新しい階級社会(2025年11月10~14日)

*** 今週の教養講座(新しい階級社会①)
格差社会が改めて注目を集めている。今週は「新しい階級社会」(橋本健二著、講談社現代新書、2025)の前書きを中心に取り上げる。各種の調査で格差の現状を明らかにしている。わかりやすくするため、細かな数字は省いて紹介するので、より深く知りたい人は本書を読んで欲しい。最近の政治意識の変化も、階級をめぐる状況を根拠にして明快に説明している。
◎「階級構造、それは人生の舞台装置――序にかえて」 1億総中流?
日本で経済的格差の拡大が広く注目を集め、流行語となったのは2006年のことである。この年、「格差社会」は新語・流行語大賞でトップ10入りしたが、その後は現代日本を象徴する言葉としてすっかり定着したと言っていい。2013年で同賞が30周年を迎えたのを機に発表された「30年のトップ10」にも選ばれた。同時に選ばれたのは「セクシャル・ハラスメント」「サポーター」「安全神話」などだ。格差社会はこれらと並んで現代日本を語る上で不可欠な言葉となったのである。
しかし、各種の数値を分析すると、格差社会が始まったのはこれよりかなり以前のことである。ジニ係数は、格差の大きさを表す指標で、格差が全くないときはゼロ、格差が極端に大きくなった時は1になる。1950年代前半の段階では、男女間賃金格差は大きかったが、その他の格差はおおむね小さかった。日本全体が貧しく分かち合う時代だったからである。農地改革によって、農民内部の格差は小さくなった。労働改革によって、ホワイトカラーとブルーカラーの格差も大幅に縮まった。
1950年代後半に入ると、格差は拡大する。本格化した戦後復興が大企業と都市部で早く進行し、中小企業と地方が取り残されたからである。高度経済成長が始まると、格差は縮小に転じる。賃金格差は、企業の規模別、産業別、男女間で大幅に縮小している。経済成長の成果が中小企業と地方にまで波及するようになった。人手不足が深刻になると、失業者は減少し、日雇いや臨時雇用などで働いた人々が企業に吸収されるようになった。
条件の良くない仕事に就くしかなかった中卒者や女性も、それなりの賃金を得るようになった。1970年代半ばに高度経済成長が終わるが、格差が小さい状態はしばらく続く。多くの指標は1975年から80年頃、底に達する。日本は国民のほとんどが豊かな暮らしを送り、格差の小さい社会だとして「1億総中流」が言われ始めた。
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*** 今週の教養講座(新しい階級社会②)
バブル経済が崩壊し、1990年代末の不良債権問題を機に日本経済が大混乱を迎えた。この頃まで1億総中流はほとんど日本人の常識といってよかった。1億総中流について語るときの日本人は、どこか誇らしげだった。他国に対する優位性を示す言葉だったからである。
ヨーロッパは不平等な階級社会だが、日本は階級のない平等な社会だ。米国には人種・民族による不平等があるが、日本にはそんな問題がない。社会主義国は平等だというが、日本の方が平等で豊かだ。1億総中流論はこんな形で日本人にナショナリスティックな優越感を与えてきた。後に日本社会の格差拡大が指摘されるようになった時、懸命にこれを否定しようとする人々が多数登場した。理由の1つは、日本人としての誇りを傷つけられたような気がしたからだろう。
しかし、格差は1980年前後から急速に拡大を始めていた。ジニ係数の上昇はすさまじく、2013年には0.57に達し、2020年も同じ水準だ。規模別と産業別の賃金格差も、2000年代半ばまで急速に拡大を続けた。男女平等の流れを表現していたはずの男女間賃金格差さえも1970年代後半から拡大に転じた。
ジニ係数が上昇を続けたのは、一部の富裕層がますます豊かになったこと、低賃金の非正規労働者が激増したこと、貧しい高齢者が増加したことが主な理由である。以上から明らかなように、現代日本で格差拡大が始まったのは1980年前後のことである。それからすでに45年もの時が流れている。
長く続く続いた経済格差は、日本の社会を質的に変化させてしまった。1億総中流はもともと誇張だが、若者たちは希望しさえすれば、ほぼ間違いなく正社員として就職することができた。雇用も安定し、将来は今より豊かになるという希望を持つことができた。大部分の人々には、その人なりの安定した普通の暮らしがあった。このため多くの人が格差の存在をあまり強く意識せずに済んでいたのは事実だろう。
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*** 今週の教養講座(新しい階級社会③)
◎新しい階級社会の到来 時代は変った。今や人々は否応なしに日本社会の格差の構造を直視せざるを得なくなっている。人々を生まれた家の豊かさや環境、さまざまな資産や資源の所有、時には運と不運などに基づいて相互に分け隔て、社会のあちこちに亀裂を生み、人々を互いに反目させ、対立するように仕向けている。本書では互いにわけ隔てられたこれらの人々のことを「階級」と呼ぶ。社会科学的に言えば、階級とは、同じような経済的位置を示し、同じような労働のあり方、同じような生活水準、同じようなライフスタイルのもとにある人々の集群である。人々を格差と利害の対立をはらんだいくつかの階級へと分け隔てる社会の構造を、「階級構造」といい、このような社会を「階級社会」という。
階級構造は、いつの時代にも、どの社会にも存在している。目には見えないが、人々の行動を制約し、人々の生活を枠づけている。階級構造は、人生の不可視の舞台装置だといっていい。進学、就職、転職、出会いや結婚などという人生の節目で、人はしばしば壁にぶち当り、思うように先へ進むことができなくなる。この壁とは多くの場合、階級の壁である。人々の行動を制約し、自由を奪う壁である。いま所属している階級から抜け出すことを妨げ、他の階級への移動を妨害する日々の生活の中で起こる些細な出来事の数々さえ、すべて階級構造の中で起こる。階級構造こそは、この社会で生きるすべての人々の生が展開される舞台装置なのである。
