イランの基礎知識(2026年3月16~20日)

*** 今週の教養講座(イランの基礎知識①)
アメリカの攻撃でニュースの焦点となったイラン。日本から遠く、イスラム教なので「アラブの一角」という印象も強い国です。しかし、言語はアラビア語ではなくペルシャ語で、ペルシャ人に分類され、独自の文明を持っている大国です。基礎知識をまとめました。
【1】ペルシャ文明とイランの歴史――古代帝国から現代国家まで
イランという国を理解するうえで最も重要なのは、まず「ペルシャ文明」の長い歴史である。イランは単なる中東の1国家ではなく、3000年近い歴史を持つ文明国家である。その起源は紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国にさかのぼる。王ダレイオス1世の時代、この帝国は、西はエジプトから東はインド近くまで広がり、当時の世界最大級の帝国となった。広大な領土を統治するため、道路網や郵便制度、地方統治制度が整備された。こうした制度は後の国家運営のモデルともなった。
当時の宗教はゾロアスター教である。善と悪の対立という思想は、後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教にも影響を与えたと指摘されることも多い。ペルシャ文明は宗教思想の面でも世界史に大きな足跡を残している。
しかし7世紀、アラブ人によるイスラム征服によって状況は大きく変わる。ペルシャはイスラム世界に組み込まれたが、ペルシャ文化そのものは消えなかった。むしろイスラム文明の中で重要な役割を果たし、文学や学問で多くの成果を生み出した。16世紀にはサファヴィー朝が成立し、ここで決定的な出来事が起こる。国家の宗教として「シーア派イスラム」が採用されたのである。この決定は現在まで続くイランの宗教的特徴を形づくった。
近代になると欧米列強の影響が強まり、国内では近代化をめぐる混乱が続いた。1925年にはパーレビー王朝が成立し、西欧型の近代化政策が進められたが、急激な改革は宗教勢力や民衆の反発を招いた。そして1979年、イラン革命が起こる。国王は追放され、宗教指導者ホメイニを中心とする「イスラム共和国」が誕生した。これによってイランは、近代国家でありながら宗教が政治の中心にあるという独特の体制を持つ国となった。
イランの歴史は「ペルシャ文明」「イスラム化」「近代化」「革命」という大きな転換を経て現在に至っていることが分かる。
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*** 今週の教養講座(イランの基礎知識②)
【2】シーア派国家としてのイラン ― 宗教が政治を形づくる
イランを理解する上で欠かせないのが、イスラム教の宗派問題である。世界のイスラム教徒の大多数はスンニ派だが、イランではシーア派が主流である。人口の約9割以上がシーア派であり、世界でも珍しい。
スンニ派とシーア派の対立は、7世紀にさかのぼる。預言者ムハンマドの死後、イスラム社会の指導者を誰が継ぐべきかという問題が起きた。多数派は有力者の合議による指導者を認めたが、少数派はムハンマドの血統を引き、神に選ばれたアリーこそ正当な後継者だと主張した。これがシーア派の起源である。
シーア派では、宗教指導者(イマーム)の権威が非常に重要視される。歴史の中で多くのイマームが迫害を受けたため、シーア派には「殉教」「正義のための闘争」という精神が強く根付いた。
イランではこの宗教思想が政治制度にも組み込まれている。革命後に制定された憲法では、「イスラム法学者による統治」という原理が採用された。最高指導者と呼ばれる宗教指導者が国家の最終的な権威を持つのである。
最高指導者は軍隊、司法、国営メディアなどに強い影響力を持つ。最近まで最高指導者はアリー・ハメネイ師だったが、米国の攻撃で死亡し、次男のモジダバ師が継いだ。大統領も選挙で選ばれるが、国家の基本方針は最高指導者が決める仕組みになっている。
革命防衛隊という強力な軍事組織も存在する。これは革命体制を守るために作られた組織で、軍事だけでなく経済や外交にも影響力を持つ。イランでは宗教と政治が密接に結びついている。そのため、外交政策や社会政策も宗教的価値観と切り離して考えることができない。イランの政治を理解するには、シーア派という宗教思想を知ることが不可欠である。
