戦後日本政治史(2025年9月22~26日)

*** 今週の教養講座(戦後日本政治史①)

自民党の総裁選が22日に告示されます。衆参両院で与党は少数派で、自民党総裁が自動的に首相に就任するわけではありません。日本の政治は大きな転換点にあります。そんな時は歴史を踏まえて考えてみましょう。保守はどう形成され、対抗勢力はどんな変遷をたどってきたのでしょうか。政党の動きを中心に戦後政治史を振り返ります。若い人が知っておきたいポイントを意識しました。

第1回 占領下から独立へ ― 戦後民主主義の出発点  1945年の敗戦で、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれました。最初の課題は「非軍事化」と「民主化」。それまでの軍国主義や天皇中心の体制を改め、国民主体の政治へと変えることが求められました。ここで大きな役割を果たしたのがマッカーサー元帥とGHQの改革です。まず教育制度が変わり、軍国教育から民主主義教育へ。婦人参政権も導入され、1946年の総選挙では女性議員が初めて誕生しました。同じ年の日本国憲法制定は最大の転機です。象徴天皇制、基本的人権の保障、そして戦争放棄をうたった第9条が、日本の戦後政治の土台となりました。

政党政治も再始動しました。戦前の政党が解散し、新しい政党が次々と登場します。中でも注目されたのが日本社会党と日本自由党。前者は労働者や農民の声を代表し、社会主義を掲げました。後者は保守勢力をまとめ、のちの自民党につながります。この時期の総理で忘れてはならないのが吉田茂。「吉田ドクトリン」と呼ばれる方針を掲げ、経済復興を優先し、軍事はアメリカに依存する姿勢を取ります。限られた資源を防衛より産業に投じることで、日本の高度経済成長の基礎を築いたのです。

1951年にはサンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本は独立を回復。同時に日米安全保障条約も締結され、アメリカ軍が日本に駐留し続けることになりました。この二つの条約は、日本政治のその後を長く左右します。独立を得た一方で、安全保障を米国に依存する構造が固まったからです。戦後の混乱期を経て、日本は新しい憲法と民主主義制度のもとで再出発しました。若い世代が知っておくべきポイントは、「日本政治の原点は占領下でつくられた」ということです。憲法、選挙制度、日米関係――この枠組みは今も続いており、私たちの政治を考える上で避けて通れない出発点です。

    ◆

*** 今週の教養講座(戦後日本政治史②)

第2回 55年体制と高度経済成長 ― 自民党一強の時代  1955年、日本政治は大きな転換点を迎えました。戦後しばらくは保守政党が分裂し、社会党も右派と左派に分かれていました。しかし、冷戦構造の深まりと共に「左右の対立」を鮮明にする動きが進みます。社会党が統一し、保守勢力も合流して自由民主党(自民党)が誕生しました。これがいわゆる「55年体制」です。ここから約40年にわたり、自民党が与党、社会党が最大野党という体制が続きました。

野党の社会党は「護憲」「反安保」を訴えました。とくに1960年の安保闘争では、日米安全保障条約の改定をめぐり、学生や労働者が大規模デモを行います。岸信介首相は強行採決で条約を通しましたが、国民の間には大きな不信感が残りました。ここから日本の政治には「国民と政治の距離」という課題がつきまといます。

次の時代の政治の特徴は「安定」と「成長」です。自民党はアメリカとの安全保障を維持しつつ、経済政策に力を注ぎました。高度経済成長期に突入し、自動車、家電、鉄鋼などの産業が世界に進出し、国民の生活は大きく向上しました。カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機は「三種の神器」と呼ばれ、生活必需品となっていきます。池田勇人首相の「所得倍増計画」は経済成長による国民生活の向上を約束しました。佐藤栄作首相は在任中に沖縄返還を実現し、戦後処理に大きな区切りをつけ、長期政権を維持します。

一方、この時代は「利益誘導型政治」とも呼ばれました。自民党議員は地元に道路やダム、工場を誘致し、地域経済を潤すことで票を集めました。これが「自民党一強」を支える仕組みになったのです。田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件などの汚職事件も起きました。若い世代に伝えたいのは、この時代の政治は「安定の代わりに多様な選択肢を犠牲にした」ということです。経済成長は確かに大きな成果でしたが、野党が政権を担う可能性は低く、政治の緊張感は乏しかったのです。国民は「自民党に任せれば生活はよくなる」という安心感を得る一方で、政治参加への熱は薄れていきました。

    ◆

*** 今週の教養講座(戦後日本政治史③)

第3回 政治改革と政権交代 ― 1990年代の動乱   高度経済成長が終わり、1980年代後半のバブル景気を経て、日本政治は新しい局面を迎えます。1989年の消費税導入は国民の大きな反発を呼び、社会党の土井たか子委員長は「山が動いた」と評されるほどの支持を集めました。女性党首の登場は政治の新しい可能性を示しましたが、自民党の牙城を揺るがすには至りませんでした。

1990年代に入ると、バブル崩壊による不況、リクルート事件などの政治腐敗が重なり、自民党への不信は頂点に達します。特に1993年には、自民党が初めて衆議院で過半数を割り込み、野党勢力が結集して細川護熙内閣が誕生しました。これは戦後初の本格的な政権交代でした。細川政権は小選挙区比例代表並立制など政治改革を進め、日本政治の仕組みを大きく変えました。ただし、野党連立政権は内部分裂が激しく、長期政権にはなりませんでした。1994年には自民党と社会党の連立という歴史的な逆転現象が起こります。かつて「反自民」を掲げていた社会党の村山富市首相が、自民党と組んで政権を担ったのです。この出来事は「理念より現実」を優先する政治の一面を示しました。

