日中関係の深層を考える(2025年11月24~28日)

*** 今週の教養講座(日中関係の深層を考える①)

 日中の対立が深まっています。この動きを理解するためには、習近平主席という独裁者の考えていること、日中の長い歴史への理解が不可欠です。2024年に出版した自著「ソーシャル・シンキング」の第5章「東洋と西洋」でこの点を論じています。要約して紹介します。中国は威圧的ですが、一種の弱さの裏返しです。中国を非難しているだけでは何も変わりません。習近平主席の真意や中国の本音を知らない限り、見誤ります。政治は結果責任です。高市首相の勇み足発言で観光や水産関係者に経済的打撃が発生していますが、高市政権はこの点についてまだ何も発信せず、「日本政府の立場は変わらない」というだけです。「嫌中」一辺倒的で、中国観察を怠っている高市政権には危うさがつきまといます。

  1. 習近平主席の脳髄を探る ㊤  

経営学で「ダイナミック・ケイパビリティ」という言葉があります。急激な変化に対応して自己革新するという意味で、概念を提唱したアメリカ・カリフォルニア大学バークレー校のデビッド・ティース教授は雑誌インタビューで「リスクマネジメントは長期的なもので、確率を計算できる。不確実性は今まで起きたことがないから計算できない。リスクマネジメントは『不確実性マネジメント』と言い換えた方がいい。いまの世界の不確実性はたった1人、習近平氏だ。不確実性の原因は中国ではなく習氏」と強調します。

2023年5月のNHKスペシャル「国家主席 習近平」は素顔に迫ろうとしています。習氏の言葉を収録した演説集など約40年の資料300点を分析したそうです。いくつかの顔があります。父は副首相でエリート一家でしたが、文化大革命で批判の対象になりました。中学生だった習氏自身、糾弾され、厳しい環境で暮らし、病気になるほど迫害を受けます。混乱と不安定を恐怖する深層心理が形成されます。

地方で労働する下放に出され、貧困を目の当たりにします。20歳で共産党に入党し、強い使命感を持って貧困撲滅に取り組みます。1989年に民主化を求める天安門事件、1991年にソ連崩壊という大きな出来事に遭遇し、「民主自立を絶対化してはいけない」「中国は党と軍が一体だったから踏みとどまった。ソ連の共産党は軍を統制できず崩壊した」という教訓を胸に刻みます。

国家副主席に就任すると、党幹部の反腐敗キャンペーンを強力に推進します。党員の行状をまとめたカードを復活させて管理を強化し、457万人を処分して国民に歓迎されます。側近の登用と世論の支持で権力基盤を固め、国家主席2期10年の任期をなくし、文革の反省から鄧小平が導入した集団指導体制を形骸化させます。

中国がアヘン戦争以後、西側社会に苦しめられた歴史観を持ち、「中華民族の偉大なる復興」がスローガンです。台湾統一がその完成となります。番組では習氏が地方勤務時代、「多様な意見こそ科学的な意思決定の基礎。権力を一手に握り、独断することはあってはならない」という文章も紹介しています。まっとうな考え方を持っていました。

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*** 今週の教養講座(日中関係の深層を考える②)

◎習近平主席の脳髄を探る ㊦

習氏が共産党員としての強い使命感を持ち、貧困や腐敗など中国の抱える課題に本気で取り組んできたことは間違いないでしょう。文革の過酷な経験から、社会の不安定化に恐怖感に近い感情を持ち、強権的な体制を敷いていることも事実でしょう。中華民族の復興を阻む海外の動きに断固たる姿勢を示す立場も変わらないでしょう。

一方、国民は合理的な精神も持っています。知識人を中心とした中国国民は不満を持ちながらも静かに見守るしかない現実です。国民は経済が成長し、生活が安定している限り、動かないし、動けないとみられます。しかし、経済が一本調子で伸びることはありえません。経済成長は共産党の生命線でしたが、中国経済は踊り場を迎え、その先が問われる時代を迎えています。

2022年末、ゼロコロナ政策に反対する国民が白い紙を掲げて抗議する「白紙運動」が起き、政府は方針転換しました。生活が苦しくなって将来、同様の運動が起きた時、習政権はどう対応するのでしょうか。強権だけでは乗り越えられないはずです。王朝交代は天の意志が関わっているとする「易姓革命」の伝統も侮ってはいけないでしょう。その時問われるのが、習氏の人間としての判断力です。独裁体制を築いていますが、異論を許さないために猜疑心が募る「独裁者のジレンマ」があります。どんな人間でも衰えます。平家物語にある「盛者必衰」です。