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*** 今週の教養講座(イランの基礎知識③)
【3】イラン革命と政治体制 ― イスラム共和国の仕組み
1979年のイラン革命は、20世紀で最も重要な革命の1つと言われる。王政が倒れ、宗教指導者が国家を導く体制が誕生したからである。革命前のイランでは、パーレビ国王が西欧型の近代化を進めていた。女性の権利拡大や産業化などが進められたが、政治的には独裁体制であり、秘密警察による弾圧も強かった。急速な西洋化は宗教勢力や伝統的な社会層の反発を招いた。
こうした不満が爆発し、1979年に革命が起こる。亡命していた宗教指導者ルーホッラー・ホメイニが帰国し、王政は崩壊した。そしてイスラム共和国が成立した。この新しい国家体制は、非常に独特である。最高指導者が国家の最終的な決定権を持つ一方で、大統領や国会は選挙で選ばれる。「宗教指導体制」と「民主的制度」が同時に存在している。
ただし、選挙には制限がある。候補者は「護憲評議会」と呼ばれる機関の審査を通らなければならない。このため体制に反対する政治勢力は基本的に排除される。政治の中では大きく「保守派」と「改革派」が存在する。保守派は宗教体制を重視し、改革派は政治や社会の自由を拡大しようとする。選挙のたびに両者が争うが、最終的な権限は宗教指導層が握っている。
この政治体制は、革命の理念を守るために作られたものだが、同時に多くの矛盾も抱えている。若者や都市部では自由化を求める声が強く、政治的な緊張が続いている。
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*** 今週の教養講座(イランの基礎知識④)
【4】中東の地政学とイラン ― 地域大国としての役割
イランは中東で最も重要な地域大国の1つである。人口は約9000万人、領土も広く、エネルギー資源も豊富である。こうした条件から、イランは中東の勢力バランスの中心的存在となっている。
まず大きな対立関係にあるのがアメリカである。1979年の革命後、アメリカ大使館占拠事件が起こり、両国関係は急速に悪化した。その後も核開発問題や制裁をめぐって対立が続いている。イスラエルとも強い緊張関係にある。イランはイスラエルの正統性を認めておらず、イスラエル側もイランの核開発を大きな脅威とみなしている。
サウジアラビアとの競争関係も重要である。サウジはスンニ派の大国であり、イランとは宗派の違いもあって地域の覇権をめぐる競争関係にある。イラクとは一時対立関係にあり、イラン・イラク戦争(1980–1988)を戦ったこともある。
イランは中東各地の武装組織や政治勢力に影響力を持っていると言われている。レバノンのヒズボラ、シリア政府、イラクのシーア派勢力などがその例である。これによりイランは地域全体で強い影響力を維持している。
世界のエネルギー輸送の要所であるホルムズ海峡もイランの近くにある。この海峡は世界の石油輸送の重要なルートであり、イランの動きは世界経済にも影響を与える。このようにイランは単なる一国ではなく、中東政治の構造そのものに関わる存在なのである。
*** 今週の教養講座(イランの基礎知識⑤)
【5】イラン社会と文化 ― 強い国家の内側にある社会
ニュースで見るイランは、しばしば強硬な政治国家として描かれる。しかし実際のイラン社会は、非常に豊かな文化と多様な生活を持っている。
まず文化面ではペルシャ文学が有名である。詩人ルーミーやハーフェズの作品は世界中で読まれている。ペルシャ詩は音楽や哲学とも結びつき、イラン文化の中心を形成している。人口の半分近くは30歳以下で、若者の割合が非常に高い。都市ではインターネットやSNSも広く利用されており、若い世代の価値観は必ずしも保守的ではない。
女性の問題もよく議論される。イスラム法によって服装や行動に一定の制限があるが、教育水準は高く、多くの女性が大学で学んでいる。近年は女性の権利をめぐる抗議運動も世界的に注目された。
経済面では国際制裁の影響が大きい。特に核開発問題をめぐる制裁によって、インフレや失業などの問題が続いている。それでも石油や天然ガスなどの資源を背景に、国内産業の発展も進められている。
イラン社会は、伝統と近代、宗教と若者文化が複雑に交錯する社会である。政治だけを見ていると見えない、多面的な姿が存在している。