1990年代後半は「失われた10年」と呼ばれる経済停滞期でもありました。金融機関の破綻、就職氷河期など、若い世代に厳しい現実を突きつけました。この時期に登場したのが橋本龍太郎や小渕恵三といったリーダーです。彼らは財政再建や経済対策に取り組みましたが、デフレや不良債権問題は解決に至りませんでした。政治の世界でも新しい動きが芽生えます。1996年に新進党が解党し、その後を引き継ぐ形で民主党が結成されます。若手政治家たちが「自民党に代わる受け皿」をつくろうと模索したのです。この流れは2000年代の政権交代につながっていきます。

若い世代に伝えたいのは、1990年代が「政治の流動化」と「国民の不信感の拡大」の時代だったということです。自民党一強が崩れ、政権交代も実現しましたが、安定したリーダーシップはなかなか生まれませんでした。それでも、この時代の試行錯誤が、後の民主党政権や政治改革の基礎を築いたのです。

    ◆

*** 今週の教養講座(戦後日本政治史④)

第4回 小泉改革と民主党政権 ― 政治のダイナミズム   2000年代に入ると、日本政治は再び大きな動きを見せます。象徴的な人物が小泉純一郎首相です。2001年に就任した小泉は「自民党をぶっ壊す」という強烈なフレーズで国民の心をつかみました。郵政民営化や構造改革を掲げ、従来の利益誘導型政治からの脱却を目指しました。派閥や官僚に頼らず、テレビや新聞を通じて直接国民に訴えるスタイルは新鮮で、支持率は非常に高かったのです。

2005年の郵政選挙では、党内反対派を「刺客候補」で徹底的に潰す戦略をとり、自民党は圧勝しました。「劇場型政治」と呼ばれ、政治がエンターテインメント性を持つようになった象徴的な出来事です。しかし同時に、改革の負担は国民に重くのしかかり、格差や非正規雇用の増加といった副作用も生み出しました。一方、野党の民主党は着実に力をつけていきました。自民党政治に対する不満、特に格差拡大への批判を受け、2009年の総選挙で歴史的勝利を収めます。鳩山由紀夫首相のもとで誕生した民主党政権は、子ども手当や高校無償化など生活重視の政策を打ち出しました。これは「政権交代こそ民主主義の証」という期待を国民に与えるものでした。

しかし、民主党政権は試練に直面します。まず鳩山内閣は普天間基地移設問題で迷走し、信頼を失いました。その後の菅直人内閣は消費税増税を巡って苦境に立ち、2011年の東日本大震災と福島原発事故の対応で批判されました。野田佳彦内閣では消費税増税を決断するも、党内の分裂を招きました。結果、国民の期待は急速にしぼみ、2012年には自民党が政権に返り咲きます。この時代の重要なポイントは、「国民が政権交代を経験した」という事実です。自民党一強に風穴を開け、別の政党が国の舵を取ったこと自体に大きな意味がありました。失敗も多かった民主党政権ですが、それによって「政治は国民の選択で変えられる」という意識が広がったのです。

若い世代に伝えたいのは、2000年代が「政治のダイナミズム」を実感できた時代だったということです。小泉改革は政治の可能性と限界を示し、民主党政権は政権交代の意義と難しさを浮き彫りにしました。国民が政治に強い関心を寄せ、投票率も高かったのは、この時代の大きな特徴です。

    ◆

*** 今週の教養講座(戦後日本政治史⑤)

第5回 アベノミクスから現在へ ― 日本政治の課題と展望   2012年、再び政権に戻ったのが自民党と安倍晋三首相でした。安倍政権は「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を打ち出し、デフレ脱却と成長を目指しました。大胆な金融緩和、財政出動、そして成長戦略の「三本の矢」は、長く停滞していた日本経済に活力を与える試みでした。円安や株高が進み、企業収益は改善しましたが、賃金上昇や格差是正にはつながらず、国民生活への実感は乏しかったのも事実です。

安倍政権の特徴は「長期政権の安定」でした。2012年から2020年まで7年8か月にわたり続いた政権は、戦後最長です。外交ではトランプ米大統領やプーチン露大統領とも積極的に会談し、安定した日米関係を維持しました。安全保障面では2015年に安全保障関連法を成立させ、自衛隊の活動範囲を広げました。憲法改正への意欲も見せましたが、実現には至りませんでした。一方で、森友・加計学園問題や桜を見る会などの疑惑も相次ぎ、政治の透明性に疑問が投げかけられました。国会運営も強引との批判があり、「一強政治」と呼ばれました。国民の政治不信は再び深まっていきます。

その後の政権は、菅義偉首相、岸田文雄首相、石破茂首相へと続きました。菅政権ではワクチン接種を加速させた一方、短期で退陣。岸田政権は「分配重視」を掲げていましたが、支持率は低迷。石破政権は、政治とカネ、物価高や少子化対策、防衛費増額など課題が山積しましたが、2つの国政選挙の敗北で退陣しました。野党側は立憲民主党や国民民主党、日本維新の会などが勢力を競い、参政党も登場しましたが、まとまっているとは言えません。

「自民党以外に政権を担える政党があるのか」という問いが依然として大きなテーマです。日本政治は、少子高齢化と人口減少への対応、経済の停滞と格差拡大、安全保障と日米関係、中国との関係、政治不信の克服と参加意識の回復などの課題を抱えています。これらはすべて、私たちの生活と直結しています。若い世代は「政治は遠いものではなく、自分たちの未来を左右するもの」と考えましょう。戦後日本は占領下の再出発から始まり、55年体制の安定、政権交代の試み、小泉改革や民主党政権のダイナミズムを経て、現在の少数与党に至っています。過去のすべてが今の政治につながっているのです。歴史を振り返ることは、これからを考える手がかりになります。