描き、個人の献身と他者への思いやりを強調する。
詩「永訣の朝」や「雨ニモマケズ」には、痛みを抱えながらも他者の苦しみに寄り添い、争いを拒む人物像が浮かび上がる。彼が理想とした人間像は、弱さに寄り添い、怒らず、何ものも憎まず、「みんなにデクノボーとよばれ」ても、耐えて生きる者であった。
昭和に入り、国家は次第に戦時体制へと向かう。天皇制と軍国主義が強化され、国民には忠誠と献身が求められる時代。賢治は国家への奉仕ではなく、無名の民のために生きること、争いではなく共感と祈りによって結ばれる社会を夢見た。彼の作品は、国家や戦争に直接楯突くものではなかったが、それゆえに、より普遍的な非戦の精神を体現している。その生涯は短く、病と貧困に苦しみながら、37年で幕を閉じた。だが戦後、彼の文学は改めて注目され、特に反戦・平和を希求する人々にとっては、静かなる抵抗の象徴として読み直されていった。
1960年代、ベトナム戦争や安保闘争の中で、若い詩人や市民運動家たちは、賢治の詩を手にして語り合った。「雨ニモマケズ」の一節は、横断幕や集会のスローガンとして掲げられた。宮沢賢治は、詩と祈りによって非戦を貫いた詩人として、新たな世代にも受け継がれていった。深い内省と共感に根ざした「沈黙の抵抗」であった。その姿勢は、今も戦争の時代にあって、人が何を信じ、どのように生きるべきかを静かに問いかけている。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年8月6日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(5日)
◎群馬 伊勢崎で41.8度 国内の観測史上 最高気温を更新 なぜ暑かった 背景は?熱中症に厳重警戒を | NHK | 熱中症 →群馬県伊勢崎市で過去最高の41.8度を記録した。7月30日に過去最高だった兵庫・丹波市の記録を0.6度も上回った。40度以上を観測した地点は14。ニュースやワイドショーは連日、酷暑の話題を取り上げている。見ているだけで疲れてくる。いつまで続くのだろうか。
◎米政策 石破総理大臣 増産にかじ切る方針表明 価格高騰の要因検証 輸出拡大に全力挙げる考え 農家は? | NHK | コメ →石破首相がコメ増産の方針を打ち出した。自民党農林族や農家の一部には反対や懸念がある。自然相手の農業では簡単にかじを切れない事情もある。こちらも暑い攻防になりそうだ。
◎広島・長崎に原爆投下から80年を前に 日本被団協が声明発表 | NHK | 原爆 →ノーベル平和賞を受賞した被団協が、原爆投下80年を前に声明を発表。最優先課題に核兵器禁止条約をあげ、「唯一の戦争被爆国である日本政府の役割が不可欠だが、締約国会議へのオブザーバー参加さえも拒否している」と批判した。世界秩序が流動化する今、いつまでも米国追随では情けない。
◎マツダ、421億円赤字 米関税打撃、通期も大幅減益:時事ドットコム →米国への輸出依存度の高いマツダが、4~6月期で421億円の赤字を記録した。前年同期は498億円の黒字だったので、900億円以上の落ち込みだ。来年3月期の純利益は、前期比82.5%減の200億円を見込んだ。米国関税の直撃を受けている。
◎参政代表、予算委デビュー トランプ氏懐柔へWHO脱退提唱:時事ドットコム →参政党の神谷代表が初めて予算委員会の質問に立った。「日本人ファーストは、反グローバリズムだ。排外主義ではない」と力説。トランプ大統領から関税引き下げを勝ち取るため、世界保健機関(WHO)脱退で足並みをそろえてはどうかと提案した。石破首相は「取引材料にするのはよくない」と応じた。
*** 「今日の名言」
◎本田宗一郎②(ホンダ創業者。1991年8月5日死去、84歳)
