2026年4月6~10日(教養講座:筑摩書房の高校国語教科書から)
~~~ 長谷川塾メルマガ 2026年4月6日号(転送禁止)~~~
***デイ・ウォッチ(3~5日/コメントも参考にしながら自分の考えをまとめましょう)
◎“アメリカ軍の戦闘機など2機 イランの攻撃で墜落 1人行方不明” 報道 | NHKニュース 米軍、イランから乗員救出 トランプ氏、攻撃強化警告:時事ドットコム →F15など米軍機2機がイランに撃墜された。トランプ大統領は、イランの防空体制を破壊したと言っていたが、反撃能力は残っていた。米軍は乗員の救出作戦を実行し、成功した。一方で、空爆によるイラン人の犠牲者は相当な数にのぼっている。人命の価値が違う不条理。週末から戦闘激化のニュースばかりが流れている。
◎商船三井LNG運搬船 ホルムズ海峡通過 軍事作戦後 日本関係で初 | NHKニュース →日本のLNG運搬船がホルムズ海峡を通過した。フランスの船も通過し、イランが通行料を徴収している情報もある。イランは全世界を敵に回すか、敵を選別するかの岐路にある。日本政府に対しては、イラン政府と交渉して通過を働きかける圧力が強まりそうだ。
◎高市首相、報道に不満あらわ ナフサ供給、国会出席巡り:時事ドットコム →高市首相が最近の各種報道に不満を示し、Xに投稿した。首相が直接こうした不満を示すのは異例。本人や周辺の取材対応の不十分さとも言えるが、自衛隊派遣をめぐって安倍元首相の秘書官だった今井参与と確執があり、「退陣」を口にしたと月刊誌「選択」に報じられ、永田町で大きな話題になっている。本当に退陣を口にしたのであれば、空気が一変するのが永田町だ。首相のXはかなり細かな内容も含まれ、違和感もある。政変の予兆かどうか。
◎アルテミス2の飛行士が初めて撮影した地球の驚くべき画像、NASAが公開 – CNN.co.jp 「アルテミス2」の宇宙飛行士を悩ますトイレ問題、「袋」に用を足す事態に (1/2) – CNN.co.jp →アルテミス2の飛行士が地球の画像を送ってきた。当然だが、国境はない。人間が境目をつくって、争っている。トイレの故障で相当大変だったようだ。宇宙飛行とトイレの歴史がわかる記事だ。米国CNNならでは、か。
◎エプスタイン問題、幕引き見えず 司法長官解任も根強い批判―トランプ政権:時事ドットコム 米商務長官に解任論浮上か トランプ氏、さらなる閣僚交代も―報道:時事ドットコム アメリカ陸軍参謀総長、任期途中で退任 ヘグセス国防長官と対立か – 日本経済新聞 →トランプ政権で閣僚や幹部が次々と解任されている。エプスタイン問題担当のボンディ司法長官、イラン攻撃に関係する陸軍参謀長が退任し、ラトニック商務長官らの解任情報も浮上している。政権の引き締め策か、末期症状か。
◎ドジャース 大谷翔平 今シーズン初ホームラン | NHKニュース アストロズ 今井達也 大リーグ移籍後初勝利 | NHKニュース →日本人大リーガーの活躍が続いている。開幕7試合目で、大谷に待望のホームランが出た。アストロズの今井が6回途中無失点で初勝利。ホワイトソックスの村上が逆転の2点本塁打を放った。イラン関係の暗いニュースが多いが、にぎやかだ。
*** 「今日の名言」(気に入った言葉を探してみましょう)
◎ヘンリー・フォード(米国の自動車王。1947年4月7日死去、83歳)
「財産はやって来るものだ。自ら作るものではない」 「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えている。だが、成功とは与えることなのだ」 「大抵の人は、問題を解決しようとするよりも、問題を回避するためにより多くの時間とエネルギーを費やしている」 「粗探しをするより、改善策を見つけよ。不平不満など、だれでも言える」 「見返りを期待しなくなったとき、倍の報酬がやってくる」 「障害物が恐ろしいものに見えるのは、目標から目を離すからだ」 「あなたができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしても、あなたが思ったことは、その通りになる」 「大抵の成功者は、他人が時間を浪費している間に先へ進む。これは私が長年、この眼で見てきたことだ」 「成功の秘訣は、何よりもまず、準備すること」 「まだ始めてもいないことで、名声は築けない」 「小さな仕事に分けてしまえば、むずかしいことはない」
*** 今週の教養講座(高校国語教科書から①)
高校の国語教科書は、日本語の宝庫です。評判が高い筑摩書房「精選国語総合 現代文編」(2015年)から、評論文を5つ選んで紹介します。文章の中核的な部分を抜粋しているので、全文ではありません。関心のある方は原文で味わって下さい。
◎「境目」 川上弘美(1999年刊『あるようなないような』から)
境目とは、そもそも何なのだろう。
境目があるところには、区別がある。わたしたちはものを認識するために、区別ということをするにちがいない。そこには、好きも嫌いもない。ただ、区別を行うために、境目を設定する必要がある、というだけのことである。
もともと、認識のためにつくられた「境目」である。しかし、ときに境目というものがほんらいの目的から離れ、ものごとの「区別」だけでなく、「差別」や「暴力」を呼び寄せることがある。くやしく悲しいことである。悲しくくやしいが、珍しいことではない。ごくごく、ありふれたことである。世界の、どこにでも起こりうることである。自分が「差別」や「暴力」にまったく関係ない、と知らんぷりすることは、とうていできない。いつだって、自分がそのような物に寄り添ってしまう可能性は、あるのだ。
境目を引く行為は、非常に困難なものを呼び寄せる可能性を持つ行為である、ということにもなろう。
境目とはかのごとく困難を呼び寄せる可能性を持つものだから、ときに、境目をつくらないようにしようという考えも、きざす。外を見て境目をつくるまいとするうちはまだいいのだが、内を見て境目をつくるまいとすると、じきにそれは「みんな一緒がいいね。」という方向になってしまう。保護色をまとって隠れる昆虫のように、「みんなの中に隠れよう。」という気分になってくる。それは、とても楽なことであろう。ただし、楽、必ずしも楽しからず。
外国でチャイニーズと言われたとき、私は悲しかったろうか。そうではなかった。ふーん、わたしは違うんだ、と思ったのだ。それはどうやらあんまり「いい」違い方ではないらしいけど、でもまあいいか、と思ったのだ。わたしはわたしだもん。人にとって「いい」ものではなくても、わたしにとってわたしは「いい」ものなんだもん。
七歳ほどの子供の、恐れを知らぬ「だもん」だったことだろう。しかし、いまでもわたしはそのときの「わたしにとってわたしはいいものなんだもん。」という気分を、忘れない。その気分は、爽快この上ないものだった。
わたしはあなたではなく、あなたは彼ではない。夏は春ではなく、秋は冬ではない。それはなかなかに味のあることなのではないだろうか?
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