国際法の基礎(2026年1月5~9日)

*** 今週の教養講座(国際法の基礎①)

 米国のトランプ政権が、ベネズエラの首都を攻撃しマドゥーロ大統領夫妻を米国に移送した。国連や各国から「国際法違反」の声が上がっているが、そもそも国際法とは何だろうか。国際法は立場の弱い国や個人を守る狙いがある。敗戦を経て平和国家を標榜する日本にとっても意義は大きい。その基礎知識を解説する。

第1回 そもそも国際法は何か――世界にルールはあるのか   最近では国際紛争があった時、「国際法違反だ」と国連で非難されても、戦争は続いている。国際社会が強く批判しても、当事国の行動は止まらない。それならば、国際法とは何なのか。本当に世界にルールは存在するのか。

結論から言えば、国際法は世界を強制的に支配する法律ではない。国会も警察もない国際社会において、国内法と同じ仕組みを期待すること自体が無理である。国際法は、国家が主権を持ったまま合意する「約束の体系」であり、その実効性は限定的である。たとえば、ロシアによるウクライナ侵攻に対し、国連総会は圧倒的多数で侵攻を非難する決議を採択した。しかし、国連には戦争を即座に止める強制力はない。安全保障理事会では常任理事国であるロシアが拒否権を持つため、軍事的措置は決定できなかった。この現実を見ると、国際法は無力に見える。

しかし同時に、国際法がまったく意味を持たなかったわけではない。侵攻が「侵略行為」と位置づけられたことで、経済制裁や外交的孤立が正当化され、多くの国が共通の基準で行動する根拠となった。国際法は、戦争を止める力は弱くとも、国際社会がどう動くかを方向づける役割を果たしている。国際法の主体は国家である。国家同士が条約を結び、国連や世界貿易機関(WTO)、国際海事機関(IMO)といった国際機関を通じてルールを運用している。貿易紛争がWTOで争われ、航空機の安全基準が国際的に統一されているのは、国際法が日常的に機能している例である。私たちが意識せずに国境を越えた取引や移動ができるのは、この仕組みのおかげである。

一方で、戦争や紛争の場面では、国際法の限界が露わになる。イスラエルとガザをめぐる武力衝突では、民間人被害をめぐって国際人道法違反が指摘されているが、即座に行動を止めさせる手段は乏しい。それでも各国は「自衛」「合法性」「国際法上の正当性」を繰り返し主張する。この事実こそ、国際法が前提として存在している証拠である。

国際法は理想論ではない。現実の力関係の中で、国家が行動を正当化し、評価され、コストを負うための共通言語である。国際法を知らなければ、国際ニュースは感情的な対立の連続に見える。しかし国際法を知ることで、なぜ国連が動けないのか、なぜ制裁が重視されるのか、その構造が見えてくる。国際法は万能ではない。しかし、現実の国際社会を理解するための基礎である。今週の教養講座では、その現実的な役割を具体例とともに考えていく。

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*** 今週の教養講座(国際法の基礎②)

第2回 国家はなぜ約束を守るのか――主権と国際法の現実  国際法を理解するうえで欠かせないのが「主権」という概念である。主権とは、国家が自国の領域と国民に対して最終的な決定権を持つという原則であり、国際秩序の出発点である。国際法は、この主権を前提に成立している。一見すると、主権国家は誰にも縛られない存在のように思える。しかし現実には、ほぼすべての国が無数の条約に参加し、国際ルールに従って行動している。なぜ国家は、自らの自由を制限するような約束を結ぶのか。

その理由は明快である。主権を守るためにこそ、国際法が必要だからである。たとえば国境、領海、領空のルールがなければ、隣国との衝突は日常化する。国連海洋法条約が排他的経済水域(EEZ)を定めたことで、各国は一定の予見可能性のもとで資源開発や安全保障を行えるようになった。日本周辺の海域をめぐる問題も、この枠組みなしには議論できない。条約とは国家同士の契約である。契約を破れば、法的制裁だけでなく、政治的・経済的な不利益が生じる。世界貿易機関(WTO)では、ルール違反があれば紛争解決手続きが行われ、是正が求められる。完全ではないにせよ、「守らなければ損をする」仕組みが作られている。

主権と国際法の関係が最も緊張するのが、内政不干渉の原則である。原則として、他国はその国の内政に介入できない。しかし、深刻な人権侵害や内戦が起きた場合、国連は制裁や平和維持活動(PKO)を通じて関与することがある。これは主権を否定する行為ではなく、主権の行使には国際的な責任が伴うという考え方に基づいている。実際、国連PKOは紛争後の停戦監視や選挙支援などを行い、国家の再建を支えてきた。完全な成功とは言えなくとも、国際法と国際機関が現実に機能している例である。

国家は自由に振る舞っているようでいて、国際法の枠内で常に計算している。どこまでなら許容され、どこからが批判の対象になるのか。その線引きを意識して行動すること自体が、国際法の影響力を示している。主権と国際法は対立する概念ではない。主権国家が生き残るために選び取った現実的なルールが国際法なのである。

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*** 今週の教養講座(国際法の基礎③)

第3回 戦争は違法なのか――武力行使と国際法の現場  戦争のニュースに接するたび、「国際法はどこまで機能しているのか」という疑問が生じる。ミサイルが撃ち込まれ、市民が犠牲になる現実を前に、国際法の存在はあまりにも無力に見える。しかし、現代の戦争は、国際法を無視して行われているわけではない。むしろ各国は、国際法を意識しながら戦っている。