「成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。最後まで諦めなかった人間が成功しているのである」 「創意工夫、独立独歩、これをつらぬくにはたゆまぬ努力がいるし、同時にひとりよがりに陥らぬための、しっかりした哲学が必要となる」 「独創的な新製品をつくるヒントを得ようとしたら、市場調査の効力はゼロとなる。大衆の知恵は決して創意などはもっていないのである。大衆は作家ではなく、批評家なのである」 「困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶体絶命のときに出る力が本当の力だ。人間はやろうと思えば、大抵のことはできる」 「失敗もせず問題を解決した人と、10回失敗した人の時間が同じなら、10回失敗した人をとる。同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる」
*** 今週の教養講座(非戦・反戦の系譜 国内③)
石橋湛山──自由と信仰から導かれた非戦の信念 石橋湛山(1884–1973)は、戦前から戦後にかけて活躍したジャーナリストであり政治家、そして数カ月だけ首相の座に就いた人物である。軍国主義が支配的だった時代にあって、彼は一貫して戦争と領土拡張に反対し、自由と平和を説いた。その思想の根底には、経済的合理主義とともに、若き日に傾倒した日蓮宗の信仰が深く関わっていた。
石橋は山梨県に生まれ、早稲田大学に学んだ後、東洋経済新報社に入社。記者としての鋭い経済分析力を発揮し、同誌の主筆となる。1920年代にはすでに「小日本主義」を唱え始めていた。帝国主義的な膨張政策を否定し、朝鮮・台湾・満州などの植民地の放棄さえ主張する。当時としては極めてラディカルな反戦・反拡張の論であった。この主張を支えたのは、単なる経済合理性だけではなかった。
石橋の父は、日蓮宗の高僧で強く影響を受けている。とりわけ、日蓮の「立正安国(正しい信仰が国を安んずる)」という思想に共鳴した。彼にとって仏教とは、形式や祈祷ではなく、人間の内面の自由と社会の公正に結びつく実践哲学だった。日蓮は、時の権力に迎合せず、国家の過ちを改めるように進言し続けた宗教者である。石橋はこの精神を継承し、「言論の力によって国家を誤らせぬ」ことを自身の使命と考えた。満州事変以降の日本の軍事行動を「道義に反する侵略」と批判し、言論の自由が次々に抑圧される中でも「東洋経済」誌上で警鐘を鳴らし続けた。
戦時中は執筆活動が厳しく制限されたが、それでも沈黙せず、あくまで平和と理性の声を守った。戦後、衆議院議員に当選し、吉田茂のあとを継いで1956年に首相となる。しかし在任はわずか2カ月で、病に倒れて政権を退いた。戦前から一貫して「反軍・反拡張」を主張し続けた稀有な政治家として評価は高い。
石橋の非戦思想は、戦後日本が掲げた平和主義と経済復興政策の原型をなす。大国主義に惑わされず、自由と信念に従って国を導くという理想。そこには、仏教者・日蓮から受け継いだ「為政者は民のためにあれ」という倫理観が根づいていた。石橋の反戦は、宗教的情熱と経済的知性が結びついた稀有な思想である。彼は、戦争の時代に「自由」を語ることの危険と重みを知りながら、あえてその道を選んだ。言論で権力に抗し、信仰で心の自由を守り抜いた。その静かな勇気は、現代においてもなお、自由な社会の土台となり続けている。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年8月7日号(転送禁止)~~~
◎長谷川キャリア文章塾の講座紹介と申込みサイト→ 講座紹介 – 長谷川キャリア文章塾
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***デイ・ウォッチ(6日)
◎広島への原爆投下から80年 平和記念式典 | NHK | 原爆 石破首相あいさつ、正田篠枝さんの短歌を2度繰り返す : 読売新聞 →6日は広島に原爆が投下されて80年。世界各地で戦闘が続き、国内外で核兵器の使用が語られており、「ヒロシマ・ナガサキ」の重みが増している。石破首相は演説で「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」の短歌を2度繰り返した。やっと石破色を出すことに徹したか。