アメリカは戦後、多くの問題を抱えながらも、多様な意見を許容する民主主義国として輝き、魅力的な生活文化、若者文化を世界に発信してきました。しかし今、国内は政治的に分断されて理性的な議論が成立しにくくなっています。格差は広がり、文化の魅力も落ちています。インドや東南アジア、中東、アフリカなどグローバルサウスと呼ばれる国々が台頭していますが、アメリカやG7支持ではなく、中国やロシアと天びんにかけるようなスタンスです。グローバルサウスにとって、米国の利害や民主主義の押しつけは迷惑なのです。

日本の立ち位置が問われています。アジアの一員で、中国と長い交流を持つ国として、アメリカと同盟しつつ、異なるアプローチも必要です。米中対立と言っても、両国の貿易は2022年に過去最高を記録しています。殴り合っているようで、つながっている関係も深いのです。日本の国会は、習近平体制をどうみるか、アメリカとの対立をどう考えるかといった議論を深くすべきですが、足りません。有識者の意見を聞き、政治家が経綸を深める議論を闘わせ、国民に幅広い知見を提供すべきなのです。=拙著「ソーシャル・シンキング」(2024)から抜粋

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*** 今週の教養講座(日中関係の深層を考える③)

◎中国の台頭とアメリカとの対立

現在の世界秩序を規定している最大の要因は、中国とアメリカの対立です。東洋と西洋の対立という見方もできますが、覇権交代も重なっているように見えます。戦争学が専門のケンブリッジ大学リチャード・N・レボー教授はこう述べています。「軍事力の増強に力を入れる新興国は、大国の仲間入りを望んでいるのです。強くて尊敬される国になりたいと思っているのです。しかし軍備の増強は国際紛争の大きな要因になります。戦争の主な原因として安全保障や経済が語られますが、本当は認められたいという承認欲求、国家の威信が紛争の原因なのです。現在のアメリカと中国の対立を見るとよくわかります。経済的には両国の利害は重なり、安全保障を直接脅かすようなことはありません。対立の根源は両国がナンバーワンになりたいと思っていて、相手に嫉妬していることなのです」(NHK総合2023年4月放送「ロシア 衝突の源流」)。

米中対立は、大変多層的で歴史を踏まえて理解する必要があります。中国と西洋の出会いで欠かせないのが、18世紀以降のアヘンです。当時の清は自給自足の国で、西洋との貿易は不必要だと考えていました。インドを植民地にしたイギリスは、清のお茶を輸入するかわりにインド産アヘンの輸出を企て、成功します。清は有害なアヘンの輸入を禁止しましたが、1842年のアヘン戦争に敗れて香港の割譲やキリスト教宣教師の活動を認めざるをえなくなりました。東洋の中心だった清は没落し、1894年の日清戦争で日本に敗れます。アメリカは宣教師や商人が中国に進出し、列強にも割譲されて中国は植民地化します。

 第二次世界大戦で中国は戦勝国になりますが、内戦が勃発し、共産党が政権を握ります。アメリカはソ連と中国を敵視しましたが、1972年のニクソン大統領の訪中をきっかけに関係を改善し、1979年に国交を回復します。アメリカはソ連との対立を念頭に中国に協力し、2001年の世界貿易機関(WTO)加盟も支援します。アメリカには「中国は豊かになれば民主化が進む」という期待があり、中国もめざましい経済発展を遂げます。

 風向きが変わり始めたのが、2008年のリーマン・ショックです。中国は経済危機からいち早く脱し、軍事力も増して周辺国への圧力を強めます。アヘン戦争以降の屈辱を晴らし、かつての栄光を取り戻したい思いが底流にあることは間違いないでしょう。中国に対するスタンスは各国で違いがありますが、同盟関係を重視する日本はアメリカと極めて近い立場を取っています。中国による台湾への武力侵攻が取りざたされ、米国との共同歩調によって巻き込まれる恐れがあるとして、軍事力の強化を図っています。ロシアのウクライナ侵攻が中国脅威論に拍車をかけています。

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*** 今週の教養講座(日中関係の深層を考える④)

◎米中対立を相対化する

 米中対立は今の世界秩序を規定しています。企業は様々な影響を避けられないので、相応の備えをする必要があります。しかし、両国の対立がずっと続くと考えたり、絶対的なものであると認識したりするのは適切ではないでしょう。国と国との関係は長い間に変化します。最後は人間と人間との関係です。万物は流転します。米中の関係もここ200年で揺れ動きました。

日本と中国の戦争の歴史を考える必要もあります。両国の戦争は過去4回あります。①白村江の戦い(663)②元寇(1274、81)③日清戦争(1894)④日中戦争(1937~45)です。いくつかの教訓があります。第一は日中対決というより、第三国が関係した戦争ということです。①は新羅(朝鮮)、②は南宋、③は朝鮮利権が関係していました。④は日本の侵略行為でした。現在の台湾有事は、米国抜きには語れません。日中間は単純な2国間対立ではなく、複雑な様相を持っているという認識が必要です。