現代の国際法では、国家による武力行使は原則として禁止されている。国連憲章は、戦争を国家の政策手段として用いることを否定した。その例外として認められているのが自衛権である。ロシアも、イスラエルも、アメリカも、武力行使の際には必ず「自衛」を理由に挙げる。これは国際法が前提として共有されているからにほかならない。

しかし自衛権の解釈は常に争われる。ウクライナ侵攻をめぐってロシアは、自国の安全確保や特定地域の防衛を主張したが、多くの国はこれを認めなかった。国連総会は侵略行為として非難決議を採択し、国際社会の大勢が法的評価を共有した。この評価があったからこそ、広範な経済制裁と外交的圧力が正当化された。

国連安全保障理事会は、本来、武力行使を管理する中核的な機関である。しかし常任理事国が当事者となる紛争では、拒否権によって決定が封じられる。シリア内戦やガザをめぐる情勢では、安保理の機能不全が繰り返し指摘されてきた。ここに、国際法と現実政治の深い溝がある。

一方、戦争の「やり方」については、国際法が比較的強く作用している。国際人道法は、民間人の保護や捕虜の扱いについて細かなルールを定めている。赤十字国際委員会(ICRC)は、紛争地域でこれらのルールが守られているかを監視し、各国に是正を求めている。違反が疑われる場合、将来的に戦争犯罪として問われる可能性も生じる。

戦争は止められなくとも、その行為が記録され、評価され、責任が問われる可能性が残される。この構造こそが、国際法の現場での役割である。武力行使をめぐる国際法を知ることは、戦争を正当化するためではなく、戦争がいかに制限され、管理されようとしているかを理解するための教養なのである。

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*** 今週の教養講座(国際法の基礎④)

第4回 人権は誰が守るのか――国際機関と現場の現実  人権を守るという理念は美しい。しかし現実の国際社会では、「誰が、どこまで」人権を守れるのかが常に問われている。国際法は、国家の内政に深く踏み込めないという制約を抱えながらも、人権を国際的な課題として扱う枠組みを築いてきた。

第二次世界大戦後、ホロコーストへの反省から世界人権宣言が採択され、人権は国境を越える価値として位置づけられた。各国は人権条約に参加し、国連人権理事会などの場で自国の状況について説明責任を負うようになった。形式的に見えるこの手続きも、国家が国際的評価を無視できなくなったという点で意味を持つ。現実の人権問題では、国連の動きがしばしば注目される。たとえばミャンマーでは、クーデター後の弾圧を受け、国連総会や人権理事会が強い非難を行った。しかし、安保理では対応が割れ、実効的な介入は難航した。人権を守る国際法と、主権を重視する国際政治の衝突がここにある。

一方で、個人の責任を問う仕組みも存在する。国際刑事裁判所(ICC)は、ジェノサイドや戦争犯罪などの重大犯罪について、国家元首であっても訴追の対象とする。ウクライナ情勢では、ICCが逮捕状を出すという異例の対応を取った。実際に身柄を拘束できるかは別として、「責任が問われ得る」という事実は、指導者の行動に影響を与える。また、人権の現場では国際機関だけでなく、NGOや報道機関の役割も大きい。国際人権団体の調査報告やメディアの映像は、国際世論を動かし、各国政府の対応を促す材料となる。国際法は、こうした多様な主体の活動を通じて補完されている。

人権を守る国際法は、即効性のある武器ではない。しかし、何が許されず、何が問題とされるのかを明確にし、記録を残し、責任を追及する土台を作っている。国家の内側に光を当てるこの仕組みは、現実に即した国際法の重要な役割である。

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*** 今週の教養講座(国際法の基礎⑤)

第5回 国際法と日本――平和国家はどう生きるべきか  国際法が万能でないことは、これまで見てきたとおりである。それでも日本にとって国際法は、単なる教養や理論ではない。戦後日本は、「平和国家」を国是として国際社会に復帰してきた。その立場を支えてきたのが、まさに国際法だった。

日本国憲法は、戦争放棄と武力不行使を掲げている。国内法であると同時に、日本が国際社会に示してきた強いメッセージでもある。軍事力で影響力を行使しない代わりに、ルールと協調を重視する。この姿勢は、国連中心主義や国際協調外交として具体化されてきた。

現実には、日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。ウクライナ侵攻や中東、南米情勢を見ても、力による現状変更のリスクは他人事ではない。だからこそ日本は、感情的な軍事論や二項対立に流されるのではなく、国際法の枠組みをどう使うかを冷静に考える必要がある。たとえば、経済制裁や国際世論の形成は、日本が比較的得意とする分野である。日本は軍事大国ではないが、経済力と外交的信頼を背景に、国際ルールを守る側として発言力を持ってきた。国際法違反に対して一貫した姿勢を示すことは、日本自身の安全にもつながる。

日本は国際機関への人的・財政的貢献を通じて、現場を支える役割も担ってきた。国連PKOへの参加、人道支援、法整備支援などは、武力に頼らない形で国際秩序を下支えする行動である。平和国家とは、何もしない国ではなく、ルールが機能する場を支え続ける国である。重要なのは、国際法を「都合のよい時だけ使う」姿勢を取らないことである。自国に不利な場合であっても、ルールを尊重する姿勢を貫くことが、長期的には信頼と影響力を生む。これは短期的な損得を超えた、戦後日本が積み上げてきた知恵である。

国際法は日本を守ってくれる魔法ではない。しかし、日本が平和国家として世界と向き合うための現実的な足場である。国際法を理解し、使い続けること。それが、不確実な時代における日本の生き方なのである。