◎日本人、過去最大の90万人減 外国人人口は最多367万人―総務省:時事ドットコム →日本人は今年1月で1億2065万3227人となり、前年より過去最多の90万人減った。外国人は最多の367万人。日本は人口減を長く嘆いているが、どうやっても戻らない。「コンパクト日本」にするよう発想を切り替えたい。外国人は不可欠の存在になっている。排斥している場合ではない。
◎尹前大統領の妻を聴取 株価操作など疑惑16件―韓国特別検察:時事ドットコム →韓国前大統領の夫人が株価操作など16件の疑惑で捜査当局の聴取を受けた。疑惑の詳細はわからないが、大統領退任後に摘発される恒例行事。意趣返しのような伝統は改めた方がいいように思う。中国の周恩来首相は、政敵の身内でも過去の貢献を重視して厚く遇した。それが人の道だろう。
◎自民と立民の政調会長が会談 給付付き税額控除など意見交換 | NHK | 物価高騰 →自民党が野党に接近している。と言うより、接近せざるを得ない。連携先は維新の会が最有力とされるが、立憲との大連立の可能性もある。それぞれ党内の右派と左派を見限って連立をすれば、日本の政治は中道と右翼、左翼に分かれる。こんな時代だから、「基本政策の不一致」とか細かいことを言わず、連立政治の大胆な実験をすべきだろう。
◎高校野球「2部制」で初の4試合実施 継続試合にならず | NHK | #夏の全国高校野球 →午前・午後の2部制で始まった夏の甲子園。接戦も多く、高校野球特有の緊張感が伝わってくる。周りに高いビルのない甲子園のナイターは、芝生と夜空のコントラストが幻想的だ。こちらはエアコンのきいた部屋で見ているが、真剣な若者たちの姿を見ていると、背筋が伸びる。明日もメルマガをしっかり書こう!
*** 「今日の名言」
◎本田宗一郎③(ホンダ創業者。1991年8月5日死去、84歳)
「自動車メカの経営者が車の渋滞を起こすような、派手な社葬などしてはいけない。(宗一郎の通夜と社葬は行われず、各工場でささやかな「お礼の会」が行われた)」「かけがえのない若さも、それを自覚していなければ、豚に真珠、猫に小判であって、なきに等しい」 「こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる」 「信用することによって、信用される人間が生まれる」 「チャレンジして失敗を恐れるより、何もしないことを恐れろ」 「嫌いなことを無理してやったって、仕方がない」 「悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、常に素直に味わうことが大事だ」 「日本人は失敗を恐れすぎるようである。失敗を恐れて何もしない人間は最低なのである」 「少しでも興味を持ったこと、やってみたいと思ったことは、結果はともあれ手をつけてみよう。幸福の芽はそこから芽生え始める」
*** 今週の教養講座(非戦・反戦の系譜 国内④)
大江健三郎──戦後日本に「言葉の武器」を持ち込んだ作家 大江健三郎(1935–2023)は、戦後日本文学を代表する作家であり、同時に、反戦・非核・平和の思想を貫いた知識人でもあった。小説という静かな形式を通じて、彼は時に日本社会に正面から挑み、時に深い内省を促した。彼の非戦思想は、叫びではなく、問いかけとして響いた。
愛媛県の山村に生まれ、終戦を10歳で迎えた大江は、少年時代から「国家」という巨大な存在と、それに翻弄される個人との関係に強い違和感を抱く。敗戦と占領、天皇制と原爆、それらは彼にとって単なる歴史ではなく、生涯にわたって向き合い続ける「宿題」となった。東大在学中に文壇デビューし、若くして頭角を現した。早くから「戦後」という時代における人間の責任を問う作家として注目される。1960年代、安保闘争やベトナム戦争に対して明確に反対を表明し、以降も核兵器、天皇制、戦争責任の問題について、国内外で発言を重ねた。