第二は圧倒的多数を占める漢民族との対立は少ないということです。①は漢民族ですが、②はモンゴル、③は満州族です。漢民族は北方民族の侵入をたびたび受けていますが、領土的な拡張志向は強くありません。アヘン戦争まで、日本にとって中国はお手本とする先進国でしたが、日清戦争後に侮蔑に変わりました。中国から見れば、アヘン戦争以降の屈辱を清算したい思いは強いわけですが、その手段として漢民族が「武」で戦うか、「文」を使うか、見極めが必要です。

国家と社会を分けて考える視点も重要です。習近平氏は国家主席3期目に入り、強権的な一強に見えますが、「独裁のジレンマ」も抱えます。イエスマンをそろえた側近への猜疑心が独裁を揺るがすという教えです。停滞が見込まれ経済運営は統治の試金石になります。国民生活が揺らげば、政権も強権的に抑えることはできないでしょう。

中国には米国への留学経験者が日本より多く、彼らは日本人の平均的感覚と変わらないと言われています。知識人を中心に国民は、習政権を心からは支持していないとみていいでしょう。中国には王朝交代は天の意志だと肯定する「易姓革命」の考え方が根強くあります。広大な大地と14億の民を抱える中国人の意識は、日本人とは異なると考えた方がいいでしょう。統治は容易ではなく、内政が最優先され、日本や米国との関係を軽率に荒立てたいとは思っていないとみるのが妥当でしょう。

日中が戦争になるほど対立して、得をする人が誰かいるでしょうか。両国や台湾、日本の経済や国民生活は大混乱するでしょう。死者も避けられません。日本の自衛隊や一般国民も例外ではありません。米中は核兵器を持っています。得をする人は軍需産業くらいでしょう。

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*** 今週の教養講座(日中関係の深層を考える⑤)

◎かけがえのない民間交流

日本人が思う以上に中国は多元的です。日本側にも多元的な視点が必要になります。その前提で両国関係を適切に管理する官民の知恵と努力が必要と言えます。特に民間同士の交流は何よりも大切です。

松本亀次郎(1866~1945)という名前をご存じでしょうか。亀次郎と日中国交回復時の首相だった周恩来の交遊を紹介します。国の交わりは、人の交流によって支えられていることがわかります。亀次郎は、今の静岡県掛川市で生まれ、日本各地で教鞭をとりました。柔道家で教育者の嘉納治五郎に招かれ、魯迅や周恩来ら中国人留学生に日本語を教えました。日清戦争で日本が勝った後、中国人は日本でさげすまれるような存在になりましたが、亀次郎は一教育者として「留学生はいずれ中国の指導者になる」と暖かく接しました。特段の政治的意図はありませんでした。

亀次郎は両国の親善を図る条件について、「日本の政治家の中国に対する方針・政策は一定でなければならない。日本の一般家庭は、留学生と歓談する機会を作って欲しい。留学生は慣れない外国で苦労している。両国の一般国民は広い心を持ち、政治・経済の紛争に惑わされることなく、親しみを持ち続けて欲しい。留学生は日本研究をして欲しい」と述べています。

周恩来は日本との国交回復の立役者でした。田中角栄首相が訪中した1972年の歓迎宴で日中戦争にふれ、「前の事を忘れることなく、後の戒めにする」と述べました。「前事不忘、後事之師」という「史記」にある一文を引用したものです。田中首相は「過去に迷惑をかけた」と応えましたが、中国側は「迷惑では軽すぎる」と強く反発しました。「過去を水に流す」のが日本人の習性で、記録を大切にする漢民族には通じない、とも指摘されます。田中と周や両国外相らの努力で何とか調整し、日中共同声明の調印にこぎつけました。田中に会った毛沢東主席が「喧嘩はもうすみましたか。喧嘩は避けられないものですよ」と述べたのは、有名な逸話です。

周は亀次郎の恩を忘れていませんでした。亀次郎の死後、中国で遺徳をたたえる声が出始めました。天津市にある周恩来の記念館と亀次郎の生地が交流します。2019年には2人が握手する蝋人形が記念館から掛川市に贈られ、図書館に展示されました。式典には中国にパイプを持ち、蝋人形の受け入れに尽力した公明党の山口那津男代表(当時)も出席しました。

周は懐の深い政治家でした。将来を冷徹に判断し、周到な準備で、米国や日本との国交を回復しました。共産党イデオロギーにとらわれず、権力闘争で失脚した人の家族も穏便に遇しました。一強と言われる習近平主席の頭の中は、よくわかりません。しかし、「口喧嘩はしても暴力沙汰にしないこと」が、日中一般国民の利益であることは間違いありません。蠟人形はそう呼び掛けているように見えます。