しかし、1980年前後に始まった格差拡大は、階級構造を、つまり私たちの人生の舞台装置を変えてしまった。本書ではこの新しい舞台装置を「新しい階級社会」と呼ぶ。どの階級に所属するかが、今まで以上に人生に重大な結果をもたらすようになった。
格差拡大は階級内部の格差を拡大した。特に深刻なのは労働者階級である。雇用の安定した正規労働者階級と、非正規労働者階級からなる最下層階級へと分裂している。結果的に多くの女性が最下層階級への転落を余儀なくされるようになった。本書では現代の最下層階級を「アンダークラス」と呼ぶ。それはパート主婦以外の非正規雇用の労働者階級を指し、その数は890万人で、就業人口の13.9%を占める。平均年収はわずか216万円で、貧困率は37.2%に達する。
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*** 今週の教養講座(新しい階級社会④)
格差拡大は、社会に対して多くの弊害をもたらす。格差が拡大すれば、アンダークラスを中心とする貧困層が増大し、貧困は今まで以上に深刻なものとなる。多くの子どもたちが貧困に陥り、教育を受けるチャンスの不平等が拡大する。格差は、健康状態や医療を受けるチャンスの不平等をもたらし、命の格差が生まれる。若者の貧困化は、未婚化と少子化をもたらす。社会保障支出は増大し、国家は財政危機に陥る。しかも格差拡大によって増えた富裕層の所得の多くが貯蓄に回る。一方で、所得の大半を消費する中下層の人々の所得が減れば、社会全体として消費が減少する。こうして景気は低迷する。
しかも格差拡大によって悪影響をこうむるのは、貧困層や相対に貧しい人々だけではない。格差が拡大すると、社会から連帯感が失われ、人々は互いを信頼することができなくなり、ストレスを感じるようになる。人々の社会活動への参加が減少し、社会全体の健康水準が低下する。子どものいじめが増え、犯罪が増加する。多くの研究はこのように、格差の大きな社会が病んだ社会であることを明らかにしてきた。階級構造という舞台装置の上で展開される人生は、多くの人にとってより厳しいものとなった。
この新しい舞台装置は、協調より対立、平和より争い、幸せより不幸をもたらしやすい。そこで展開されるのは作り事ではなく、私たちの人生そのものなのだ。わたしたちの人生そのものが悲劇となるのだ。しかし私たちは、舞台装置に一方的に制約される無力の役者というわけではない。舞台装置の変化に自覚的であり、時には舞台装置を変化させることのできる能動的な存在でもある。私たちに厳しく不快な人生を強いるような舞台装置は作り変えてしまった方がいい。そのためにはこの舞台装置がどんな形をしていて、どのように組立てられているのか。そこでどのような問題があるのかについて、知る必要がある。本書はそのために書かれている。
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*** 今週の教養講座(新しい階級社会⑤)
◎格差をめぐる対立の構図と日本の未来 2020年に3大都市圏で行った調査によると、格差に対する態度は、所属階級によって異なり、政党支持と深く結びついている。憲法や沖縄問題という伝統的な保守と革新で対立する争点ともある程度結びついている。最近になって浮上した外国人嫌悪や嫌中・嫌韓の意識、つまり排外主義とも密接な関係にある。
日本人を5つのクラスターに分けることができる。第1は「リベラル」で、全体の26.4%を占める。所得再分配を支持する比率が最も高く、憲法改正には反対している。沖縄への基地集中に反対し、排外主義的な立場をとる比率は低い。第2は「伝統保守」。21.0%で、2番目に多い。所得再分配を支持する人の比率は2番目に高く、リベラルと共通している。憲法改正を支持する傾向は強く、沖縄への基地集中を容認する比率が高い。排外主義的な立場を取る人の比率は高いが、一辺倒ではない。
第3は「平和主義者」で、全体の20.9%を占めて3番目に多い。所得再分配を支持する比率は2番目に低いが、強硬に反対というわけではない。憲法改正には反対で、沖縄への基地集中も容認しない。第4は、18.5%の「無関心層」で2番目に少ない。すべての問題について、「どちらともいえない」という答えが多く、社会への関心が低い。第5は、人数で13.2%と最も少ない「新自由主義右翼」と言える人たちである。所得再分配を支持する人は際立って低く、憲法改正を支持し、沖縄への基地集中を容認する。排外主義的な傾向も顕著になっている。
これまで日本の政治家は、伝統的な保守革新の対立構造にとらわれてきた。憲法や自衛隊、日米軍事同盟といった問題だけでなく、格差や貧困の問題においても対立が必然であるかのように考えてこなかっただろうか。特に自民党の政治家には、野党やその支持勢力の要求だからという理由で、格差縮小や貧困解消の政策を拒否するきらいがあったのではないか。
格差の縮小と貧困の解消が必要だというリベラルの人々を支持基盤とする野党と、伝統保守の人々を支持基盤とする自民党を2大勢力とする政治システムが実現すれば、日本社会は大きく変わるだろう。格差の縮小と貧困の解消が必要だという合意があるからだ。
格差が縮小し、格差拡大の弊害から解放された社会になれば、人々は次世代を再生産できる所得を手にし、出生率は回復する。経済は安定的に成長し、社会保障システムが破綻する心配もなくなる。憲法や外交など重要な社会的課題について、一部の人々の主張が過剰に代表されることがなくなり、異なる立場が偏りなく対等に扱われ、対話が展開される健全な政治社会が実現するだろう。これが日本社会を現在の危機から救う最善の方法であるはずだ。