非戦思想の根幹にあったのは、「記憶」と「責任」というキーワードである。戦争体験を語り継ぐこと、被害だけでなく加害の側面も見つめること、それを文学と言葉で行うことこそが、自分の使命であると考えていた。彼の文学の中心には、つねに「他者」がいた。障害を持つ長男・光さんとの生活を描いた作品群は、人間の尊厳と対話の可能性を掘り下げると同時に、「異なる存在」とどう共に生きるかという現代的課題を静かに突きつける。そこには、力ではなく言葉、支配ではなく共感という、非戦の倫理が流れている。
1994年、ノーベル文学賞を受賞した際、こう語った。「私は、個人の倫理と国家の倫理が衝突する時、個人の倫理に従いたいと考えてきた」。この言葉には、内村鑑三にも通じるような、国家よりも人間の良心を上位に置く信念がにじんでいる。さらに広島・長崎の被爆者たちと向き合い続けた作家でもある。「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」などのノンフィクションでは、戦争と国家による暴力が、どれほど個人の生活と魂を傷つけるかを徹底して書いた。こうした活動を通じて、彼は日本国内のみならず、世界の反核・反戦運動にとっての象徴的存在となった。
一方で、大江の非戦思想は一貫して「言葉」への信頼に支えられていた。暴力に屈せず、沈黙せず、言葉によって人間の尊厳を守る。その姿勢は、戦後民主主義が揺らぐ現代においても、あらためて重い意味を持つ。大江健三郎は、戦争を知らない世代の中で、「戦争を語ること」「平和を語ること」の責任を引き受けた作家であった。国家が再び力を誇示しようとするとき、彼の言葉は問いとして、私たちの内側に残り続けている。
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~~~ 長谷川塾メルマガ 2025年8月8日号(転送禁止)~~~
【お知らせ】 メルマガは来週、お盆のため休刊します。次号は、8月18日号です。よろしくお願いいたします。
***デイ・ウォッチ(7日)
◎アメリカ 15%関税を日本に適用 “通常に加え15%上乗せに” 自動車関税の引き下げは【随時更新】 | NHK | 関税 →米国が相互関税を発動した。日本からの輸出には15%の関税がかけられる。ところが、15%以上の関税がかかっていた品目への上乗せ、27.5%の自動車関税の行方などがはっきりしない。日本政府は「日米に齟齬はない」というが、齟齬ではないか。このズレもディールの対象になるのか。
◎大川原化工機えん罪 警視庁公安部歴代幹部ら19人処分・処分相当 警視庁の検証結果踏まえ | NHK | 事件 →大河原化工機冤罪事件で、警視総監が異例の謝罪会見をした。19人の処分・処分相当も発表した。公安警察は秘密意識が強く、ささいなことを重大に扱う癖がある。今回は不都合な証拠を隠し、組織の存在意義をアピールするため、事件をでっち上げた。冤罪事件の場合、警察も検察もトップが謝罪会見する慣行にすべきだろう。そうすれば組織も引き締まる。検察の処分はなかった。
◎維新・吉村代表が続投 共同代表に藤田氏ら名乗り:時事ドットコム →維新の会の共同代表選挙が8日にある。吉村氏は続投し、辞意を申し出た前原氏(国会議員団代表)の後任を決める。藤田前幹事長ら3人が立候補した。自公与党との連立・連携の行方にも影響する。維新は地域政党から脱皮できず、与党が大阪副首都構想への支援を打ち出せば、接近するだろう。
◎”米ロ首脳会談 近日中実施で合意” ロシア大統領府補佐官 | NHK | ウクライナ情勢 →米ロ首脳会談が近く開かれる。通常の外交なら、ウクライナとの戦争で何らかの合意見通しがあって会談するはずだが、トランプ氏の場合はよくわからない。出たとこ勝負でプーチン大統領を追い込むのか、いなされるのか。注目だ。
◎”生成AIで記事無断利用” 読売新聞が米企業を提訴 | NHK | アメリカ →読売新聞が「生成AIで記事を無断利用された」とアメリカの新興企業を訴えた。記事の差し止めや21億円余りの損害賠償を求めている。生成AIによる記事利用の是非はかねて焦点になっているが、日本メディアが裁判に訴えたのは初めて。
*** 「今日の名言」
◎アンドリュー・カーネギー(米の実業家、鉄鋼王。1919年8月11日死去、83歳)
「成功の秘訣は、いかなる職業にあってもその第1人者たることを期することである」 「よりよい成果が得られるのは、自分が1番好きな仕事をしているときだろう。だから人生の目標には、自分が好きなことを選ぶべきだ」 「すべてを自分でやりたがり、すべてを自分の手柄にしたがる人は、偉大なリーダーにはなれない」 「賢い人は、徹底的に楽天家である」 「チャンスに出会わない人間は1人もいない。それをチャンスにできなかっただけである」 「笑い声のないところに成功はない」 「最も高い目標を達成するには、1歩1歩進むしかないという事実を、頭に入れておかなければならない」 「お金をただ与えるだけでは人を堕落させる。努力している人に援助することが本当の慈善である」 「最初に来た者が牡蠣にありつける。2番手が手にするのは殻だけだ」 「他人と最もうまく協力できる人が最大の成功を収めることになる」 「1番高いところを目指せ」
*** 今週の教養講座(非戦・反戦の系譜 国内⑤)
花森安治──戦争を憎み、「暮し」で平和を守ろうとした男 花森安治(1911–1978)は、戦後日本の雑誌『暮しの手帖』を創刊・編集した人物である。彼は一見、戦争や政治とは無縁の「生活誌」を作った編集者に見える。だが、その筆と視線の奥底には、戦争体験への深い悔恨と、徹底した非戦の信念が宿っていた。
若き日の花森は、軍国主義が日本を覆い尽くしていく時代に、国の戦意高揚を担う広告や宣伝の仕事に関わっていた。彼は言葉とデザインの力を知り、その力が人々をどれほど容易に戦争へと駆り立てるかも知っていた。そして戦後、その過去に対して深い自責の念を抱くようになる。
反省の上に立ち、彼が1948年に創刊したのが「暮しの手帖」だ。題名に「戦後」や「平和」はない。けれどもすべてのページには、「もう二度と戦争の時代をつくらせてはならない」という静かで強い意志が込められている。花森は「美しい暮し」を説いたのではない。だまされない暮し、誇りをもって生きる暮し、そして暴力や権力に屈しない暮しを説いた。広告を一切載せず、企業からの圧力を断ち切った編集方針は、消費者ではなく「生活者」の視点を守るためだった。そしてその視点こそが、花森にとっての「反戦の砦」だった。
彼の編集方針の根底にあったのは、「戦争は、国家だけが起こすのではない。私たちの暮しのなかに、その芽がある」という洞察である。粗末な食卓、モノを粗末にする心、政治に無関心であること――そうした日常の中にこそ、戦争の温床が潜んでいると考えた。戦争を止めるには、まず生活を変えること。生活の中に、真の自由と自立を取り戻すこと。それが彼の反戦だった。誌面では、「商品テスト」「戦争中の生活回顧」「主婦の権利」「原発への懸念」など、単なる暮らしの知恵にとどまらない、時に体制批判ともなる鋭い企画が繰り返された。暮らしとは、台所と寝室の話ではない。暮らしは、社会への態度であり、戦争への拒否である――その信念が、一つひとつの特集に息づいていた。
晩年、花森は1冊のエッセーを遺す。「一銭五厘の旗」。一銭五厘は戦時中のはがき代で、召集令状を指す。国家が一度「戦争モード」になったとき、個人がいかに無力であるかを静かに突きつける。花森の非戦は、声高な主張ではない。旗もデモもない。けれど、戦争の芽を摘むには、「暮し」から始めるしかないという確かな信念に貫かれていた。生活こそが平和を守る最前線――それを教えたのが、花森だった。